ブリュッセルの市壁
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これは、1555年のブリュッセルの地図。
フランス語版のウィキペディアから拝借しました。
1555年というと、あの皇帝カール5世が勇退した年ですが、
それはまた今後の記事に譲るとしまして…、
当時ブリュッセルの町は、このように市壁で囲まれていました。
ずっと前にベルリンの記事でも書きましたが、
中世・近世のヨーロッパの町はどこも、このように、
外敵の侵入から町を守るように、ぐるりと周囲を市壁で囲まれていました。
近代に入ると、大都市では市壁は取り払われますが、
現在でもその名残は、くっきりと地図上に顕われています。
航空写真に切り替えて見ても、ブリュッセルの市壁の跡は、
現在は環状道路となって、くっきりと残っているのが分かります。
大きな町では、たいてい、市壁は二重構造になっていて、
最初にできた市壁が内側にあり、
町が膨張して、さらに外側に大きな市壁を設ける、といったぐあいですから、
内側の市壁の中が、その町のもっとも古い地域ということになります。
冒頭の古地図を拡大すると、
これがブリュッセルの内側の市壁で囲まれた部分で、
真ん中の四角い空き地が、ブリュッセルの市場広場ということになります。
現在は、かの有名な観光名所、世界遺産「グランプラス」です。
右端の緑地とその下の四角い青い所は、ブラバント公宮殿とその庭園いうわけで、
あの、ブルゴーニュ公フィリップ善良公やシャルル突進公が居た(!)宮殿。
現在はベルギー王宮とブリュッセル公園になっています。
市壁の右上、大きな教会を囲むように市壁が少し外側に膨らんでいます。
この大きな教会が、
ブリュッセルの大聖堂、聖ミッシェル教会です。
市壁の左側、運河が市壁内に入り込んできて、
市壁との間にゴチャゴチャとした界隈を作っています。
物資や魚を運ぶ船が出入りする下町界隈で、
中世ブリュッセルでもっとも賑わっていたところです。
現在は、
こんな感じで、
グランプラス周辺の、観光客がひしめく喧騒から離れた、
とても静かな場所となって、私はとても気に入ってしまいました。
かつての運河は、今は市民の憩いの場となっています。
運河の突き当りには聖カトリーヌ教会が建っています。
中に入ると、この日はちょうど復活祭のミサが行われていて、
人々で混雑していて内部を見物することができませんでしたが、
旧教徒と新教徒の争いにより運河に投げ捨てられたマリア像というのがあるらしく、
運河の泥で黒くなって「黒いマリア」と呼ばれているそうで、
ベルギーの歴史をまさに象徴しています。
カトリーヌ教会のすぐ脇に、
市壁の見張り塔が現存しています。
写真には写っていませんが(というかわざと写さなかったのですが)、
カトリーヌ教会の壁沿いになぜか男性専用公衆トイレがあって、
教会の壁にオシッコをかけるぐあいになっているのですねぇ。
なんでこんな構造のトイレなんだ!とびっくりしまして、
ちょうど用を足したいと感じていたので、ためしに利用しようかとも思ったのですが、
バチが当たりそうなので、やっぱやめました。
不思議なトイレだ…
神聖ローマ帝国の旅HP:http://www.geocities.jp/rom_deutsch/
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