中田英寿とライターさん
|
過去、中田英寿と絡んで、名前を売った代表的なライターさんといえば、小松成美、金子達仁、この男女であろう。(彼らの人間性は置いておいて)純粋に、イチ読者として、著作物からプチ批評してみる。 ■小松成美 取材対象の求心力のみで、市場に訴えている書き手である。賞畑出身ではないため、プロとしての筆力はなく、作品はどれも書きかけのような習作で中途半端。厳しく見れば、自費出版に相当するレベル、下手なブログかエッセイである。それに加えて、取材対処に酔いながらストライクしてるため、やや気分や感情に流されがち。もっというと、中田英の友人の奥さんが書いたような作品で、これに価格がついて、書店で並べられているのが驚きである。読んでいると、著者の感情にいちいちお付き合いするのが苦痛になる。 とにかく、作中は、著者の自己満足や無駄な箇所が散見され、自己満足のセンテンスが多すぎる。たとえば、筆者の私は、資料に目を通したとか、どこどこへ行ってどうしたとか、著者がどう思ったかがしつこく書かれていて、ノンフィクション新人賞応募作品(一次予選落選)のレベル。リライターに投げれば、半分以上削除できるであろう。「誇り」にしても、380ページ近いが、180ページにブラッシュアップ可能。 なによりもったいないのは、中田英との基本的なコンセンサスが得られているにもかかわらず、視点が主観的で幼く、(中田英に対して)頓珍漢な質問が多い。前述した「誇り」でも、中田英の引退を知ったわたしたち(筆者、サニーサイドアップ)周辺の苦悩というのは伝わるが、そんな苦しむ自分に酔ってしまっている。読者が読みたいポイントと、作者が書きたい分量・加減がズレていおり、肝心の中田英の苦悩が、情報の羅列のまま表面的になっていて、深淵が見えない。 また、筆者にサッカー感がないのが絶望的だ。サッカーが書くための道具になっていて、かつ、70年代、80年代からのフットボールへの造詣がないため、大衆的な印象程度で留まっている。フットボールを11人対11人のゲームでなく、取材対象者のための対象という視点しかないため、取材対象者についてはそこそこ書けていても、相対的な他の視点がきわめて弱い。 最後に、この作者だけに限らないが、フィクションに小説気取りの文章も要らない。書き手の自己満足のなにものでもない。とにかく、読んでいて、自慢話的なニュアンスが見え隠れしていて、正直、この著者のファンでないと読めない。 ■金子達仁 おそらく、好き嫌いの分かれる作者であろう。筆者が狙って、笑いを誘うような文章もあるが、筆者の実体験なので、笑えるには笑える。 「断層(28年目のハーフタイム)」「決戦前夜」「惨敗」など、特定の選手との結びつき(コネ)から書き手になってる印象が強いものの、一応は、賞畑出身ではあるため、一定の構成・筆力は持っている。平素のライターが陥りやすい小説くさいセンテンスも散見されるが、金子氏の場合は氏自身の人間性の軽さからか、許容範囲であり、むしろ、力が入らず、馴染んでいるかもしれない。 歴代の作品の中では、「断層」(「28年目のハーフタイム」)が抜きんでている。中田英、川口という2人のキーマンにのみ特化し、およそ、こうだろうという予測視点で書かれているが、ほぼ指摘している本質は当たっているといえよう。アトランタ五輪チームには真っ二つに割れた考えが存在していたが、ブラジルという強大な敵を前に、そんなものが吹き飛んだゆえのマイアミの奇跡だったという視点は、的を得ている。氏の武器は、筆力ではなく、あくまで視点である。 ちょくちょく著書を出すものの、初期の貯金を食いつぶすように、駄作が続く。「敗因と」は、ほぼ弟子達に書かせている。逆に、映像メディアに登場するようになった。最近は、取材して、文を書いて金を稼ぐより、ブランド化した自らの「名前」で金を稼ぐようになり、完全な鞍替えである。あくまで視点が武器の氏にとって、この方向性は、挑戦の可能性を削っているに等しい。楽をしているともいえよう。最近の文章も、精緻な取材も無く、経験則から、おそらく、こうだろうと決めてかかってるような文章が目立つ。試合を見すぎて、不感症になっているともいえよう。 |







金子さん、好きだったんですけどね〜。最近の力の抜き具合にはがっかりです。
2010/8/20(金) 午後 10:23 [ qazu ]
こんばんは
あいかわらず視点は悪くないのですが、もはや芸能人になっているのが…
2010/8/20(金) 午後 10:36
知らないことがわかって勉強になりました!
2010/8/22(日) 午前 11:00