争いの絶えないイタリア
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もちろん私は、ジュリエットのオッ○イをさわる目的でヴェローナに来たわけではない。
だが、予習として、1968年の映画「ロミオとジュリエット」を出発前に観ていたことは事実だ。
文字通り古典的なストーリーなので、正直言って、
1998年の映画「恋におちたシェイクスピア」の方が、話としては断然面白いのだが、
なんといっても見どころは、オリビア・ハッセー若いな〜っ!、という点に尽きる。
12歳?13歳?、可憐ですねぇー。
まさかこの後、日本の某有名歌手と結婚して離婚することになるなどとは、
夢にも思っていなかったでしょう。
ところで「ロミオとジュリエット」というのは、もちろんフィクションであるはずなのに、
なんでヴェローナには、ジュリエットの家とか、ジュリエットの墓なんてぇものがあるのか、
不思議だ。
こういうお話は、古くからイタリアの各地にあって、
それをシェイクスピアが、ギリシャやケルトの伝説の要素なども織り交ぜて、
ヴェローナを舞台にした戯曲として書いたものなのですね。
神聖ローマ帝国では、962年に成立してから、1806年に崩壊するまで、
ずっと、皇帝と教皇の対立があって、
群雄割拠するドイツの諸侯国とイタリアの諸都市は、
皇帝派 or 教皇派、どちらかの陣営について、つねに争っていたわけです。
そんな歴史的背景が、「ロミオとジュリエット」の舞台背景というわけです。
イタリアでは都市単位だけでなく、都市の中でも、
皇帝派(ギベリン党)と教皇派(ゲルフ党)に勢力が分かれ、つねに小競り合いをしていた。
「ロミオとジュリエット」の、モンタギュー家とキャピュレット家も、
そういったことで小競り合いをしていたわけです。
この人も、そんな小競り合いに負けて、追放され、流浪の詩人となった人。
ヴェローナのシニョーリ広場に立つ、ダンテ・アリギエーリです。
奥の建物は、ヴェローナの領主だったスカラ家の宮殿で、ダンテは一時ここに身を寄せていました。
シニョーリ広場の奥にある、スカラ家の霊廟。
礼拝堂はとても静かで厳かな雰囲気。
シニョーリ広場と打って変わって、とても賑やかなのが、となりのエルベ広場。
広場はとてもにぎやかで、
野菜だの果物だの、ニンニクだのタマネギだの、見通しがきかないくらい並んでいて、
人々はたえまなく、わめいたり、歌ったり、ふざけたり、殴りあったりしている…
てなことをゲーテは「イタリア紀行」に書いていて、
どーもイタリア人ってぇのは、争いごとが好きなようで、というか、それが生きがいなのか、
なんかやってないと気がおさまらないのでしょうな。
殴り合いはしていませんでしたが、エルベ広場はゲーテの言うとおりでした。。
エルベ広場の、中央に建つ「マドンナの噴水」と、奥に建つ「サン・マルコの獅子」。
サン・マルコの獅子はヴェネツィアのシンボルですが、それがなぜヴェローナにあるかというと、
スカラ家支配の後、ヴェローナはミラノ公国のヴィスコンティ家の支配下に入り、
その後、膨張するヴェネツィア共和国に飲み込まれます。
ナポレオンによってヴェネツィアが滅ぼされるまで、ずっとヴェネツィア領だったのです。
ナポレオン没落後に、オーストリア・ハプスブルク家領となり、
イタリア領となるのはまだまだずっと後のこと、というか、
イタリアという統一国家ができあがったのは、つい最近のことですから、
とにかくイタリアでは、争いが絶えないというわけなのですな。
イタリア人がサッカーやF1レースに熱狂するのは、そのせいです。。
神聖ローマ帝国の旅HP:http://www.geocities.jp/rom_deutsch/
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第20章 君主たちが築く、城塞やそれに類する物は、有益か?それとも無益か?────〓
〓からの続き 【註:「グエルフィ(ゲルフ)」と「ギッベリーニ(ギベリン)」は、日本語意訳ではそれぞれ、前者が「教皇派(教皇党)」「法皇派(法皇党)」、後者が「皇帝派(皇帝党)」と意訳される。 中世時代のほとんどを通して、主にイタリア半島北部の諸都市、貴族たちは、この二派のどちらかの党派に属して、政争を繰り返していた。 意訳の通り、神聖ローマ帝国皇帝を支持する党派が「皇帝派(ギッベリーニ)」、ローマ法皇を支持する党派が「法皇派(グエルフィ)」であった。 だ..
2011/11/13(日) 午後 1:45 [ YAMINABE ]
第20章 君主たちが築く、城塞やそれに類する物は、有益か?それとも無益か?────〓
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2011/11/13(日) 午後 1:45 [ YAMINABE ]
第20章 君主たちが築く、城塞やそれに類する物は、有益か?それとも無益か?────〓
〓からの続き つまりは聖俗両界の棲み分け、一種の政教分離条約である。こうして、何世紀にも亘って長く続いた叙任権闘争は、「聖職者叙任権は、聖俗どちら側に帰するのか?」と言った視点から考えれば、教皇(教会)側の最終的な勝利で終わった。 だから長い目で見ればグレゴリウス七世は、生前にハインリッヒ四世に敗北したように思えるが、死後に勝利した事となる。 話を元に戻して、グエルフィ(教皇派)とギッベリーニ(皇帝派)の両党派及び党派抗争とは、要するに神聖ローマ帝国内の諸侯..
2011/11/13(日) 午後 1:46 [ YAMINABE ]
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お久しぶりに失礼いたします。 読ませていただいておりました。
イタリア行ってみたい国なんです。
2011/6/5(日) 午後 8:59
小太郎さん、ありがとうございます。
イタリアって面白いですね。私も今回、あらためてそう感じました。
2011/6/6(月) 午後 9:09
気候も食べ物も似てますね
陽気なところ好きです! 緯度だか経度だか同じ?
やっぱり行ってみたいなぁ〜
2011/6/6(月) 午後 9:20
周りを海に囲まれて南北に長いという点で、気候や食べ物が日本と似ている部分が多いのだと思います。最近、須賀敦子を読んだことで、イタリアに対する思いが以前より少し深まりました。。
2011/6/7(火) 午後 9:08
ほいましさんこんばんは^^
すごく詳しいですね。。
興味深く読ませていただきました^^
少し演劇を勉強させてもらってたことがあって、
すごく興味があったのです^^
うなもイタリア、行ってみたいなぁ。。
ポチです☆
2011/6/8(水) 午後 8:21 [ うな ]
うなさん、ありがとうございます!
演劇をやっていたのですか。どうりで、うなさんの写真が舞台女優っぽいと思ってた…
イタリア、おおいに行ってください。一緒に行きましょうか?、芋さんが許してくれれば…。
2011/6/9(木) 午後 9:44
どうも御久しぶりです。
>神聖ローマ帝国では、962年に成立してから、1806年に崩壊するまで、ずっと、皇帝と教皇の対立があって、群雄割拠するドイツの諸侯国とイタリアの諸都市は、皇帝派 or 教皇派、どちらかの陣営について、つねに争っていたわけです。そんな歴史的背景が、「ロミオとジュリエット」の舞台背景というわけです。
>イタリアでは都市単位だけでなく、都市の中でも、皇帝派(ギベリン党)と教皇派(ゲルフ党)に勢力が分かれ、つねに小競り合いをしていた。「ロミオとジュリエット」の、モンタギュー家とキャピュレット家も、そういったことで小競り合いをしていたわけです。
へえ〜〜!この『ロミオとジュリエット』という作品、名前だけで物語の方は全然知らなかったですね。
2011/11/13(日) 午後 1:43 [ ]
互いに争い合ってる両家同士の坊っちゃんと嬢ちゃん(笑)の恋愛だという事と、後はあのバルコニーでのジュリエットのあまりに有名な台詞、「ロミオ様、何故貴方はロミオ様なの」ぐらいしか知りません。
両家が争い合ってる理由なんて全く知りもしなかったです(笑)。
それでモンタギュー家とキャピュレット家(・・・どっちもイタリアっぽくない苗字ですね^^;英語読みだからかな?)のどっちが教皇党で、どっちが皇帝党ですか?
けど両党派間での抗争は続いていても、1122年に「ヴォルムス協約」が締結されている訳ですから、本来なら争う本来の意義を失っている訳ですよね?
それともこの協約はロクロク守られていなかったのでしょうかねえ?
折角話に出て来ましたので、教皇派と皇帝派の話をTBします。
記事3本分にも跨ってますが(^^;)、どうか御容赦を。
2011/11/13(日) 午後 1:49 [ ]
お久しぶりです。トラックバックありがとうございます。
イタリア諸都市は、とにかくライバル意識が強く、競争心が激しく、また都市間だけでなく、同じ都市の中の家柄とか町内会のような単位でもとにかく争いごとが好きなようだったので、彼らの争いの名目は何でもよかったのです。ギベリンとゲルフの対立といっても、彼らにとってはそれは単なる名目で、政治的意味はそれほどなく、とにかく何かにつけて他者と争いごとをしたかったのではないでしょうか。
2011/11/14(月) 午後 8:26