哲人への道

小学校教師の「独り言」かな?!

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「歓送迎会」

 5/11(金)夜、市内のホテルで前任校の歓送迎会。
 ホテルまで徒歩で。現職の時は学校で、意識しないうちに毎日一万歩ほど歩いていた。退職した今、意識して「歩く機会」をセットしないと足腰が弱くなる。20分ほどでホテルに到着。
 久しぶりに懐かしい面々と再会。
 転任・退職者が「話」をする事になっているのだが、今回は10人もいる。1人が5分も話したら、これだけで1時間近くになる。会場を使える時間は決まっているので、「話」が長くなればそれだけ、乾杯後の〝懇談〟の時間が短くなる。かつて、1人で15分もしゃべくっていた非常識な退職者がいた。自分の〝教員歴〟を振り返るような話をしたのだが、誰もきいちゃいない。のに、会場にいる他の人々の〝雰囲気〟を察する事もできず、ダラダラとしゃべっているのだ。まともな授業ができず・どっぷりと暗く沈殿している学級づくりの「名人」は、こうした無様な姿を最後の最後までさらすのだ。若かった私は、「こんな馬鹿者には絶対になるもんか!」と決意したものだ。
 なので私は事前に、「出来るだけ短く。」と他の転任・退職者に〝つぶやいて〟おいた。トップバッターは私。
「こんばんは。深澤です。1年の中で最もあわただしく過ぎたこの一ヶ月だったと思います。が私は、全く別世界の時間と空間の中にいました。普段ならとっくに飲んでいる時間なので、出来るだけ短く話します。3月で私は教育の現場を退きましたが、先生方は、これからなかなか厳しい環境となっていくかもしれませんが、子どもたちの正しい成長のために、是非、元気にがんばっていただきたいと思います。今までありがとうございました。」
こんな感じの話をした。時間にすると、1分弱。その後、他の方々の「話」も短く、すぐに乾杯。かくして〝懇談〟の時間をタップリとれた(はず)。
 多くの方(ほとんどが女性教師)が、ビール片手にやってきた。いろいろ語り合う。
「一緒に学年を組んだあの1年は、とっても勉強になりました。自分でも、あの1年で教師として成長できた、と思います。」と言う若手教師。 「退職して、何をしているんですか?」「本を書いているんですか?」等と尋ねてくる教師も多い。「先生、子どもと同じように、私と握手してください。」と手を差し出したのは、3月まで同学年を組んだ若手教師。かくして、1次会終了。会場の外に出ると、先ほどの若手女性教師など数人が「握手してください!」と手を出したので、握手をしまくる。
 その後、場所をかえて2次会。ここでもいろいろ語り合う。さらに、かつて同学年を組んだ教師と2人で3次会。一度も行ったことのない近くの店へ、飛び込み的に入る。3人ほどの客がいた。驚いたのは、私よりかなり年上のその店の女将は和服姿だった事。しばらくして先客は帰り、客は2人だけ。女将を交えて、いろいろ話す。気付けば、26時。店を出て別れ、歩いて自宅へ。かなり酔っていたはずだが、しっかり自宅に到着できるのは不思議であり、大したモノだと思う。
 今回の「歓送迎会」が〝最後の出会い〟となり、もう二度と会うことのない人もいるに違いない。一方、これからもちょくちょく会うことになる人もいるかも知れない。いずれにせよ、私の教師生活最後の一年間を共に過ごした同僚との〝正式な一区切り〟が終了した。

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「山」へ

 4月28日(土)〜5月1日(火)3泊4日で「山」へ。
 敷地内にはいわゆる「山桜」が数株(数本)あるが、4/24(火)にはその内の1株(1番北側にある)が咲いた。(先に葉が出て、しぱらくしてから花が咲く)。
 4/28に行くと、別の「山桜」も咲いていた。 1つは〝霞桜(かすみざくら)〟という「山桜」。(この1株を切らずに残すために、当初の予定より1メートルほどずらして建物を建てた。それくらい大事にしている〝1本〟。私のお友だちのKさんが調べてくれた結果、〝霞桜(かすみざくら)〟である事が判明した。が、他の「山桜」の正式名は不明のまま。)。 1つは、南にある1株。1つは、道に面した所にある1株。4/24には咲いていなかったそれらが、4/28には咲いていた。わずか数日の間に、劇的変化が起こっている。 荒れ放題になっていた、以前バーベキューや焚き火をしていた場所を少々整備する。 
 4/29(日)荒れ放題の「上」に行き、2時間ほど〝下草刈り〟。全体の1/5程しかできなかったが、山ウド・たらっぺ・山椒等を発見。 夕方は前日〝整備〟した場所で、一杯。しばらくすると妻が当然、「咲いてる!!」と叫んだ。何と、6〜7年前に妻が購入して植えた岩ツツジ。ここ数年花も姿も見えなかったので、「ここでは生きていけなかったんだ」と思っていたのだが、「生きて」いた。岩ツツジの花がよく見えるように、その回りの下草を刈っていると、たらっぺ・山ウドを発見。その場で、味噌をつけて山ウドを食す。独特の香り・味を優しく持ちつつ、実にジューシー。ウドが大の苦手の私がペロッと食べてしまった程、うまい!
 桜も山菜も、〝自然からの贈り物〟だ。 1年に1回ある時期にだけ出会える――自然の〝姿〟とはそういうモノだ。 いつでも存在している〝姿〟なのではない。そうした〝姿〟と出会えた事は、奇跡的と言ってもいい程、貴重なのだとも思う。

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「山」で思う

 4/15(土)の朝から「山」の地区での共同作業があるため、前日から「山」へ。
 当日、共同作業には妻が出かける。共同作業の後は、公民館で「飲み会」。これも妻1人が参加。(私は〝その地区の住民〟ではないので、こうした共同作業・飲み会には出ないようにしている。この辺りの事は・・・)。
 地区の方々には妻が、夫婦そろって退職した事を既に伝えていた。
 午後3時前、妻から℡。「何人かの人が行きたいと言うから、今から連れていく。」との事。
 4人の方が〝我が家〟へ。昼から飲んでいたのだから、それなりに〝できている〟方もいる感じ?!
 4人のうち、初めていらした方はお2人。後のお2人は、これまで何回かいらした「飲み友達」。お1人は、わざわざ「退職祝い」として一升瓶を持ってきて下さった。
 もちろん、4人とも私より年上の60代以上。皆さん元気。
 かくして、飲みながらいろいろ語る。ガンガン飲みながら・言い合う、と言った方がいいかなぁ。「教育」の話題などほとんどなく、6時間以上飲み・語っていたと思う(途中から妻共々〝記憶が飛んで〟いる)。次の日起きると、一升瓶が「1.7本」空っぽだった。いやぁー、かなり飲んだものだ。
 里山の地区。若者はほとんどいない。校区の小学校の児童数は少ない。(去年、私が初任者で勤務した時の先輩女性教師がこの小学校の校長である事を知った。その時は、驚いたなぁ。) 山奥ではなくても、〝実質的な過疎化〟が進行している様だ。このままあと10年もすれば、この集落そのものの存続が危うい感じもする。 
 地元の人からすれば私などは〝余所者〟に過ぎないだろうけれど 「何かできないかなぁ」という視点を持って生活していこうと思う。 どうなっていくかなぁ・・・・

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退職後・3週間

 退職して3週間ほど経った。 
 毎日が〝自由時間〟のような感じの日々。
 だからと言って、何もせずダラダラ過ごす事はできない。と言うか、難しい。例えば、昼間っからテレビを見る事は可能だが、その気にならない。ゴロゴロしているのも、体が受け付けない。かと言って、新年度スタート期の戦略構想や授業構想を練ったりする必要はない。
 4月初めは、「自室の大掃除・その1」。仕事部屋の半分を整理。これまでためていた様々な文書類を少々厳しくチェックし、不要なモノを処分。かなりの量となった。その結果、仕事机(横2.5メートル程の自作机)の上や周辺がスッキリとし、実に快適になった。
 一方で、銀行に行ったり・市役所の年金課に行ったり・・・と、退職に伴ういくつかの〝手続き〟をする。教員は、本来個人ですべき様々な事柄を別の方々がやってくれている恵まれた立場だったのだなぁ、と新たに認識した。
 中旬からは、「山」での生活を多くしていった。4/13(金)の退任式後は、14(土)〜16(月)・22(土)〜25(水)は「山」。間の19(木)〜20(金)は、妻と近場に一泊旅行。生活基盤を徐々に「山」へ移していこうと思っている。
 が、先日妻から「久さんがこれから何をしようと考えているのか、をまだ聞いていない。」と言われた。
 ナカナカ鋭い、その通り、まだ自分でキチッと考えようとしていない。よって、カチッと決まっていない。焦って決めようとは思っていないので、まあこれでいいだろう。
 今は何と言うか、自分をしばらく〝泳がせておく〟時期、だ。 時間的・空間的・精神的に、自分自身を〝自由な世界に泳がせておく〟事が必要な時なのだ。 退職したにもかかわらず、ズルズルと学校教育に関わる日々を「仕事」として続ける――私にはできない〝芸当〟だ。
 自らの意志で退職したからには、一度、今までの生き方から離れる〝ケジメ〟が必要だと思う。 それが、時間的・空間的・精神的に、自分自身を〝自由な世界に泳がせておく〟という事。 その中で、「何をしていくつもりなのか」が明確に浮き彫りになっていくに違いない。
 明確になるまで、あとどれくらいの時間がかかるのだろう?
 あと5年か。あと3年か。あと1年か。
 否! そんなに時間はいらない予感がする。
 そして「何をしていくつもりなのか」を決めたなら、実行・追究していく。 こう考えると、教師時代と「人生のスタンス」は何も変わらないようだ。

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最後の退任式

 今日(2012年4月13日・金)午後2時から、退任式。私にとっては文字通り、教師としての「退任式」となる。
 午後1時40分過ぎに学校到着。久しぶりの校舎。
 退任式に出席する退任者は、11名。教頭に先導され、私を先頭に体育館ヘ〝入場〟。「深澤先生!」という声が子どもたちから飛ぶ。今年の4〜6年生を私は担任しているからか、その声はあちこちから飛んでいた。
 ステージに上がり、椅子に腰掛ける。校歌を聴き、校長が1人1人を〝紹介〟していく。1番はじめは、私。起立して校長の〝紹介〟を聞く。こうして、退任者11名全員の〝紹介〟が終了。
 次は、児童代表者の「言葉」。次は、花束贈呈。退任者1人に1人の子がステージに上がって花束を渡す。私の前には、昨年度担任した子が〝来た〟。
 その後が、退任者1人1人の「話」となる。
 トップバッターは、私。
 未練たらしくダラダラ話したり・メソメソするのは、私の美意識とは相容れない。また、自分の今の様子を事細かに話すのは、単なる自己顕示でしかない気がして、私にはできない。(そもそもダラダラしゃべっていても、誰も聞いていない。)
 よって、スパッと短くする事にした。伝える事をググッと絞りきり、以下のような「話」をした。
①司会(教務主任)の合図で「礼」をする。
②私はマイクスタンドからマイクをはずして手に持ち、「挨拶をしましょう。」と言う。
③私「『○年生の皆さん、こんにちは。』と言うので、その学年の人は、『こんにちは』と言って下さい。」
④「2年生の皆さん、こんにちは!」と私が言うと、2年生の子たちが「こんにちは!」と言った。私は「ナカナカ、かわいい声でいいですね。」と一言言う。
⑤私「3年生の皆さん、こんにちは!」 3年生「こんにちは!」 私「オッ、だいぶ元気がいいですねぇ。」
⑥私「4年生の皆さん(ちょっとした間)」 私「反応がないので、とばしましょう。」 4年生「えっーー!!」
⑦私「5年生の皆さん!」 5年生「 ハイ!」 私「反応がおそいですねぇ。」
⑧私「いよいよ最上級生ですね。6年生の皆さん!」 6年生「ハイ!」 私「『ハ』と『イ』の間が長い。」 
⑨私「4年生の皆さん、こんにちは。」 4年生「こんにちは!!」 5年生・6年生にもこうした後、
⑩私「では、全員でやってみましょう。 みなさん、こんにちは!」  全員「こんにちは!!!!」
⑪私「その元気が大事です。人生、まだまだ長い。その元気でがんばってください。 以上、終わります。」 その瞬間、子どもたちから「えっーーー!」という声が起こった。
 時間にして、1分余り。その大部分は、子どもたちとの〝掛け合い〟であり、「私の話」と言える部分は、最後の⑪の5秒程。子どもたちから起こった「えっーーー!」という声は、「もう終わりなの?!」の意思表示の声だった。
 その後、10人の退任者が「話」をしていく。「話」を聞けば、その人の〝力〟が分かる。どうでもいい話(?!)をダラダラしゃべくるようでは、話にならない。この時点で、午後3時。長い「話」があった事が分かる。
 子どもたちの歌を聴いた後、〝退場〟となる。私が先頭でステージを降り、子どもたちが作っている竹のアーチをくぐっていく。途中、握手を求める子たちが多く、何度も立ち止まる羽目に。体育館を出て、校長室へ。この後、子どもたちとの「最後のお別れ」があるため、校長室で待機。
 退任者は指定された教室に行き、子どもたちは各教室で「さようなら」をした後、会いたい退任者のいる教室に行く――こうしたシステムになっていた。教頭が、「○○先生は、○年○組の教室。△△先生は、△年△組の教室。」といった具合に校内放送をする。「では、行ってください。」と促され、指定された4年1組の教室に向かう。
 教室前に既に何人もの子たちが待ち構え、教室に入ると、子どもたちがドドッと走り寄って来る。「先生、サインしてください!」「先生、握手してください!」とごちゃごちゃ状態。「こっちに一列で、順番に。」と言うと、〝いつものように〟ベランダ側に列ができる。
 ここからは、<サイン会+握手会>となった。
 昨年(2011年)度担任した3年生(=現4年生)・一昨年(2010年)度担任した3年生(=現5年生)・その前の2009年度に担任した3年生(=現6年生)が、列を作っていた。その列は教室からはみ出し、廊下まで続いていた。私が持っていた筆ペンのインクがなくなり、子どもたちが差し出すフェルトペンを使う事になった。
 校内放送で「そろそろ下校の時間です。子どもたちは帰りましょう。」と流れたが、列がまだ長く続いている。
 「あと5人だな。」とつぶやくと、「えっーーー!! イヤで〜す!!」の声・声・声・・・。<サイン会+握手会>を続けると、校内放送が更に2回流れた。この後、〝職員の茶話会〟が予定されている。他の方々を待たせては申し訳ないので、途中で「打ち切る」。その時、教室には15人ほどの子たちが残っていた。教室から校長室に戻っていく私に、「先生、握手してください!」とか「先生!!」と言って手を差し出す子たち。一度握手すると、すぐ2メートルほど先まで小走りし、またそこで手を差し出す子たち。そして玄関まで行くと、日直の教師が戸締まりをしていた。そこでもまだ握手を求める子たち・・・。
 この時点で、「ああ、終わったなぁ・・・」と思った。
 その何というか〝感覚〟というか〝余韻〟というか〝実感〟というか、を大切にしたかった。ので、〝職員の茶話会〟には出ずに帰宅する事に決める。「先生、5分でもいいから出てください。」とか言われたが、「歓送迎会に出ますから」と言って職員玄関で靴を履き替え、外に出た。
 そこに、まだ何人もの子ども達がいた。その子たちと握手しながら、駐車場へ。
 車に乗り校門を出ようとした時、すぐ前の家の方が私に向かって深々とお辞儀をして下さった。昨年度担任した子の祖母の方だった。私は、ハンドルを握りながら会釈した。
 満開の烏川(からすがわ)の土手の桜を見ながら、「終わったんだなぁ〜」と思った。
 32年間の教師生活の終了を実感した瞬間だった。

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