武雄で唐津を見た
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息子のサッカーの練習試合で武雄高校へ出かける。
前回の白石高校の時は鹿島の赤門が目当てだったが、今回は武雄温泉。
「ちょっと用事を済ませてきます」と言い残して武雄高校の坂を下る。
45年ほど前、町内の子供クラブや婦人会・老人会の旅行で武雄温泉には何度か来たことがあったが、楼門をくぐったのは始めて。
駐車場に車を止めて、ふと駐輪場を見ると唐津銀行の大きなポスター。更に唐津くんちのポスターが目に入る。
何故かうれしい。
まずは朝湯。元湯400円。
10人ほどの先客。
常連さんもいるようだ。
天井が高くて落ち着く。
梁を支える大きな持ち送りは木が新しいようだが良くできている。
至る所補修してあるが大切に使われている様子がうかがえる。
久しぶりにゆっくり湯に浸かった気がする。
スッキリした後に目当ての「武雄温泉新館」見物。
ご存じ辰野金吾さんの作。
昭和48年まで浴場として営業していたと書いてあった。
平成15年に復元されたようだ。
私の幼い頃の記憶ではこのような鮮やかな朱のイメージは全くない。
くもの巣の階段を二階に上がってみる。
二階から楼門を眺める。
二階の廊下
違い棚には設計者辰野金吾の肖像が飾られている。
床の間は飾り一つない。ちょっと殺風景。
掛け軸の一本でも下げてあれば締まると思うのだが。
恐らく奥の部分が崩れたのだろう。長押の材が違っていた。
1階の展示室には豊臣秀吉が示した朱印状「入浴心得」が 残されている。
文禄・慶長の役の際、名護屋城に集められた多数の兵士が武雄温泉を訪れたそうだが、 兵士に対し、他の入浴客に迷惑をかけないようにと、秀吉が書き記したそうだ。
間取り図を見る。
「ヒロマ(広間)」を中心にして「ゴセンユダツイバ(五銭湯脱衣場)」「ジュッセンユダツイバ(十銭湯脱衣場)」など全てがシンメトリック(左右対称)。
「円」をモチーフにシンメトリックに建てられた日本銀行本館も同じく辰野金吾。
「ヒロマ」は今は売店に。
この感じ。「千と千尋」っぽい。
床下の通気口が洒落ている。
鬼瓦
大玄関の蛙股にも鶴の紋が彫ってあったが、武雄温泉の紋だろうか。
唐津の「まいづる」にちょっと似ている。
武雄温泉の隣に広福禅寺がある。
その山門前の民家の鬼瓦がイカしていた。
杉木立の下に石仏たちが出迎えてくれた。
拝観まではしなかったが、庭も手入れがされていた。
閉ざされた山門まで石段を登り杉木立を見下ろす。
広福禅寺の塀の軒瓦
次に武雄の目当ては味噌。
なかなか美味しい味噌の当たらないが、なるせみそは好み。
家内は普通の味噌と上等の味噌を頼んだそうだが、上等の味噌だけしか買ってこなかった。
「橘」あわせ味噌get。
なるせみそのホームページでは特上味噌”肥前路”
代々口伝されてきた製法を忠実に守り厳選された素材と貴重な五島の天日干し塩“とっぺん塩”使用の自慢の味噌。これが「橘」というシリーズに名前を変更しておられる様子。ホームページはまだ更新されていないようだ。
唐津の「一の塩」使用のあったようだが、今はないとのこと。
(帰り際にお土産まで頂きありがとうございました。また来ますね。)
途中、武雄駅の前を通る。
高架になっていたとは知らなかった。
駅名は「武雄温泉駅」(昭和50年に武雄駅から改名)
駅舎は煉瓦調の壁面。唐津駅よりおしゃれ。
将来的には九州新幹線長崎ルートの駅舎が併設される予定とか。
東京駅を設計した辰野金吾の故郷、唐津の駅舎も煉瓦調にしようという話も聞いたことがある。その後どうなっているのだろうか。
次に餃子会館。焼き餃子8個400円
これは普通の餃子ではない。餃子の先入観で食べると「なんじゃこりゃ」ですが、次々食べていくうちに何故か許せるようになっていました。
午前中終了
昼過ぎに武雄高校に戻りました。
抜けるような秋の空の下、子供達は大いに汗をかいていました。
有意義な武雄遠征でした。
帰り道の途中、武雄を抜ける角に「唐津往還」の石柱を見つける。
文禄慶長の役の際、武雄まで湯を使いに来た兵士達はこの道を名護屋〜唐津〜伊万里〜武雄と歩いていたんだな。川古の大楠は彼らを眺めていたに違いない。
そんなことを思いながら子供達を乗せて唐津へと急いだ。
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