山内薬局のぼちぼちブログ

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松浦八景

あることで龍源寺の話になり、確か松浦八景に登場したと記憶していた。
 
佐賀県の地名(平凡社)には
「竜源寺の晩鐘」は松浦八景の一つとされる。
と書かれていた。
 
牧川書店発行の次の二冊にも松浦八景の記載あり。

 
唐津名勝案内
初版 明治35年
 
松浦八景(或る書に見へたるまゝ)
 
江城夕照
 影遠く寫る夕日の清き江に光を添る玉の高殿
 
吉井晴嵐
 吹払ふ嵐も繞む夕去ばよしや吉井の雲の浮岳
 
鏡山秋月
 鰭振し昔の人の面影も寫る鏡の山の端の月
 
松浦川夜雨
 打寄て返る並木の松浦川音社別れ夜半の時雨に
 
入野暮雪
 日も早く入野の末の夕映を月に不譲雪の色哉
 
綿田落雁
 夕月の影を愛てや白妙の綿田の面に落る雁
 
遠寺晩鐘
 山深く尾上に響音す也霞をくゝる入合の鐘
 
響灘遠帆
 波風も遠く響の灘にさへ浮世の外を渡る舟人
 

 
唐津名勝案内
大正10年版
 
古来風光明媚の地には到る処八景の撰あり。唐津もその例に洩れず、前揚韓人錦圃の唐津八景と共に坊間松浦八景と称ゆるものあり。
 
江城の夕照
 影遠く寫る夕日の清き江に
    光を添ふる玉の高殿
 
吉井の晴嵐
 吹き払ふ嵐も撓む夕去れば
    よしや吉井の雲の浮岳
 
鏡山の秋月
 ひれ振し昔の人の面影も
    寫る鏡の山の端の月
 
松浦川の夜雨
 打寄て返る並木の松浦川
    音こそわかれ夜半の時雨に
 
入野の暮雪
 日も早く入野の末の夕映を
    月に譲らぬ雪の色哉
 
和多田の落雁
 夕月の影を愛でゝや白妙の
    和多田の面に落る雁がね
 
龍源寺の晩鐘
 山深く尾の上に響音す也
    霞をくぐる入相の鐘
 
響灘の遠帆
 波風も遠く響の灘にさへ
    浮世の外を渡る舟人

 
ここで龍源寺登場。
 
この松浦八景はいつ作られたのか。
 
そもそも**八景とは近江八景に端を発するようでして・・・・・。
 
 
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唐津城は名護屋城の後衛だったかもしれない

今朝の朝日新聞には出土した瓦のカラー写真付きで次のように書かれていた。


唐津城 秀吉時代の?金箔瓦
      朝鮮出兵の拠点か
 
 佐賀県唐津市の唐津城の発掘調査をしている市教委は25日、金箔瓦の破片4点を発見したと発表した。今の天守台石垣より古い石垣裏の盛り土から見つかったことから、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した文禄・慶長の役(1592〜98年)ごろに金箔瓦を使った出兵拠点が唐津城のある満島山につくられた可能性があると市教委は見ている。
 市教委によると、瓦の表面に金箔を張り付けた金箔瓦は豊臣政権の「力の象徴」。全国約40カ所の豊臣家ゆかりの城から出土している。唐津城(1602〜08年ごろ築城)でも2009年から10年にかけて計4点出土しているが、いずれも表土などからで時代を特定できなかった。
 今回、天守台石垣から約4㍍南側の地中から旧石垣が見つかった。
 金箔瓦が見つかったのは、旧石垣裏側の盛り土の中。地表から深さ約0・5〜約2㍍のところにあった。鱗の形をした鯱瓦で、金箔がところどころ残っている。鯱の胸びれと見られる部分は横約14センチ、縦約10センチ、高さ約6センチの大きさ。そのほかは目や顔の一部と見られる。
 秀吉の朝鮮出兵は、玄界灘を望む唐津市鎮西町の名護屋城と周囲の諸大名の陣屋を拠点とした。長崎県対馬と壱岐に前衛の拠点、福岡市内に後衛の城が設けられ、唐津湾に臨む標高42㍍の満島山にも後衛の拠点があったのではないかと市教委は見る。その建物の遺構は残っていないが、当時の薩摩・津和野両藩の古文書に「唐津にいい城がある」との記述が見えるという。
 市教委文化課の坂井清春さん(35)は「文禄・慶長の役当時、満島山に金箔瓦ぶきの建物が建てられ、それが何らかの理由で壊れて土に埋まった。その数年後に旧石垣が築かれたのではないか」と推測する。
     (田中良和)
      朝日新聞 2011.10.26


唐津城から金箔瓦片を発見
 唐津市教委

 唐津市教委は25日、唐津城天守台南の中段広場の地中から、金箔(ぱく)が付いた瓦の破片が見つかったと発表した。築城以前に造られたとみられる石垣の裏の盛り土から出土しており、市教委は「築城前に、豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として築かせた建物の瓦とも考えられる。発掘調査以来、最大の発見」と話す。 
 地表から0・5〜2メートルの盛り土の中で、一部に金箔が付着した瓦の破片四つが出土した。こぶし大で、黄褐色。鯱(しゃち)瓦とみられ、ひれの形や目、口の曲線が描かれている。 
 城郭で金箔瓦が使用され始めたのは安土桃山時代から。文禄・慶長(1592〜98年)の役の拠点・名護屋城(唐津市鎮西町)を築いた秀吉は、軍事的拠点などに限って金箔瓦の使用を認めており、市教委は同城に近い唐津城のある満島山に後方支援の拠点を築かせたと推測する。 
 市教委は「金箔瓦を使うほどの重要な建造物が築城前に存在したことを示す物証が出たのは初めて。唐津と秀吉との関係など、唐津城の謎の解明に向けて大きく前進する」と話す。 
 唐津城では2009年4月〜10年12月の調査でも4点の金箔瓦の破片が発見されているが、表土や後世の土層で発見されており、年代などは特定できていなかった。 
 市教委は30日午前10時から、唐津城中段広場で現地説明会を開く。問い合わせは市教委文化課、電話0955(72)9171へ。

佐賀新聞 2011.10.27

唐津城跡:城内から最古の石垣 謎解明へ
 築城以前の状態示す遺構
 
 ◇豊臣政権の朝鮮出兵への考察にも
 唐津市教委は25日、唐津城跡の本丸文化財調査で、中段広場の天守台下から、築城以前のものとみられる石垣が見つかったと発表した。築城以前の状態を示す遺構が発見されたのは初めて。近くでは、文禄・慶長の役(1592〜1598年)のため名護屋城に布陣した豊臣秀吉が家臣らにしか使用を許さなかった金箔(きんぱく)瓦の破片4点が出土しており、市教委は櫓(やぐら)や御殿など、秀吉が関係する重要建築物があった可能性があるとみている。
 市教委によると、石垣は地下1・5メートルで8月下旬に見つかった。残っていたのは高さ3・5メートル、延長5・7メートルで、50センチ〜1メートルの石20個を確認した。
 これまでに見つかった最古の石垣は唐津城築城(1602年)時期のものだったが、今回の石垣は1591年の名護屋城築城から唐津城築城までの間に造られたとみられる。
 文禄・慶長の役では、周辺を120に及ぶ大名の陣屋が囲んだ名護屋城を本営として、壱岐や対馬を前衛拠点、筑前の名島城などを後詰めの拠点としていたことが知られており、唐津にも重要拠点が築かれていたと考えられる。
 市教委文化財担当の坂井清春さん(35)は「唐津城築城の様子は不明な点が多いが、今回具体的な遺構を初めて確認することができた。これは築城の謎を解明するだけでなく、豊臣政権の朝鮮出兵態勢の考察にもつながる」と話した。
 市教委は30日午前10時、現地説明会を開く。集合は同城跡中段広場。問い合わせは市教委文化課0955・72・9171。

毎日新聞 2011.10.27  【原田哲郎】
 

 
 
唐津城築城以前に建物
 文禄・慶長の役の後衛拠点か
唐津市教委は25日、唐津城の石垣発掘調査現場から、城で最も古い旧石垣と 金箔 ( きんぱく ) を施した瓦の破片を4点発見したと発表した。豊臣秀吉の政治的権力の象徴である金箔瓦、石垣の構築法から、唐津城築城より以前に建物があった証拠で、文禄・慶長の役(1592〜98年)の後衛の拠点として築かれた可能性が高いとしている。
 天守閣南側の中段広場で、地表から深さ1・5〜5メートル掘り下げたところ、旧石垣は南北に延長5・7メートル、高さ3・5メートルで見つかった。金箔瓦は、この石垣裏の盛り土の中から出土した。 鯱 ( しゃち ) 瓦の一部とみられ、一番大きいのは横14センチ、縦6センチ、厚さ10センチあった。焼きが良くない軟らかい仕上がりで、いずれも一部が金色に輝いていた。
 唐津城は、伝承や江戸後期の庄屋文書から1602〜08年に築かれたというのが定説。しかし、旧石垣は自然石を積み上げた工法から、名護屋城(唐津市鎮西町)築城が始まる天正19年(1591年)から、慶長年間前半(1605年頃まで)のものと推定され、唐津城より前に金箔瓦を用いた建物があったとしている。
 秀吉は文禄・慶長の役に際して名護屋城のほか、対馬、壱岐(いずれも長崎県)、福岡市・名島に城を築いたのが知られており、島根県・津和野藩家臣の従軍日記「朝鮮陣留書」に「唐津によき城ある」などの記述もある。これらから、市教委文化財担当の坂井清春さん(35)は「豊臣政権によって後衛の拠点として築かれた建物」とみている。
 石垣技術研究機構(佐賀市)代表の高瀬哲郎さん(60)は「旧石垣は自然石の野面積みの技法から名護屋城と同じ時期に築かれたのは間違いない。金箔瓦を使った建物があったのは、秀吉が唐津を名護屋城中心の広域的な軍事拠点の一つとしていた物証だ」と話している。
読売新聞  2011年10月26日 )
 

 
 昨夜8:50NHKのローカルニュースで唐津城から名護屋城築城当時と思われる石垣と鯱の金箔瓦の一部が天守台南から出土したと報じられた。通説を覆す発見になりそうだ。文化課の方のインタビューで「この発見は唐津城は名護屋城の後方支援のための城(建物)であったという物的証拠になる可能性がある」と言っておられた。
以前山田洋先生が末廬國に投稿された記事がここで再び脚光を浴びることになる。
http://tamatorijisi.web.fc2.com/karatujyou1.html
庄屋文書にみる唐津城築造年代の一考察
築城年代が変われば城下の整備年代も変わってくるはず。
「佐賀県の地名」(現在唐津関係をネット化中)の中に満島山から移したとされる神社や祠が多数書かれている。
金箔瓦の建物が建つ前は満島山は唐津松浦の祈りのメッカだったような気がする。秀吉の鶴の一声で多くの神社や祠は唐津の各所に移されたと言うことは、同時に唐津の城下もある程度整えられ、多くの人が住み着いたと考えられる。
 
松浦川の流れを変えたのも実は名護屋城築城時期に一気になされたのだろうか。
千人塚の話も関連して変わってくるな。松浦川、波多川の流れを変えて唐津城として形をなしたのがいつなのか。
城下の町割(都市計画)は同時期に作られたのか。
 
 
イメージ 1
(この図は松浦川の流れを変える前と後を記しています。)
 
唐津の近世史はなかなか面白くなってきた。
 
 
(来週の今日は唐津は宵山。)
 
 
 
 
唐津城跡本丸文化財調査現地説明会が開催されるようです。
 
【とき】
 平成23年10月30日(日) 午前10時から(1時間程度)
【ところ】
 唐津城跡本丸の中段広場に集合
【参加費】
 無料
【その他】
 事前の申し込みは不要です。
 現地はデコボコや段差が多いため、動きやすい服装で参加してください。
 雨天時は内容を一部変更して実施します。
【問い合わせ】
 文化課 TEL 0955-72-9171
 
 
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玄海の轍 唐津軌道始末記

3年ほど前にうちの掲示板に投稿された一枚の写真が発端で、唐津軌道に関する資料などが集まりました。
 
唐津軌道に関して
 
先程
googleアラートで大ヒット!
 
 
玄海の轍 第2話 唐津軌道始末記(上) ‐ ニコニコ動画(原宿)
鉄道史シリーズ04の第2話は、唐津を中心に軌道運営を行っていたとあ............
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15532611
 
 
なかなか良く纏まっています。

歴史的背景も大変勉強になります。
根底には水火の争いが尾を引いていたと言うことですね。
 
 
制作されたあかつき3号さんに心から感謝する次第。 
 

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郷土史誌 末廬國 時代別索引ネット化完成

唐津東松浦の歴史を繙く場合、先ずは覗いてみる本があります。
 
松浦史談会が定期的に発行している季刊誌の合本です。
 
調べる度に索引をまた最初から眺める作業が繰り返されます。
このたび私のために索引を使いやすくするためにネット化に着手しました。
4日間で完成しました。
 
2巻に分かれています。しかし、このサイトであれば関連した事項は一発検索! 
 
イメージ 1
 
合本は確か図書館にございます。気になる記事は図書館でご確認下さい。
 
 
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水火の争ひ

原発の是非を争う今、ふと明治の水火の争いを思い出しました。

http://tamatorijisi.web.fc2.com/isiibon.html
「明治・大正の唐津」より
 
 
水火電力の大軋轢
 唐津に電灯がついた六十年前(昭和43年頃の記事ですから現在では約100年前になります。)、唐津と西海商業との両銀行を背景とする火力水力の対立は、町をあげての大争議となった。そして互いにしのぎをけずって住民に呼びかけ、水力派が劇場舞鶴座で無料演芸会を開いてその幕間に水力の宣伝演説をなすが、火力派も之れに対抗して招待演劇会を開き、街頭では双方頻繁に宣伝演説をなし、中流以上の家庭ではその私生活にまで相当な支障を来たし両派の人々は知人同志、道で逢っても顔をそむけて通り過ぎ日常の買物でも反対派の店の前を通り過ぎて同派の店から買うといった今からでは想像もつかない対立、殊に甚だしいのは、某水力派の有力家の若妻君が火力派の出であったため、家庭争議が持上り姻戚間のにらみあいとなって、其結果は離婚してしまうという悲劇まで出来てしまった。
 其間水力派は、資金繰りのため町会議員渡辺賢肋氏が代議士川原茂輔氏を介して中央に働きかけたが、其間火力派は着々行動を進めて明治四十一年十一月、唐津町会満場一致で会社創立の同意を得、創立準備を進め四十二年五月に主務省の許可を得て、直ちに船官に火力発電所建設に着手した。
 そこで水力派は妨害運動にとりかかり、全町内の区長の約七割を味方とし、手別けして戸別訪問、火力電気を使用せぬという誓約書までとりまわった。然し火力派では着々事業を進捗し町内の道にも電柱の建設に取りかかった。
 ところが四十三年四月の町会で、神崎音之助議員から唐津電気会社が唐津町の里道に電柱を建設しているが、許可を与えてあるかという質疑があり、町側からは電灯会社設立について無条件で承認してあるから、電柱建設は差支えないと答弁、議員と町当局の間に猛烈な押問答があり、馬場繁夫議員から会社建設を無条件承諾したるは里道使用を含有しない、若し含有するとせば決議其のものが無効であると抗論して論議がつきなかったが、神崎音之助、渡辺賢助両議員から、唐津電気が町道に電柱を建設したのは町の権利を侵害するものだから、町長は会社に至急電柱を取除くよう命令せよといった建議案が提出され、五名の審査員を選んで審査をした結果、電柱取除きの建議案を承認して本会議に廻し、本会議でも異議なく取除き要求に決定した。
 ところが、これからが、不思議、町会の半数十二名の議員から電柱取除きについての臨時町会開会の要求があり、五月十二日に招集されたところ、十二名の提案者全部が欠席、五月二十三日に至って開会請求をした十二名の議員から、電柱取除き要求の建議案を取消した。一般常識では判断の出来ない事実、この裏の工作については、故人の名誉に関することも出てこようから、ここでは取上げるまい。
 こうした町会ゴタゴタの間に、巷間では既設電柱を引倒すといういたずら者まで出て来たが、これは誰の悪意か故意か更にわからぬ儘になった。
 こうした電柱事件、雑多な波瀾をともなった末、五月三十一日の町会で、会社から街灯寄附の申出即ち街灯三十二燭光を二十カ所に三カ年無料点火することを条件の一つとして曲りなりに解決した。
 こうしたゴタゴタの中に架設工事は徐々に進行、六月一日愈々唐津の町に始めて電灯がともることとなった。電灯需用家数約二百戸、灯数十燭換算一千余灯、電力の供給はまだまだ。そして電力の需給は一応はじまったものの水火の軋轢は尚やまず。或る料理屋で、お客が水力派であるために電灯を消してランプを点けたという面白い実話さえある。そしてその結末に、舞鶴公園伐木事件、八町会議員の辞職間題まで起るという珍らしい事件にまで発展したが、この話は何れつづいて。
 
 
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