山内薬局のぼちぼちブログ

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昭和10年12月15日の映像

昨日大島小太郎ゆかりの方から一枚のDVDが送られてきました。

以前当店の掲示板に書き込まれた方でした。

掲示板

題名:お尋ね  名前:ふじ 2009/10/13(火) 07:39 No.1182

はじめまして。長崎市在住の大島小太郎のゆかりのモノです。
先日唐津の親戚筋より昭和10年に撮影されたビデオをいただきました。その中に大島小太郎翁の銅像除幕式の模様が写されておりました。一度その場所へ行ってみたいと思っているのですが、
もしご存知でしたら場所を教えてください。よろしくお願いいたします。






題名:Re: お尋ね  名前:山内薬局 2009/10/13(火) 16:10 No.1183


はじめまして
昭和10年の映像。私は見たことがありませんので、何とも申し上げられません。
もしよろしかったら、見せていただけませんでしょうか。






題名:Re: お尋ね  名前:ふじ 2009/10/20(火) 20:23 No.1184

その後こちらでも調べましたところ、銅像除幕式映像の場所は唐津市鏡山だそうです。その後一族で神社(場所不明)に参拝する風景、石灯籠の感じから大島邸の庭園が映っているようです。

大島邸解体前にぜひ訪れたいと思っております。






送られてきたDVDを何度も見ていました。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4





丘の向こうには海。唐津城から眺める松浦潟なのかと
思ってみていますと、どうも見慣れない風景。唐房の半島らしきもの。つぎに右にカメラが動きますとそこには神集島が見えてきます。
そして東の浜と思っていたところの先に小高い丘、恐らく衣干山。その先に西の浜が続きます。これは大島山からの眺望だろうと思われました。
イメージ 5


イメージ 6



イメージ 7



除幕式
大きな台座です。
イメージ 9


銅像は玄界灘に向かっています。
イメージ 8


除幕式が終わり、恐らく大島山の山頂広場と思われる芝生の上で子供達が遊びます。

次は鏡山。鏡山神社も出てきます。展望台はお決まりのコース。
現在の展望台の辺りが映し出されます。
佐用姫のひれ振りの松の辺りに「酒の太閤」のベンチ
イメージ 10


ひれ振りの松の前で記念撮影でしょうか。
立派なおひげの大島小太郎さんもにこやかです。
イメージ 11


除幕式が終わって車にゆられて鏡山。少々お疲れのご様子。
この状態で小太郎さん暫く動きません。
イメージ 13


元気を取り戻してさあ山を下りよう。
何とも言えぬ笑顔です。
イメージ 12




これを撮影したのは大島小太郎の末息子さん。
鶴城同窓会名簿に依れば、古舘正右衛門と同級生。明治33年?生まれ。
不思議な縁で、これを送って下さった方のお父様と正右衛門の奥さんの弟の長男とは小中高大学まで同級生だったそうです。

このハンドルネーム「ふじ」はご自分の祖母である大島小太郎の長女フジからきたものでした。

大島小太郎に関しては宮島醤油さんのサイトに詳しく書かれております。
「去華就実」と郷土の先覚者たち
第12回 大島小太郎
http://www.miyajima-soy.co.jp/kyoka/shaze12/shaze12.htm

これを見ても分かるように、明治以降の唐津の産業の創世記、あらゆる分野で大島小太郎は唐津のために活躍された方です。

デジタル版 日本人名大辞典によれば
大島小太郎 おおしま‐こたろう
1859‐1947
明治-昭和時代前期の実業家。
安政6年8月9日生まれ。三菱商業学校、二松学舎にまなぶ。明治18年唐津銀行頭取、佐賀県会議員となる。呼子県道、九州鉄道、唐津鉄道、北九州鉄道の実現、唐津電灯の設立や唐津港の開港につくした。昭和22年12月17日死去。89歳。肥前唐津(佐賀県)出身。


大島鎭子さんの妹さん(現在96才)からの手紙では
「小太郎が受けた教育のことで私が小さい時に小太郎さんから聞いていたことです。興義(小太郎の父)は小太郎を福沢諭吉にあずけて教育をして貰ったと聞いていました。それで和服に前掛け姿で福井沢先生の下で教壇に立って教えたと聞きました。それが慶応大学の源だと小太郎から聞いておりました。私がびっくりしたのでよく覚えています。」

ウィキペディアに依りますと
三菱商業学校(みつびししょうぎょうがっこう)は1878年(明治11年)3月、神田錦町に三菱財閥が創設した教育機関、慶應義塾の分校[1]。明治14年に「明治義塾」と改名。1884年(明治17年)廃校。

なるほど。

さて大島山の除幕式だが、当時の新聞を探してみた。
唐津市近代図書館には昭和10年頃の唐津に関する新聞はなく佐賀新聞のマイクロフィルムしかなかった。
昭和10年12月15日前後に唐津の記事はほとんど見あたらない。
海軍中将が佐世保から転勤する時に、匿名で真綿が送られてきた。中将は唐津の消印を頼りに調べると、嘗ての海軍の部下で京町で旅館を営む主が居て、そこの女中から送られたものだった。旅館の主は中将をこよなく尊敬し常々女中達に話をしていたのだそうだ。
そんな記事しかない。

当時は唐津日々新聞だと思うが、唐津特ダネ新聞の時のように、また国会図書館に出向かねばならないのか。佐賀の県立図書館にはないのかな。

銅像が鏡山ではなく、石炭の積出港である唐津港と唐津の鉄道が望めるこの大島山山頂にあってこそ、大島小太郎の偉業は後の世まで語らい継がれるのだろう。

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もしかしたら、佐志の浜田城あたりでしょうかね?
砂浜が見える写真は西の浜かとも思いましたが、
左側に平地が続いていますので、これは大島に続く部分で、
丘は今の西唐津公民屋館がある場所でしょうか。

2010/2/4(木) 午後 10:41 [ sug**o_in_*a*por* ]

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たびたびすみません…

いま、Yahoo!地図を見ていますが、
以前二中があった所の西側、204号から橋本町に抜ける坂のあたりに
それっぽい所があるような気がします。

2010/2/4(木) 午後 10:49 [ sug**o_in_*a*por* ]

顔アイコン

なるほど
あの丘は衣干山ではなくて妙見神社の丘ですね。
ということは、銅像は大島ではなく、二中の西、佐志の八幡さんの上辺りですね。

2010/2/4(木) 午後 11:32 山内薬局

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グーグルマップやグーグルアースを眺めています。
唐房の黒崎山からの眺望とは考えられませんでしょうか。

2010/2/5(金) 午前 10:47 山内薬局

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[唐津情報]すごい

 唐津中央商店街の京町商店街にある山内薬局さんのブログで、大島小太郎さん(宮島醤油さんのホームページにある解説→no titleをご覧ください)の銅像除幕式の映像が取り上げられています。  映像が撮影されたのは昭和10年のことで、銅像は供出されたと思われるので現存

2010/2/7(日) 午後 1:28 [ からつ大学交流連携センタースタッフ日記 ]

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