神聖ローマ帝国の旅

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ハンザの町

*2012年4月の旅行記です。ココから始まっています。
イメージ 1
リューネブルク旧市街、西側へ歩いて行きます。
「auf dem Meere(海の上)」という、不思議な名の通り。
奥に見える二階建てのクリーム色の建物が分かるでしょうか。
 
イメージ 2
塩を採るために、何世紀にもわたって地下水を汲み上げた結果、
町の地盤沈下が進み、建物が歪んでいるのです。
カメラの広角レンズによる歪みではなく、本当に歪んでいます。
 
イメージ 4
町の西はずれ、ミヒャエル教会の裏手に「カルクベルク」という小さな山があって、
小雨に煙る山道を、えっちらおっちら上がって行き、リューネブルクの町を見下ろします。
スカンディナビアからやってきたラングバーデン族(いわゆるヴァイキングの一派か?)によって、
この山上に城塞が築かれたのが、リューネブルクの始まりだそう。
 
イメージ 5
寒いので、早々に山を下って、中世期から1976年まで稼動していた製塩所を見学し、
町の南「ハイリゲンガイスト通り」を歩きます。
 
イメージ 6    イメージ 7
通りにある、中世から続くブロイハウス(ビール醸造所兼レストラン)で、
昼食をとります。
 
イメージ 8
かつてのハンザ商人の館やギルドハウスが、今もそのまんま建ち並ぶ、
アムザンテ広場。
 
イメージ 3 イメージ 10 イメージ 9
レンガ造りの、ゴシック様式とバロック様式の建物が混在して建ち並ぶ姿は、
例えばブリュッセルのグランプラスのような華麗な広場の姿とは違った、
質実剛健なハンザの気質を、よく表しています。
(この写真の歪みは、広角レンズによる歪みです)
 
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塩の道

*2012年4月の旅行記です。ココから始まっています。
イメージ 1
9時間寝た、2日目の朝。
目が覚めると、ホテルの部屋のベッド脇の窓から、
リューネブルク旧市街の甍の波が見える。
あー、またドイツに来ているんだなぁ、と、幸せな気分に浸ります。
 
シャワーを浴びて、朝食を食べに、1階へ降りていきます。
イメージ 2
木骨組の古い家をそのままホテルに改造した建物で、
部屋数も、たぶん10室もなかったように思われます。
朝食は、昨夜夕食をとったレストランでとります。
ドイツに来て、朝ホテルで、パンとコーヒーの朝食をとっている時が、
私にとってもっとも幸せを感じる時です(笑
 
イメージ 3
マルクトプラッツ(市場広場)に出ると、朝市が出ていました。
たぶん市は毎朝立つのでしょう。
この日も寒くて、小雨がパラついていましたが、
町の日常と活気は、天候にも私にも関知せず、いつも通りそこにあり、
たまたま自分がそこに居合わせていることに、不思議な嬉しさを感じます。
 
イメージ 4
大通りは通らずに、わざと路地へ入って、
マルクトプラッツから、町を北上していきます。
路地の向こうに、ニコライ教会が見えてきます。
 
イメージ 5
ブリックゴシックの、いたってシンプルな教会です。
ブリックゴシックというのは、神聖ローマ帝国の北東部に多く見られる建築様式で、
レンガ造りのゴシック建築のことです。
山地から遠く離れた地域では、石というものが無いので、
レンガを焼いて、建築に使うわけなんですね。
レンガ造りのゴシック建築は、本当にシンプルですが、
この教会は、天井の星型ヴォールトがもみじのようで、とても印象的で、
素朴な美しさがありました。
 
イメージ 6
ニコライ教会から、通りを隔てた反対側の路地が、カーブして、
右側に壁があってその上が緑地になっていますが、
これがシュタットマウアー(市壁)です。
中世の時代、ヨーロッパはどこの町も、このように、
町をぐるりと壁で取り囲んでいました。
ニコライ教会とこの路地との間の通りに、市門があったと思われますが、
取り払われたようで、今はありません。
 
イメージ 7
ニコライ教会から、町の南のヨハニス教会の方へ下がっていく通り。
レンガ造りの古い家並みが美しい。
 
イメージ 8
町の東端を流れるイルメナウ川は、かつての港。
左にあるカブトムシのような形の建物は、19世紀まで使われていたクレーン。
町で採れて製品化した塩を、クレーンで船に積み込んで、
北欧やロシアへ輸出するために、リューベックまで運ぶ。
リューネブルクからリューベックまで塩を運んだ街道が「塩の道」と呼ばれ、
ドイツに「ロマンティック街道」「古城街道」「メルヘン街道」と数ある街道あれど、
それらはすべて「取ってつけた観光街道」であり、
この「塩の道」だけが歴史上実際に使用されていた「実用街道」というわけです。
 
イメージ 9
北欧やロシアへ輸出されたリューネブルクの塩ですが、
北欧やロシアは、北海やバルト海で獲れたニシンやタラを、ドイツに輸出していて、
ニシンやタラが輸送中にダメにならないように、
リューネブルク産の塩に漬けて発送する、
ということで、リューネブルクの塩は、ニシンやタラにしみ込んで、またここへ戻ってくるわけです。
クレーンの左にある、黄色いバロックスタイルの建物が、
北欧・ロシアから運ばれてきたニシンやタラを貯蔵していた倉庫兼取引所。
今はホテルになっていて、部屋が魚臭くはないかと心配になりますが、
この建物は火事で一度焼け落ちて、
ファサード以外は近年に建て直されたものだそうで、
それなら魚臭くはないでしょう…。
 
リューベックから、リューネブルクの塩を北欧・ロシアへ運び、
北欧・ロシア産のニシンやタラをドイツへ運んだ船が「ハンザ船」であり、
それを運営していたのが「ハンザ商人」というわけです。
「ハンザ」というのは、広くは「商人組合」のことで、
今でも「ルフトハンザ航空」の企業名に残っていたりしますが、
狭くは、神聖ローマ帝国北部の都市が商業上結んでいた同盟のことです。
同盟都市のほとんどが、帝国自由都市であり港町でありました。
 
ハンブルク、ブレーメン、ケルン、ドルトムント、デュッセルドルフといった、
現在の錚々たる都市が加盟していましたが、
神聖ローマ帝国時代に最も栄えていたのは、リューベックでした。
ここリューネブルクは帝国自由都市ではありませんでしたが、
塩の輸出のために、貿易港のリューベックと仲良くしなけりゃならないってんで、
ハンザ同盟に加入していました。
 
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荒野に栄えた塩の町

*2012年4月の旅行記、ここから始まっています。
 
午後ハノーファーを出て、一時間でリューネブルクに到着。
寒い!
ハノーファーも寒かったが、さらに北へやって来て、
耐えられないほど寒い。
 
リューネブルク駅は、妙な駅だ。
あまりの寒さに写真を撮るのを忘れてしまったが、
通りを挟んで、駅が二つある。
駅が二つあるために、方角が分からなくなってしまう。
地図を見ても、
自分が今降りたのは、どっちの駅なのか、
町の中心部は、どっちの駅の側にあるのか、
それがつかめなかったのだが、
なんとなく人が歩いていく方向へ歩いて行くと、
川があり、橋を渡って大通りを横切ったら、
旧市街に入っていった。
 
イメージ 1
うわー、なんてきれいな町なんだろう、
と思わず声を出して、寒かったけどバッグからカメラを出して写真を撮った。
さらに進んでいくと、もう一本川があって橋がある。
 
イメージ 2
ひゃー、なんて可愛い町なんだろう。
だが、まず、予約したホテルを見つけて、チェックインをしなくては…。
はやる気持ちを抑え、さらに町なかへ入っていくと、
石畳の道は急に細くなり、迷路のようになって、道に迷い始める。
でも迷ったところで、いっこうにかまわない。
北ドイツに、こんなチャーミングな町があったのか、
私は昔三年間北ドイツに住んでいたが、
しかもわりとこの近くにいたのに、ここを訪れたことはかった。
新発見のようで、私は迷子を楽しんだ。
 
イメージ 3
なんとなく歩いていたら、予約していたホテルを見つけた。
 
右の、クリーム色の建物がホテルですが、
歴史的な建物で、こぢんまりとしていて、
安くて部屋も小さかったけど、清潔で快適で、
とても良いホテルでした。
 
今回の旅行でこだわったのは、
①大都市の駅前格安ビジネスホテルには、絶対に泊まらない
②小さな町の、旧市街の中の、安いけれど雰囲気のあるホテルに泊まる
という2点でした。
 
今回の旅行では、ホテルはすべて、booking.com というサイトで予約しました。
ヨーロッパのホテルに強い予約サイトだそうで、
確かに種類が豊富で、よく吟味して選ぶことができました。
クチコミなどを読むと、トラブルもけっこうあるようですが、
(予約していたのに予約が入っていなかったなど)
私はトラブルなく、今回の旅行を快適に遂行できました。
 
2泊した、このリューネブルクのホテル「シェフラー」も、
とにかくロケーションが良い。
駅からはだいぶ歩きますが、旧市街の町なかにあり、
目の前がマルクトプラッツ(市場広場)です。
イメージ 4
ホテルに荷物を置いて、早速マルクトプラッツに出てきましたが、
いやー、しかし、もう、とにかく寒い。
そして、とにかく眠い。
 
「朝着陸」というのは眠いだろうなぁと、ある程度予想はしていましたが、
予想以上に眠い、そして、想定外に寒い!
広場に出てきてみたものの、ちょっと町歩きが辛くなってきた。
 
市場広場に建つ、リューネブルクのシンボルともいえる、この市庁舎、
脇へまわってみると、人が何人か集まっていて、
市庁舎の横の扉が開くと、みんな入っていく。
あ、これは、ちょうど、市庁舎のガイドツアーが始まるところにちがいない!
もう寒くて寒くて外には居られないので、
私も吸い込まれるように、人々と一緒に市庁舎の中へ入って行った。
 
おじさんに5ユーロ払って、一階の部屋で待っていると、
やがてガイドツアーが始まった。
残念ながら写真を撮ってはいけなかったので、写真がありませんが、
これが素晴らしかった!
 
この市庁舎は、正面から見るとそれほど大きくはないのだけれど、
実は奥行きがあって、また、何世紀にも渡って増築されていて、
かなり複雑な構造になっているのですね。
市庁舎というか、今で言う「合同庁舎」のようなもので、
中世に建てられた市庁舎にしては、相当に大規模なものだそうで、
いかにリューネブルクという町が、中世の時代、富み栄えた大都市であったか、
ということが分かります。
 
リューネブルクは塩の町です。
香辛料が無かった(あっても手に入りにくく高価だった)ヨーロッパ中世において、
塩は大変価値のあるもので、
塩を産出する町は、どこも富み栄えていました。
とくにリューネブルクは、リューベックなどのハンザの港町に近いため、
ハンザの港町を経由して、北欧やロシアまで塩を輸出していたわけなんですね。
 
それでリューネブルクの市議会議員は、貴族のように富と権力を持ち、
塩の製造と販売を牛耳っていただけでなく、
裁判権なども持っていたということなんです。
 
この市庁舎の中に、裁判所やゲヴァントハウスがあって、
ゲヴァントハウスというのは商品取引所のことで、今で言う「メッセ会場」ですが、
そういった部屋がとにかく美しい。
それが、領主の宮殿ではなく、市民が造った市の建造物ですから、
ギンギラギンの美しさではなく、
非常に素朴で、だけど緻密な美しさなんですね。
 
たまたま扉が開いたから、寒かったから、入った市庁舎のガイドツアーでしたが、
素晴らしかった、入ってよかった。
 
前回の記事でもちょっと書きましたが、リューネブルクは、
ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公国(のちのハノーファー選帝侯国)の古都であり、
現在イギリス王室につながる、ドイツの名門ヴェルフェン家の領地で、
ヴェルフェン家の名君ハインリヒ獅子公が建設した町であるわけなんですが、
ヴェルフェン家の宮殿があるわけでもなく、
ハンザ同盟に加入していましたが、
リューベックやブレーメンのように帝国自由都市として独立していたわけでもない。
ヴェルフェン家の支配下にあったにもかかわらず、
ヴェルフェン家の力より、市民の力のほうが強かった、という町なのですね。
 
神聖ローマ帝国の町は、
ウィーンやベルリンのように、領主の権力が強い町、
ザルツブルクやヴュルツブルクのように、教会の権力が強い町、
そして、このハンザ系やネーデルラントの町のように、市民の権力が強い町、
があって、
現代の観光客がこれらの町をまわって、どの町を気に入るかによって、
その人の性格(というか信条)が分かるような気がしますね。。
 
イメージ 5
ガイドツアーを終えて外へ出ると、やはり寒くて、もう夕方。
予定では、ドイツに到着した初日は、
午前中にハノーファー、午後にリューネブルクを見物して、
翌日はリューベックへ行くつもりでしたが、
リューベックは5年前と20年前に行ったのでやめにして、
明日は一日、このリューネブルクという素敵な町を見物することにしよう、
と決めて、ホテルに戻りシャワーを浴びて、
とにかく寒くて眠いので外には出ず、
ホテルの一階のレストランで食事をした。
 
イメージ 6
寒いので、まずスープを頼んだ。
「結婚式のスープ」という名のスープで、
何が結婚式なのか、それともこのあたりの結婚式ではこのスープが出るのか分かりませんが、
色々な野菜と肉ダンゴが入っていて、とても美味しかった。
おばちゃんに薦められた白ワインも美味しかった。
バーデン(地方名)・カビネット(高級ワインの一番下のランク)・トロッケン(辛口)、
というのは、日本ではかなり珍しい、というかたぶん無い。。
 
メインに頼んだ料理(鶏肉・タマネギ・マッシュルーム炒め&ジャガイモ・オーブン焼)は、まぁまぁ、
ワインとスープで身体も温まり、
部屋に戻ってベッドに寝っ転がったら、そのまま眠ってしまっていた…
 
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ハノーファー家

*2012年4月の旅行記です。ココから始まっています。
 
前回の記事で、ハノーファー駅前の騎馬像を、
「ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグスト」と書きましたが、
これは間違いで、この騎馬像は、
「ハノーファー王エルンスト・アウグスト」でした。
両者は別人で、100年ほどの開きがあります。
もちろん家系は同じ「ヴェルフェン家」です。
 
ヴェルフェン家というと、
神聖ローマ帝国の初期、ザリエリ朝が断絶した時に、次の皇帝の座を巡って、
シュタウフェン家と死闘を演じた家系ですね。
結局シュタウフェン家が勝利して、シュタウフェン朝が始まるわけですが、
両家の反目はその後も続き、
ヴェルフェン家のハインリヒ獅子公は、
シュタウフェン家皇帝フリードリヒ1世(通称バルバロッサ)のイタリア遠征の際に、彼を裏切り、
そのせいでバルバロッサは、ミラノ軍に大敗を喫します。
 
ハインリヒ獅子公は当時、バイエルン公国とザクセン公国を領有する強大な君主でしたが、
裏切り行為の罰として、皇帝バルバロッサからその両国を没収され、
バイエルン公国はヴィッテルスバッハ家へ、
ザクセン公国はヴェッティン家へ、それぞれ引き渡され、
獅子公には、リューネブルクの荒野だけが残されて、
「ブラウンシュヴァイク・リューネブルク公国」を興します。
 
これは文字通り、ブラウンシュヴァイクとリューネブルクを中心とした公国でしたが、
後代、ハノーファーに宮殿を移し、選帝侯位も獲得して、
「ハノーファー選帝侯国」となり、
ヴェルフェン家も「ハノーファー家」と呼ばれるようになります。
 
ハノーファー家といえば、そう
現在のイギリス王家ハノーヴァー朝を創設した家系ですね。
ただ、第一次大戦中に、
イギリス王家が敵国ドイツの王朝名では都合が悪かろうってんで、
「ウィンザー朝」と名を変えましたが、
血統はハノーファー家、つまり、
神聖ローマ帝国の古いヴェルフェン家の家系なんですねぇ、
ダイアナさんが離婚された時に、
「ドイツの血筋はロクなもんじゃない」
てなことを言ったのは、このことであるわけなんです。
 
さてさて、
そのハノーファー選帝侯国(神聖ローマ帝国崩壊後は王国)の首都であったハノーファーですが、
一国の首都であり、またイギリス王家を創設した家系の本拠地にしては、
どうも、つかみ所のない都市です。
 
イメージ 1
中央駅を出てまっすぐ進むと、三角形の緑地に出ます。
何気ない公園のようですが、その形から、
かつてハノーファーの町を取り囲んでいた城塞の跡地であることは明らかです。
こういうのを見つけるのが私の趣味です(笑
 
イメージ 2
これは、新市庁舎の中にあった、1689年のハノーファーの町の模型。
上方の五角形の城塞が、上の写真の三角形の緑地というわけです。
 
町の模型の中心にある教会が「マルクト教会」。
イメージ 4
文字通り、マルクトプラッツ(市場広場)に建つ教会。
手前の、階段状の破風を持つ建物が、旧市庁舎です。
どちらも、非常に質素で素朴です。
マルクト教会は大聖堂ではありません。
第二次大戦の空襲で破壊され、外観は復元されましたが、
内装は復元していなくて、飾り気のまったく無い、簡素な教会でした。
 
イメージ 5
マルクト広場からライネ川までの町並みに、神聖ローマ帝国時代の面影が残ります。
北ドイツの典型的な木骨組の建物が立ち並びます。
 
イメージ 6   イメージ 7
左、ライネ川沿いある、かつての市壁と塔は現在歴史博物館。
右、ライネ川に架かる古い橋は、川沿いに建つライネ城の入り口。
ライネ城は、ヴェルフェン家の分家カレンベルク侯家の宮殿でしたが、
現在はニーダーザクセン州の州庁舎になっていて、「宮殿」といった感じはまったくなく、
いかにも「役所」という感じだったので、写真に撮りませんでした(でも一応撮っておけばよかった)。
それよりも、橋の向こうに見える新市庁舎のほうが、何十倍も立派です。
 
イメージ 8
これですね。
たぶん、ハノーファーで最も(というか唯一)立派な建造物でしょう。
1913年の建築なので、神聖ローマ帝国時代のものではなく、
もはやハノーファー王国も消滅して、プロイセン王国領時代のものですね。
 
イメージ 9
市庁舎のとなりの博物館の現代的な建物の入り口に、
ハノーファー選帝侯国の紋章が。
ここに宮殿か何かがあったのか、それとも移築したものなのか。
 
イメージ 10
ハノーファー家(ヴェルフェン家)の宮殿「ヴェルフェン城」は、
町はずれにあります。
が、しかし、ここは現在「ハノーファー大学」の建物として使われていて、
町なかの「ライネ城」同様に、
「宮殿」として保存され公開されているわけではありません。
 
ミュンヘンが、バイエルン公国ヴィッテルスバッハ家の本拠地であったこと、
ドレスデンが、ザクセン選帝侯国ヴェッティン家の本拠地であったこと、
を、一つの大きな「売り」にしているのに対して、
ハノーファーは、ハノーファー選帝侯国ヴェルフェン家の本拠地であったことを、
とくに「売り」にはしていなくて、おとなしくしています。
「イギリス王家発祥の地」として、
もっと宣伝しても良いようなものですが、そういうことは全然していないんですね。
それはなぜなんだろう…
 
ヴェルフェン城の裏手には、ハノーファー家の広大な庭園があって、
それがハノーファー唯一(?)の観光名所であり、そこも見物する予定でしたが、
なにせ、天気が悪くて、ときおり雨も降り、それよりもなによりも、超寒い!
ハノーファーの駅を降りて、まず、あまりの寒さにびっくりして、
コインロッカーに荷物を預ける時に、
スーツケースからコートを出して着たのだけれど、
薄いコートなので、寒くて寒くてとてもじゃないが庭園など散歩する気にはならない。
 
この天気と寒さでは、庭園へ行っても花など咲いてないだろう、
と勝手に解釈して、大学前からトラムに乗って、中央駅へ戻りました。
 
イメージ 3
自動券売機の使い方がよくわからなくて、
近くにいた女子大生に訊いたら、親切に教えてくれました。。
Danke !
 
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ハノーファー選帝侯国

イメージ 1
フランクフルト・フルクハーフェン・フェルンバーンホフ、
実に長ったらしい名の駅ですが、日本語で言うと、
「フランクフルト空港・長距離列車発着駅」ということになりましょう。
昔はこんな駅は無かった。
フランクフルトの空港駅は地下にあって、
フランクフルト中央駅やその近郊へ行く S-Bahn(近距離電車)しか発着してなくて、
長距離列車は、
今は無きルフトハンザ・エアポートエクスプレス(この記事はココ)しかなかった。
最近この長距離列車発着駅ができて、
ドイツ各地の主要都市と、アムステルダム、ブリュッセルまで、
ICE(ドイツ高速列車)で直通で行くことができるようになりました。
 
いや〜、ドイツって、本当にスゴいですね。
日本もですね、せっかく羽田がまた国際空港として復活したのだから、
東海道新幹線が、東京の次に品川になど停まる必要はまったくなく、
羽田空港を経由すればいいじゃないですか、
もっとも日本にはそういう発想はまったく無いと思いますが…
 
今回、私ははじめて「ヨーロッパ鉄道パス」を利用しました。
これは外国人観光客のために発行されている、ヨーロッパ鉄道乗り放題パスですが、
けっこう値段が高くて、あまり長距離を移動しない場合は、逆に損になるので、
私は今まで使ったことがなかったのですが、
今回は長距離を移動するし、
また最近はドイツもICEの路線が増えて、特急料金を払わなければならないことが多く、
それを考えると鉄道パスを使った方がおトクだろうと思い、
あらかじめ日本の旅行代理店で購入しました。
 
パスは色々なタイプがあって、私が購入したのは、
ドイツ&ベネルクスで使える、
有効期間2ヶ月間のうち5日使用できるものです。
これを持っていると、いちいち窓口に並んで切符を買うことなく列車に乗れるので、
時間の節約にもなって大変便利です。
使い始めの日には駅の窓口で、スタンプを押してもらわなくてはなりません。
フランクフルト・フルクハーフェン・フェルンバーンホフの窓口で、その手続きをします。
 
このパスを持っているとですね、駅員や車掌の態度が違うんですねぇ。
これを持っていなかったために、昔イタリアで嫌〜な経験をしたことがあります。
 
午前6時15分に、フランクフルト空港に着陸して、
6時42分発ハンブルク行きのICEに乗れました。
 
イメージ 2
途中で夜が明けていき、
 
イメージ 3
9時17分、ハノーファー中央駅に到着。
この写真は1991年11月に撮ったもので、今回は、この立派な駅舎は修復中でした。
駅前には、半地下商店街ができていて、ずいぶんとお洒落できれいになっていましたね。
 
この駅にはちょっとした思い出がありましてね、
ドイツに住んでいた1992年の5月、父親の七回忌の日でしたが、私は日本へ帰れなかったので、
ベトナム人の同僚に教えてもらったハノーファーにある仏教のお寺へお参りに行った。
中央駅へ戻ると、自動券売機のところで若い(と思われる)日本人女性に声をかけられた。
 
ヨーロッパ鉄道パスで一人旅をしていた女性で、
その日はハノーファー近くのツェレという町を訪れたくて、
パスを使うほどの距離ではないので切符を買いたいのだけれど、
自動券売機の使い方が分からないので教えてほしい、と…。
 
当時、ドイツの自動券売機は、地下鉄やトラムなどの市内交通の切符しか買えなかったので、
駅の窓口へ彼女を連れて行き、ツェレまでの切符を買ってあげた。
すると彼女は「まだ時間はありますか?」と訊く。
もしよかったら、ツェレまで一緒に行ってくれませんか?と。
 
おとぎ話に出てくるような、小さくて可愛らしいツェレという町を、
二人で歩いた、思いがけもしない突然のデートだった。
 
私は、亡き父親が彼女と引き合わせてくれたのだと思い、
彼女を大切にしましたよ。
彼女は旅行者で、私はドイツで働いていたから、
住所を聞いて、その後はずっと手紙でやりとり、
当時はメールなんてありませんでしたからねぇ。
 
2年後に私は帰国しましたが、
私は神奈川県、彼女は三重県に住んでいたので、遠距離交際です。
時には新幹線で、時には夜行列車で、時には東名高速で、時には夜中の国道1号をひた走って、
彼女に会いに行きました。
たまに彼女が神奈川に来ることもありました。
名古屋や静岡で会うこともありましたね。
私は彼女と結婚するつもりでいたし、たぶん彼女もそのつもりだったと思います。
 
でも、なんか、いろいろ行き違いが多くて、
私はなんだかだんだん面倒になっていって、
あるとき彼女が横浜に用事があって「ついでに会おう」と電話してきた時、
私は「ゴメン」と言って、それきりになってしまった…。
それ以来、私の身にロクなことはない。
たぶん父親のバチがあたったのだ。
 
この写真では見にくいけれど、中央駅の前に、大きな騎馬像があります。
ハノーファー選帝侯エルンスト・アウグストです。
「リューネブルク・ブラウンシュヴァイク公国」を、
「ハノーファー選帝侯国」へと格上げさせた君主です。
ちょうど20年前、この騎馬像の前で、彼女と二人で写真を撮った。
そのことをあまり思い出したくなくて、
今回は写真を撮らなかった。
 
「ハノーファー選帝侯国」という書庫を新たに作りました。
ハノーファー選帝侯国とは…、
なんか余計な話で長くなってしまったので、次回説明しようと思います(苦笑
とても地味〜な国で、このブログで記事にする際は、
「プロイセン王国」書庫か「ザクセン選帝侯国」書庫のどちらかに入れるつもりでしたが、
地味ながらも重要な国なので、久しぶりに新しい書庫を作りました。。
 
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