|
ときどき「日本の国宝、最初はこんな色だった」の感想を、ブログに上げている人を検索したりします。
発売から半年以上たちますが、ぽつぽつ上げている方がいます。
ありがたいことです。
検索していると、ある方が実に勉強になるコメントをしてくれていました。
それは、こんな始まり方をしていました。
「絵画や彫刻は写真のノエマをゆうゆうと超えてしまう。しかしそれでさえ今あたしがなんらかのかたちで見ることができなければ、その創造性を楽しむことは不可能なことだ。
この本の面白さは、その不可能を可能にすること…(後略)」
いいでしょう!
何がいいかって、一回読んだだけでは分からないとこが!
いや3、4回よんでも分からない。「ノエマ」ってなに?
その後も出てくる出てくる。「アウラ」「原初抑圧不全」「過去把持」「象徴の貧困」……
私はこれを待っていました。
自分としては「参加する視線」という言葉を使って、ちょっと哲学っぽいお話もしていたつもりだったのですが、やっぱり感想は「色がすごい!」ということが中心で、それはそれでよかったのですが、もっと「参加する視線」を掘り下げてくれそうな感想を待っていたのです。
多分、私が考える程度のことですから「参加する視線」という言葉には相応する哲学用語があって、それは現代思想の中で、どんな位置を占めているのかを確かめたかったのです。
この日記には、そのヒントがありそうです。
思わずプリントアウトをして、気になるところに赤線をいれながら、「象徴の貧困」あたりから調べ始めています。
ホント、勉強になるぅ〜
|