「非常」から「日常」へ〜岩手医療支援report〜
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8 月のお盆を過ぎ、避難所で生活をしていた人々は仮設住宅やその他の場所へ移り大槌町の避難所はすべて閉鎖された。
震災以来人々の生活の基盤となっていた避難所が今はないというのは、避難所をおもに訪問していた私にとって正直不思議な感覚である。しかし、被災された方々にとっては避難所は「日常」なのではなく「非常」だったのである。今は「非常」から「日常」へ歩み始めたところなのだと気づかされた。避難所からもとの自宅へ帰り「日常」を取り戻せた人はどのくらいいるのだろうか。明確な数字ではわからないがそう多くはないはずだ。
お盆明けのある雨の日、私たちは少し向こうに海を望む仮設住宅団地に足を運んだ。そこで出会った年配の女性が「私は1人だから」と自宅に上げてくださった。
1人になったのは最近のこと。3月11日である。
「戦争もチリ地震の津波も経験したのになんでこんな目にまた遭わなければならないのかしらねえ。いいことをしてもいいことをしても罰はくるんだねえ。」
津波の警報がこの女性の近所では聞えなかった。避難した方がいいのかさえわからない状況の中、とりあえず妻を先に避難させた夫にその後生きて会うことはできなかった。
「息子はいい人に育ってくれた。でもあんまりいい人でもだめなんだよ・・。少しくらい悪い方がいいんだよ・・。」
消防団員だった息子は人々を助けに行き帰らぬ人となった。
「生まれも育ちもここだからね。(仮設も)どうしてもここがよかった。」と住んでいた地を望む山の中腹にあるこの団地の近くには、店も病院もない。
震災以来張り続けた緊張は、仮設住宅に移った翌々日に切れめまいで起き上がれなくなった。病院へは、1時間半に1本というバスに乗ることもままならず、「わずかな貯金」を使って毎日タクシーに乗るしかなかった。
震災から4カ月以上がたつが、初めて会った私たちの前で涙がとまらない。
この女性の「日常」は3月11日で止まったままである。
「ただいまー。」とドアが開き隣に住む小学生の孫が学校から帰ってきた。初めて女性に笑顔がうかんだ。娘と孫は震災後数日して再会できたのだった。
避難所を出て新たな場所で始まった生活が「日常」への前進であるよう、孤独ではなく「つながり」の場であるよう願いつつ引き続き一緒にあろうと思う。 |







お疲れ様でした。 継続して被災地への訪問、頭が下がります。
この女性の方のお話に言葉が見つかりません(涙) でも、前を向いて生きていかれることを祈ります。
2011/8/26(金) 午前 10:02 [ Yoshiko ]
Yoshikoさま、コメントありがとうございます。
現地で被災された方々のお話を聞いていると、言われる通り本当に言葉がみつかりません。
これ以上ない苦しみの中から、少しでも安らぎや力が戻られるといいですね。。
2011/8/29(月) 午後 9:33 [ fumie ]