美しく歳を重ねるために

ドイツ南部シュツットガルト市郊外の町に6月まで滞在予定。孫育て応援です。元気でやんちゃな男の子相手に闘っています。

仕事・教育

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「スケバン刑事」の原作者・和田慎二さんは高校で同じクラスだった

■土曜日にあった高校時代の同窓会で分かったこと。
 
当時漫画を描くのが上手で、卒業アルバムのわがクラスのページの背景も描いているI君は、
クラス会に一度も来ていないので、その後どうなったかいつも話題になっていた。
 
「少女漫画家になったらしい。」と言うのを前々から聞いていた。
今回の同窓会でも話題になって聞いてみたら、
「あの<スケバン刑事>の原作者らしいよ。」と言う人がいた。
 
早速、ネットで調べてみたら・・・やはりそうだった。
原作のペンネーム和田慎二、本名も生年月日も適合する。やはりそれは真実だった。
 
大学在学中に漫画家デビューして、
「スケバン刑事」は1976年から1982年に描いたようだ。26歳から32歳の時だ。
この作品は1985年テレビドラマ化されて、斉藤由貴、南野陽子、浅香唯の主演で知られる。
映画化もされた。
我が家でも子供達と一緒にテレビをよく見た。
 
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一度同窓会にも参加してお話を聞かせて欲しいものだ。
 
■■夜になって同窓会の幹事さんからPCにメールが届いた。
幹事さんには随分お世話になり、こちらからお礼を言わねばならなかったのに・・。
わがクラスは9クラス中参加数が一番多かった。ひとえにこの人の功績だ。
メールアドレスの分かっている人への一斉メールだ。
 
私も何人かの「全員返信」にした。こういうのはやったことがない。
会社で使い慣れている人には何ともないのだろうが、学校の職場ではあまり使わなかった。
ブログ歴は長くても、PCメールはあまり使うことがなくていつまでも不慣れだ。
ドイツに居る娘に送ったり、懸賞や講演会への応募などでは使っているが・・。
 
私の同窓会のことを書いたブログ記事も紹介させてもらった。
 
それでも、便利な世の中になったものだと思う。
ハガキの時代から電子メールの時代への変化は、かつて想像もしていなかった。
 
今回の同窓会から広がる色々なことがあった。

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高校の同窓会に参加

■昨日はリポーターの取材で朝から出かけた。
9時半からの開会式は実行委員長の挨拶などもあるので居たほうが良いし、
そのうちあれもこれもついつい見ていたら、とうとうステージ発表のすべてを2時前まで見た。
その後、展示やバザーなどを見て会場で食事もしたら、帰宅は3時頃になった。
 
イメージ 1
 
■ちょっとゆっくりしたらもう夕方からの高校の同窓会へ出かける時間だ。
同窓会は6時から2時間。場所は市内中心部のリーガロイヤルホテルだ。
 
今年は何かあれば頭に「還暦」がつく。
「○○高校の同窓会はどこですか?」とホテルの人に聞いたら、
「あ!還暦同窓会ですね・・。」といわれた。
もちろん会場内の看板にも書いている。
 
会の2時間は本当にあっという間で、懐かしい人との再会は楽しかった。6〜7年ぶりか。
9クラスのうち140人近くの参加だが、半分には満たない。
それでもかなりの出席率だ。大きな会場一杯の人だった。
 
分かっているだけで、物故者が22人もいたのには驚いた。還暦を待たずに亡くなるとは若すぎる。
同窓会の初めに物故者へ黙祷とは、悲しい現実だ。
 
色々な人としゃべり続けて、時間も忘れた。
気付いたらあまり食べていないうちにほとんどの料理が片付けられていた。
写真も撮り忘れた。
 
8月には小中学校の同窓会があったが、それとはまた違った懐かしさや楽しさがあった。
大学時代ともまた違う。
思うに、高校時代が一番楽しかった。同窓会に参加しても一番落ち着けるのがこの時代だ。
 
小中学校時代は子供に戻り、「ちゃん」付けで呼ばれる嬉しさもあるが、
高校から広島市へ通学したので、故郷の友とも何だか次第に疎遠になった。
高校のたった3年だけれども、深くて思い出の多い生活だった。
 
話は定年の内容が多かった。今年の誕生日とともに定年になる人もおり、
既に辞めた人も多かったが、再雇用で働く人も多い。
 
仲良しの友2人は私のブログをしっかりと読んでくれているので、一から話すこともない。
記事に出来ない箇所をも読み深め慮ってくれているほどの読者には、恐縮、感謝、感動である。
 
男性は外見に差があり、同級生とは思えないような人もいた。
女性は化粧でごまかせるので、みなきれいに若くしてさほど差がないようだ。
 
それでも、みな当時の顔を思い出せば誰だかすぐに分かるのだ。
私も「本当に変わらないね〜」と言われる。横幅は広がったが、顔だけは昔のままだという。
私を評して「真面目でおとなしい人だったよね。」と言う人がいた。そんな印象だったのか・・・。
 
喋りまくったのに、それでも意外に多くの人と話していない気もするが、
朝から出ずっぱりなので2次会は失礼して、女性3人で途中まで一緒に帰った。
 
「5年後くらいにまた会おうね。」「元気でいようね。」が別れの挨拶だ。
 
▲我が家の菊が咲き始めた。

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仕事について考えるようになった・・・

最近<仕事>について、少しだけ・・考えるようになった。
 
これまでは「もう絶対に仕事をする事はない。」と宣言していたが、
最近ブログのお仲間の方が仕事を再開したと聞き、
私も何か考えるようになってきたのだ。
 
早期退職してからもう1年半になる。さすがに遊び飽きた感じはする。
これまでにも遊びまわることはあったが、それは仕事を持っての余暇でのこと。
仕事の合間の遊びは、ある意味で心地良いものがあった。
 
今は仕事もせずに余暇活動ばかりだから、
これでいいのか・・と考えるようになったのだ。
生産なくして消費ばかりだから、考えてしまう。
 
実家の父も退職後70歳まで働いた。舅も退職後書道塾を何十年もした。
近所を見回しても、退職後みな働いている。夫婦して家にいるのは70歳代以上だ。
夫とて考えるのだろうが、その気があまりないようで、私のほうが日々考えている。
 
もちろん、もうフルタイムで働くことはしたくはない。
子育てや家事との両立の仕事は、今考えてもそれは決して楽なものではなかった。
 
出かける前の慌しい朝のひと時は、思い出すだけでももう嫌だ。
もうしたくはないし、もう出来ない。帰宅後から寝るまでの忙しいこと。
もちろん仕事そのものも楽しいばかりではなかった。
辛いこともあるのが仕事人の通例だ。
 
それなら、今の私には何が出来るだろうか・・・と考えるに、
そうたくさんの選択肢があるわけでもない。
どうしても前職に関わることしか出来ないのである。結構つぶしはきかない。
 
教職とて、やる気なら今は再就職は結構あるのだが、
もう毎日規則正しく出かける生活は出来ない。
サラリーマン生活のようなことは、もうしたくはない。
 
それより、きつくない程度で、ほど良い刺激のあるものはないだろうか・・・?
そんな都合の良いものはないだろうが、家で出来ることをしたい。
 
私には「教える」ということと、「書く」と言う事を生かして出来るものになるだろう。
そうだ・・・「毛筆習字」の「賞状書士」の通信教育を終えていたのだ。
その時は考えてもいなかったが、これが何か生かせないだろうか・・・・?
 
今現在、模索しながら色々と考えている。

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小学生の米作り体験の田んぼも稲刈り

今朝の散歩途中で栗拾いをしている人を見かけた
もう収穫の時期なのだ。
 
最近は、家から一番近いスーパーへは自転車で買い物に行く。
真夏には汗だくになり苦だったので、近いのに自動車で行ったりしていた。
今は車を出す時間には行けそうだと考えて、さっさと自転車に乗って出かける。
 
帰りは上りで、以前は途中で歩いていたが、今では1回も歩かずに家まで帰れる。
朝の散歩で体力がついたのか・・・?
 
途中で、田んぼの稲刈りがもう済んでいるのに気付いた。
近くの小学校の児童たちが植えた稲だ。
 
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そういえば今年は田植えも見ることが出来なかった。
稲刈りがもうそろそろだと気付いてはいたのに、あっという間に刈られた。
そのどちらも見ることは出来なかった。
その気ならしっかりと日にちを聞いておかなければ見ることは出来ない。
去年は田植えを見たのだが。
 
今年7月の記事→「小学生の米作り体験」
 
田んぼのあぜ道には彼岸花が咲いている。
日中はまだ暑いほどだが、朝晩はもうすっかり秋だ。実りの秋。
 
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1クラスの人数の変遷

昨日の新聞に「教職員8年で6万人増・少人数や特別支援」という記事が載っていた。1クラスあたりの編成標準を30−35人に段階的に引き下げ、少人数化を図るのが柱だ。
 
先般、小学校と中学校の同窓会があったので、その後卒業アルバムを出してみた。顔と名前がなかなか一致しないのだ。会の前に見ておけばよかったが、間に合わなかった。でも、後で見ても色々と分かり面白いものだ。
 
その時、自分の時代の児童・生徒の数を数えてみた。
 
なんと小学校は1クラスが54人もいるではないか。それで7クラス。1学年の児童数は380人ほどにもなる。当時県内でも有数の2000人を越えるマンモス校だった。教職員は55人もいる。教室は子供達ではちきれそうだ。
 
中学校は47人の8クラスで1学年はやはり380人近くの人数になる。教職員44人。
 
高校のアルバムも出して数えてみた。55人で10クラスもある。1学年は550人にもなる。教職員はなんと78人もいる。
 
今とは比較にならないほどの人数なのだ。
そういえば、自分が教員時代は1学年12クラスというのを体験したことがある。マンモス校はその後分離して2校になったが。
 
このことをとっても、昔と今は隔世の感がある。
当時の先生方は、1クラス55人も抱えてよくぞやっていたものだ。
私自身も45人くらいの経験はある。その後40人ほどになり、5人違ってもかなりのものを感じたものだ。
 
昔から、海外に比べ日本の学校は生徒数が多すぎるといわれてきたが、
これからは少人数の理想に近づくわけだ。
願わくは、よりきめ細かい綿密な教育を期待したいものだ。
 
ただし問題は財源だ。いくら理想を言ってもないものはどうしようもないのだが。

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