「柵條の道」-硫黄島

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「柵條の道」
硫黄島戦を目前に若き将校が残した記録。
(昭和19年4月21日 − 昭和20年2月14日)


アメリカ復員兵が持ち帰ったと言う、日本兵が日記を綴った手帳を、インターネットオークションでたまたま見つけたが、残念ながら入手する事が出来なかった事を以前このブログで紹介した。
http://blogs.yahoo.co.jp/drmusou/folder/197203.html

上のブログ記事で説明したとおり、私は、この日本兵が残した日記をオークションで、落とす事が出来なかった。まず第一に、私の掛けた価格は第2番目の高さだった。最後の数秒で、他のメンバーに越されてしまった。しかし、最高額を掛けた価格は、この売り手の欲する金額に達せず、オークションは終わった。つまり、誰一人、この日本兵の残した日記は、落札する事が出来なかった。

私は、オークション後、即座に、そのアメリカ復員兵に連絡した。まず最初にその日記をどのようにそのアメリカ復員兵が手に入れたのかを知りたかった。その答えが、すぐ電子メールで送られて来た。

I WAS STATIONED IN JAPAN RIGHT AFTER WWII
AND PICKED MANY ITEMS I BROUGHT BACK TO THE STATES,
THEY WERE ALL IN A BOX FOR MANY MANY YEARS
AS I MOVE AROUND COUNTRY, HAVE LOST MOST ITEMS
EXCEPT I STILL HAVE DIARY. OK?

私と、このアメリカ復員兵との電子メールによる会話と交渉はここから始まった。

Unfortunately I was the 2nd highest bidder,
but noticed that the highest bidder did not meet
the minimum price, either.
Are you going to list the diary again for bidding?
I am really interested in bringing back the diary
to the soldier's family in Japan.
Could you please inform me of your plan for this diary?
Thank you in advance.
Dr. XXXX

INTEND TO RELIST IT SOON. OK?
PS: THANKS FOR THE INTEREST
I'M SURE HIS FAMILY WOULD APPRECIATE IT.

Thank you very much for your prompt response.
I will bid again, but I wonder if you could inform me how much
you would like to receive.
I might be able to come up with the amount.
I really think that the diary should go back to the soldier's family
or where he came from, instead of becoming a collection of
someone who might not share it with others.
Thank you again.
Dr. XXXX

Dr. XXXX I had set a reserve price of $900.00.
My reason was that it would be a large portion of an airfare to Japan.
I left Hachinohe in early 1948 to return to the states to be discharged,
and have never been back. I thought if I could raise enough money
selling items on ebay I could return to where I served in Japan,
before I expire. I don't know if the amount is too much for you
but let me know because some other people have asked
the same question, but if you are going to return it to
the soldiers family, who died for his country,
I would rather you have it
thank you XXXX

確かに、一人の日本兵が書き残した日記は、金銭価値では、計れるものではないであろう。しかし、この時点で、私は、戦勝国と敗戦国と言う構図上での自分の位置というものを直視させられたような感じがした。敗戦国の兵士が書き残した日記を戦勝国の兵士が持ち帰り、それを又、敗戦国の人間に売り得る金で、その敗戦国に旅する旅費にあてると言う構図に、私自身を置く事に非常なる嫌悪感を感ぜずにいられなかった。私はこの時点で、この日記をあきらめる事にした。$900では購入できないという事を伝えるとともに、やはり自分の命を懸けて戦争を経験した本人にも、この日記を書き残した日本兵にとってその日記はどういう気持ちが込まれているかわかるのではないかという由を最後のメールに書き送った。

Dear Mr. XXXX,

Thank you for your consideration.
However, I am afraid that my offer would be much much lower than $900.
It would not be much different from my bidding price.
The only reason I want to have the diary is
that I would like to bring it back to Japan and hand it
to the soldier's family or donate it to an appropriate museum.

As you have served for your country honorably by risking your life,
I am sure that you understand how you would feel if your last
diary with your blood, which you intended to send your last messages
to your family, would become a collector's item in the closet
without being read by your family and people.

I sincerely hope that you will have an appropriate buyer.
Thank you again for your consideration.

Sincerely yours,
Dr. XXXX

私は、上のメールを送った段階で、少なくともその日記の内容をを公表する意志のある人間が買う事を願うだけだった。

それから十日程して、返事が来た。

Dr. I have had many requests to relist the diary and I
was just about to relist the diary on ebay, but then I
thought about what it would mean to his family if you
could find them in Japan. I know if diary was mine I
would wish to have my relatives have it. So here is my
offer-the high bid was $277.00. If you could see your
way clear to give me $275.00 for it, I will pay the
freight to send it to you.
. . . . .

オークションでは、それがアメリカ兵のものであろうと、価値のある戦中日記と思えるようなものは、$300、$400は軽く越してしまう。その事を考えた際、もう一度オークションに掛ければ、前回の価格よりは上に行く可能性もあるだろう。又、同じ価格としても、私を優先する義務は、このアメリカ復員兵にとって何一つ無い。そういう事を考慮した際、私とのメールのやり取りで、少しでも私の意思が通じたように思えた。

私は、「戦争」というものが、商品化されることに非常な恐れを感じる。しかし、商品化されているのは、オークション等で売買されている戦争の遺物品だけではない。それは、映画や、出版物も同じ事である。確かに、それらは、ある種の教育を与えるもの、もしくは、歴史を振り返る一つの切っ掛けという一面を持っているかもしれない。しかし、その一面の裏側には、それらがnon-profit organizationで作られたものでない限り、莫大なprofitを得、個人の資産を増やす、「戦争」と言う題材を使った「商品」というものに変わりはない。戦勝国の人間が、敗戦国の人間を雇い作った作品を、特に、敗戦国の人間を対象に売り、利益を上げる、この構図は、上に挙げた構図と大して変わりはない。その作品の良し悪しがどうであれ、その興行で、個人が多額の利益を上げるものである限り、「戦争」を「商品化」していると言う事に、私にとって、変わりはない。又、戦争の遺物品、日本兵の遺物品を売りに出しているのは、アメリカ人だけではなく、日本人も多くいる事は、言うまでも無い。つまり、日本もアメリカ同様、原爆を二発落とされた挙句敗戦に終わった「戦争」と言うものが、金銭価値に基づき「商品化」される社会構成と言う事に変わりはない。

「戦争」が「商品」となる事に違和感を感じられる事のない社会構成の枠組みの中で生きている限り、私自身、アメリカ復員兵が、日本兵が書き残した日記を売るという事を批判できないであろう。又、日本兵と、「殺すか、殺されるか」と言う戦場を経験した人間が、自分を殺そうとした敵、もしくは自分の友人を殺した敵にあたる日本兵の一人の日記を60年以上捨てずに、大切に、保管していた事は、ある意味では、幸いと言えるであろう。

この日本兵の日記は、このアメリカ復員兵にとって何を意味したのだろうか。今、この戦争の一片を物語る日記を手放す事は、この老いたアメリカ復員兵にとっても、無意識上、戦争という記憶からの一つの解放を意味していたのかもしれない。

この記事に

イメージ 1

この日記は、オークションでは、下記のように説明され売りに出されていた。

This is diary of a Japanese soldier in WW II.
From a PARTIAL TRANSLATION,
evidently he was stationed on island of Saipan,
Was drafted into army and did not want to die for the Emperor.
Was evidently killed on Saipan in the American invasion in 1945
Was from western Japan maybe Toyama?.
Was from an upper middle class family
and evidently was a pretty good artist
and some poetry accompanies the drawings.
Cover and binding is very poor,
but pages although over 60 years old are in good shape
and very readable (if you are Japanese).

届いた日記は、「MEMORANDUM」と表紙に書かれた小さな手帳だった。全部で、59枚、つまり、120頁近くあり、その内の54枚、100頁以上にびっしり日記が記されていた。表紙は、表表紙と裏表紙が、二切れのセロテープでつけられているだけで、背はなくなっていた。しかし、中の頁はまだしっかりしていて、損傷はそれ程は無かった。

まず、私は、この手帳を骨董本等を修復する職人(bookbinder)のところに持って行き相談し、表紙の修理をしてもらい、又、中の頁も背に糊付けで更に強化してもらうことにした。これで、この日記の損傷を恐れずに、一枚ずつ
scanすることが出来るようになった。

説明では、サイパンで戦死した日本兵のものだと書かれていたが、これは、すぐそうではない事がわかった。私自身、手帳の修復の前に、さっと目を通したとき、「比島」という字が目に入り、フィリピンに配属されていた日本兵のものではないかとも思えたが、修復の後、scanにして、その内容を読み、「硫黄島」に配属されていた日本兵のものであると分かった。

説明では、又、天皇のため、自分の命を落とす事に遺憾を感じる内容だと書かれていたが、それも間違っている事がわかった。私自身、その説明を読み、そうであるならば、どの様な心の葛藤を抱いて、戦争に望んだのか知りたいと言う興味があったが、内容は、全く違ったものであった。このアメリカ復員兵によると、13−15年ほど前、自分の娘の家に滞在していた交換留学生の日本人に一度、部分的に翻訳してもらったのが、説明に書かれた内容だと言う事であった。おそらく、この留学生は、手帳に記された字が小さく、正確に読むことが出来なかった為、読める字を拾い上げ、ある程度の推察を翻訳にしたのであろう。

この日記は、硫黄島に駐屯していた日本兵によるものだと知らせ、そのアメリカ復員兵、もしくは、アメリカ軍がどの様にこの手帳を手にする事になったのか、再度尋ねたが、下記の返事のとおりで、今は覚えていないと言う事だった。

Dr thanks for the update. unfortunately i can't
recall how i obtained the dairy, except to guess a
solider or marine found it and brought it to Japan
after the war. someone in my regiment may have
acquired it and not wanting it, gave it to me. its
hard to recall after 60 years. thanks again and sorry
i can't be of more help

この手帳に記された日記は、硫黄島に配属された、二十歳代の若き将校に綴られたものと考えられる。小隊長の任務に就いていたと考えられ、自分が指揮官であると言う事、自分が誇り高き皇軍の軍人であると言う事等、若き将校としての心の悩みと思いが率直に綴られている。説明どおり、数箇所に非常に洗練された挿絵が画かれていた。

記録は、昭和19年4月21日から始まり、昭和20年2月14日に終わっている。つまり、昭和20年2月16日、アメリカ軍による総攻撃、19日上陸のほぼ寸前まで、記録されている事になる。記録の中には、数名の名前が書かれ、それからも間違いなく硫黄島戦に臨んだ記録と言う事を確信する。又、この記録からは、本人の小隊の作業、演習等の記録と共に、何時、アメリカ軍による空襲が始まったのか、又、その空襲等による攻撃がどの様に激化して行ったかが、記録されている。

この日記の第一頁に、本人の署名と思われるものが書されているが、残念ながら私には、読解できない。しかし、この記録に書かれた名前から、どの部隊に配属されていたのか推定が着くと考える。又、この手帳の最後の2枚つまり4頁の住所録には、数名の名前と住所が書かれてあるので、それを辿れば本人の身元が分かる可能性がある。只、日記の内容より、この将校は、一人っ子で育った可能性があるため、おそらく兄弟、姉妹はおらず、遺族は、親戚の方だけになる可能性がある。

続いて、日記の総てをscanにして載せ、又、出来る限り、本文に忠実に活字にしたものをその下に載せる。ただし、読解できない箇所もいくつかあった。

この若き将校の書き残した日記が、多くの人に読んでもらうことにより、決してその記録が無駄にならなかった事を願う。その内容を読み、抱く感想は人それぞれ違うだろうし、又、違って良いものだと私は思う。

私の手で、日本に持ち帰り、無事帰国できる事を確信したい。

(私の記事は、総て、最後の頁から投稿し、一番最初の頁が一番上に来るように投稿している。そうする事で、書庫のタイトルをクリックすれば、その記事の内容が上から下に続けて読めるようにしてある。この記事もその例外ではない。)

この記事に

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折にふれ記し、修養となさむ。
又時には慰ともなさむとて
此の手帖を引張り出し
雑記す。

(此の頁の署名が本人の名と思える。残念ながら私には読解できない。)

この記事に

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昭和一九年四月二一日

我身を我身なりと思ふこそ
怒も出づるものなれ 道義に
外れ為る道こそ怒るものなれ
総ての事どもは至誠の根本
義に帰一せざるべからず。
我を主体となす時は至誠に非
ず怒りも怒りに非ず、是れ
我が儘より発する怒なりと覚
ゆ可きなり。凡そ私執を舎て
得ザる行動は不忠なり。
陣地構築の基を開くは我に非ず
天命なり、されば我其の礎石た
りしと記憶すべからず
天其の基為りと覚ゆべし。
力強き中隊の団結を作らんには
己他に没すべきや 他を己に没せしめ
んや考へ及ぶ所に非ず。 之ヲ果し
得るもの営(?) 至誠のみ。

この記事に

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