読書研究会

読んだ本の備忘録、もちろん漫画も(笑)。

「結局、どうして面白いのか 水曜どうでしょうのしくみ」 佐々木玲仁

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先日、新作公開に合わせてテレビでやっていたエヴァンゲリヲンを見ていて、リビルドというけれど、やっぱり最終的には前作の劇終に至るのかな、ということを考えて、なんとなく萎えた。それはなぜだろうと思っていると、結局、あの終わり方がセンセーショナルで且つ胸の透く想いをしたのは、見ている側に終末願望、というような20世紀末のありふれたコンセンサスがあったからで、それが今の時代に通じるだろうか、と疑問に思ったからだ。
実は水曜どうでしょうが一番充実していて、人気が沸騰し始めたのと、エヴァ人気というものは同時代に位置している。あらためて調べてその事実に愕然とした。個人的なことをいえば、まずエヴァに嵌り、その後の水曜どうでしょうに嵌った、という順だったのだけど、あああの頃ね、というのが容易に思い出せるほどに、その数年間は充実の中にあった。一見、相反する二つの表現だし、事実向かうべき方向は相容れないのだけど、時代という意味で共通項を持っているのは、興味を惹かれる。
それを自分なりにかみ砕いてみると、エヴァはいわば負の心の象徴の映像化で、水曜どうでしょうは良心の最右翼、という風に言える気がする。自分、というか人間の中にどうしたってあるものを認めざるを得ない、というのがその時代であって、いわば目の前に見せつけられて感服した、というのが事実なのだ。いずれも目を背けてはいけない、あるいは、認めることで新しい何かを生み出す苗床と為す、という必然があったように思われる。蛇足だが、その頃一緒にやっていたもののけ姫は、死ぬな、と声高に叫んだのだけど、今となってはどっちつかずの無責任、に聞こえてしまう(笑)。
タイトルではないが、僕なりに考えていたどうでしょうの面白さは、原因はともかく、そこへ行きたくなる衝動を与えることにあると思う。見て完結するだけでなく、自分の中に行動の種を植え付ける、そこが一番の魅力だと思う。その原因の部分まで踏み込んでいるのが、本作である。これはなかなかに、的を射ているというか、コアなどうでしょうファンでも納得できる、といったら変だけれど、何かしらの溜飲を下げる効果はあるはずだと思った。
僕が思っていた、いわば行動を促す要素は、本書に寄れば、一緒に旅をしている感覚になる所から来ていると言える。一緒の旅をしているのだけど、実感が伴わない部分がどうしてもあって、それを補完する意味で、僕らはその場所に行きたくなるのだ。行ったってハプニングも、何も起こらないのだけど、この場所で大泉さんが、藤村さんが、ミスターが、という記憶が頭の中を巡った段階で、やっと完結するのだ。そしてきっと、その場所に至るまでにまた新たな自分だけの旅がある、ということが一番重要なのだと思う。
実をいうと僕もそのクチで、九州や北陸、果ては四国八十八ヶ所を巡ってしまったのだけど、僕の中の旅というものの本質が、どうでしょうに横たわるあどけなさとは違う部分にあるので、同じようにはならない。だから改めてどうでしょうを反芻することも出来るし、自分なりの旅を振り返ることも出来るのだと思う。そういうことを含めて、どうでしょう研究というありそうでなかった分野の、これまた唯一無二の良作だと思った。

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