「従軍手帖」六十年後に届いた伝言

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Yahooの順序設定では、後に投稿した記事が上に載ることになり、読みづらいですので、最初に(15)を投稿し、後ろから順番に投稿して、一番上に(1)が、来るようにしました。

この記事に

「従軍手帖」 六十年後に届いた伝言


http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/57/6a/drmusou/folder/128236/img_128236_223160_0?2007-02-21


戦争の遺物品を収集するコレクターは多くいる。その事をつくづく実感させられたのは、第二次世界大戦

にアメリカ軍が用いたPsychological Operationsに興味を引かれ、それに関する資料をインターネットの

オークションサイトで調べ始めてからだった。オークションサイトでは、多種多様な戦争の遺物品が、商

品となり数知れなく競売されている。勲章、国旗、軍旗、軍服、軍帽、軍靴、ヘルメット、兵器、銃弾、

砲丸、ピン、ワッペン、杯、千本針、ポスター、チラシ、タバコ、マッチ、軍事書類、おそらく思いつい

た物は大体何でも売られていると言って良い。コレクターが非常に多いこの分野では、その異常な熱気を

悪利用する商売人も多く、偽物と思われるものも多くある。私にとって、オークションサイトは、他では

目にすることのないものが売られたりする事があるため、資料、情報集めに非常に適しているが、日本

兵、アメリカ兵の悲惨な死体の写真までを商品として競売にかけられているのを目にすると、空しさを感

ぜずにはいられない。最近(2006年12月)、そういう複雑な気持ちにさせられるオークションサイ

トで一つの物件に目が留まった。


簡略化された英語で次のように紹介されていた。

JAPANESE GROUP TAKEN ON SAIPAN VET BRINGBACK LOOK
「復員軍人がサイパンから持ち帰った日本軍関係の集まり。見てごらん。」


そのタイトルをクリックすれば、次のWeb Pageに、その内容が写真と共に紹介されていた。アメリカ軍の

復員兵が第二次世界大戦後、サイパンから持ち帰ったものだと説明され、一見、携帯用の小さな収納袋、

そして、幾つかの自筆で書かれた日本語の書類が写真に写っていた。良く見るとその一つは、軍隊の行動

記録のようなものだった。又、サイパンの病院名と栗城キミ子と書かれた領収書のようなものもあった。

そして、一種の塹壕の記録と思われる図のようなものがあった。アメリカ軍が撮った、日本人が、捕まえ

られ捕虜となりるよりもその崖から飛び降り自決したと言われる「SUICIDE CLIFF(自決の崖)」として有

名なサイパン島北部に位置するその崖の白黒写真もこのオークションに含めると説明されていた。しか

し、最も、私の注意を引いたのは、「日記と思われるようなものがある。(英語に)翻訳してもらってい

ないのでわからないが、歴史的価値があるかもしれない。」という説明だった。古びた「従軍手帖」の写

真が載せられていた。その手帖のページの部分を拡大され写されていた。私は、その写真をさらにズーム

インして拡大し、目を凝らして、鉛筆による自筆の内容を読み取ろうと努力した。その内容は、予想外の

ものだった。一人の日本兵がサイパン戦最後に書かれたと思われ、水一滴も飲む事も無く、空腹の苦痛と

共に、日本への忠実な思いを綴られたと思える内容だった。残念ながら、その写真では、一部分しか読み

取る事ができない。「これら全てが落札した者のものとなる。」と説明されていたが、私は、どうしても

その従軍手帖に書かれた日本兵による記録を全て読みたいと言う気持ちに駆られた。


その日本兵の「従軍手帖」は、戦後、アメリカ軍復員兵の下で、誰にも読まれること無く静かに眠ってい

た事になる。しかし、どうして、日本兵が最後の力を振り絞り書いたと思われる従軍手帖が「商品」とし

て売られているのか。このような貴重な歴史を語る遺物品は、決して金銭価値で計れるものではない。戦

争の遺物品を収集する事を趣味にする人間の、単なる個人のコレクションのひとつとして埋もれさせては

いけない。サイパンから日本に届けたかったと思われる、一日本兵の最後の言葉を含むこの従軍手帖は、

必ず、日本人の元に戻さねばならない。そういう思いで、私は競り落とした。

この記事に

サイパンからの日本兵の遺物品は丁寧に箱に詰められ届けられた。蓋を開けると、そこには、戦線の厳し

さと歳月の経過を物語るかのように、色褪せ、痛み、ぼろぼろになった遺物品があった。陸軍のサイパン

島における行動記録、サイパン島の病院名が印刷された領収書等、携帯用の収納袋のよう

に見えた、消毒包と書かれたものが、従軍手帖と共に届いた。果して、これら全てが、同じ日本兵の持

ち物だったのかどうかは、私にはわからない。

まず最初に、領収書類、消毒包、アメリカ軍が撮ったとされる白黒写真、そして、陸軍の行動記録を載せる。

「従軍手帖」はその後に、(7)から最後の(15)まで続けて載せる。


領収書類。

http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/57/6a/drmusou/folder/128236/img_128236_223023_0?2007-02-21

サイパン島カラパン町 美齋津病院

http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/57/6a/drmusou/folder/128236/img_128236_223023_1?2007-02-21

サイパンでの異動申告票。 文光堂(東京)からの受領票。

この記事に

サイパン島におけるSuicide Cliffと称される崖をアメリカ軍が撮影したとされる白黒写真。

http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/57/6a/drmusou/folder/128236/img_128236_223078_0?2007-02-21

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