神聖ローマ帝国の旅

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シチリア王国のフェデリーコ

サミットが行われたイタリアのラクイラという町、

ローマの近くということなのでローマ教皇領かな?

と思って歴史地図を開いて見たら、シチリア王国領でした。


おぉ、麗しのシチリア王国。

オレンジの実は黄金色に輝き、風が菫の花の匂いを運び、黒髪の娘がアラブの旋律に乗って踊る。

ビザンツ、イスラム、ラテンの文化が交錯し、

首都パレルモの宮廷では、

ギリシャ人、アラビア人、ユダヤ人、世界の最先端の学識者が、知識と教養を競い合う。


シチリア王国は、シチリア島と南イタリアで構成された国。

ヴァイキングと呼ばれた北欧のノルマン人が、まずフランスの北海沿岸にノルマンディー公国を建て、

さらにそこを拠点に、ブリテン島を征服した一派は「イギリス」という国を建てましたが、

イベリア半島を回り地中海に入り込んで、シチリア島に到達した一派は、

ビザンツとイスラムの勢力が入り乱れるシチリア島と南イタリアを制圧し、

このシチリア王国を建国したわけなんですね。


ノルマン朝断絶の後、シチリア王国はドイツのシュタウフェン家に継承されます。

ノルマン朝シチリア王国の娘コンスタンツァと、シュタウフェン朝ドイツ王ハインリヒ6世、

その二人の間に生まれた子が、シュタウフェン朝シチリア王のフェデリーコ、

後の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世です。


ビザンツ、イスラム、ラテンの文化が渦巻くシチリア王国の宮廷で、

ギリシャ人、アラビア人、ユダヤ人といった世界最高峰の知識人に、

よってたかって育てられたフェデリーコは、

神学・哲学・法学・数学・科学・文学・音楽と、ありとあらゆる学芸を身につけ、

ラテン語、ギリシャ語、アラビア語、ドイツ語、イタリア語、ヘブライ語など、9カ国語を操り、

「モーゼ、キリスト、マホメットは、世界三大詐欺師である」

と言い放つ、ニヒルで食えない男となりました。


こんな調子だから、ローマ教皇には嫌われていました。

皇帝となった後、十字軍を結成してエルサレムを奪還するようにと、

教皇に何度言われても、なかなか腰を上げようとはしません。

エルサレムへ行かないと破門だぞ!

と脅されても、そもそも宗教を信じていないのですから、ビクともしません。

当時(13世紀初頭)の、ヨーロッパ・キリスト教世界と、アラブ・イスラム教世界の、

はなはだしい文明の格差(もちろんヨーロッパの方が格段に低い)も、十分承知していましたから、

十字軍などロクでもないものと考えていたのです。

しかし、あまりに教皇がうるさいので、とうとうエルサレムへ行きましたよ。


アラビア模様のマントを羽織り、流暢なアラビア語をひっさげて、イスラムの君主に謁見し、

交渉によってエルサレムを奪還してきました。

一戦も交えることなく、一滴の血を流すこともなく、

その高い教養と、イスラム文化の深い知識によって、

イスラム君主に気に入られ、親友になってしまったのです。


ローマ教皇は、開いた口がふさがりません。

異教徒を一人も殺さずに帰ってくるとはなにごとか!と…


現代の歴史家は、フリードリヒ2世を、「中世に現れた現代人」と言って絶賛しますが、

当時のヨーロッパでは、こういう人物を理解できる人間などまったくいなかったのですね。

息子にも理解されませんでした。


息子には、将来ドイツをまかせようと、

シュタウフェン家の本拠地であるシュヴァーベン公国の宮廷で育てさせたのですが、

これがいけなかった。

普通のヨーロッパ人、普通のキリスト教徒になってしまい、視野が狭くなってしまったのです。


息子はローマ教皇にたぶらかされて謀反を起こします。

フェデリーコは、冷静にそれを鎮圧し、冷静に我が子を投獄します。

息子は獄死。

冷静を装ってはいましたが、さすがのフェデリーコも、この事件にはこたえたのでした。

強力だったシュタウフェン家の権力も、ここから急速に衰えていきます。


宗教の違いにこだわらず、キリスト教徒であろうと、イスラム教徒であろうと、ユダヤ教徒であろうと、

能力があれば登用し、国家官僚機構を築き上げて、

イタリア全土を強固な統一国家にしようと考えていたフェデリーコでしたが、

そんな構想も、誰一人として理解できる者はなく、

ミラノやジェノヴァなどの自治都市と教皇庁の猛烈な抵抗に遭い、

理解されぬままこの世を去るのでした。


シュタウフェン家とフェデリーコの詳しいお話は、
ホームページのこちらへhttp://www.geocities.jp/rom_deutsch/legendecover.html

冒頭の画像:十字軍遠征で手に入れた聖遺物をローマ教皇に贈るフェデリーコ

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HPの方をじっくり読みましたです。そういう流れでフェデリーコさんは生まれてきたのですね。この方の伝記的な映画ってあるんでしょうかね?なかなか波乱万丈で面白かったんですけど^^ちなみに私はパスタでフェデリーニが好きです♪(って全然関係ないけど^^;;;)
ところで冒頭の画像ってどれ?麻生さんと法皇様のおさしん???わからん@@@

2009/7/14(火) 午後 11:00 たぬこ♪

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HPも訪れていただき、ありがとうございます。
映画は無いんじゃないでしょうかね。伝記はあるでしょうけど、たぶん日本語に訳されたものは無いと思います。カール5世もそうですけど、こういう多国籍人間を日本人は好まないので。。。
塩野七生の「ルネサンスとは何であったのか」に、最初のルネサンス人として紹介されている程度で、あとは中公新書の「物語イタリアの歴史」の中で一つの章として紹介されています。

2009/7/15(水) 午後 6:55 Heumash Peter

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画像の件ですが。。。
よく外国の本とか雑誌などで日本の古い写真などが載っていて、そこにトンチンカンな解説が付いていて笑っちゃう、というようなことがありますね。それをマネた、一応これはギャグなんですね。
本当は写真だけを大きく載せたかったのですが、著作権の関係でそれはできなくて、ニュース記事も一緒になってしまい、「???」なことになってしまい、私の高度なギャグが人々に伝わらなかったようで、フェデリーコの気持ちがよく分かります。。。

2009/7/15(水) 午後 7:02 Heumash Peter

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ギャグなんかなぁ〜どうなんかなぁ〜???と躊躇したんですが・・・でも麻生閣下=フェデリーコって想像できなかったんですよね〜@@@@高度なギャグについていけずに申し訳ございません(土下座)

2009/7/21(火) 午後 0:12 たぬこ♪

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アラビア側の文献によると、フェデリーコは、背が低く、頭髪は薄く、風采の上がらない男だったそうですよ。麻生太郎氏が風采が上がらぬ男だということでもありませんが・・・

2009/7/21(火) 午後 6:20 Heumash Peter

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フェデリーコの大ファンです。その足跡を追って、プーリア、シチリアのカステロを歩き回りました。プーリアの人にとっても特別な存在のようです。登録して帰りま〜す。

2009/8/8(土) 午前 0:27 タムタム

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タムタムさま、ありがとうございます!
そうですか、フェデリーコのファンでいらっしゃいますか。私も、歴代神聖ローマ皇帝の中で、もっとも好む人物の一人です。
シチリアへ行かれたのですね。私はまだ行った事がないのですが、必ず行きたい場所です。
私は更新がいつも遅いのですが、これからも、よろしくお願いします。

2009/8/8(土) 午前 10:40 Heumash Peter

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