『私はすでに死んでいる』〜多重人格「ゆきの」のニャンコな生活

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就職ー1番目

                 

学習塾 講師



大学卒業後、私は、Uターン組になるつもりなど、さらさらなかった。

前回紹介した老人ホームに、半ば就職が内定していたからである。

にも拘らず、両親の「帰れ!」攻勢には、流石に、参ってしまった・・・。

確かに、約束は、大学の4年間だけ、と、言う事になっていた。

しかし、半ば就職が内定している段階で、「帰って来い」と、言われた所で、地元での就職活動など、何

もしていない。帰った所で、直ぐに良い就職先などあろう筈がないではないか。

私は、必死にそれを訴えた。

が、父は頑ななまでに反対した。

折れるしかなかった。

地元の老人ホームを、何箇所も当たってみたが、求人募集は、全くなかった。

途方にくれた・・・。

 そんな頃、ふいに一本の電話が入った。

偶々、同じ大学に通っていた同県人で、面識もなにもなかったが、どうやら、塾の講師を探しているらし

かった。彼女自身は、既に、教員であった。

その彼女の従弟が通う学習塾の講師を、募集しているらしいのだが、何人面接に来ても、皆、断られるの

だと言う。余程、酷い塾なのであろうか・・・?

 そもそも、私は、子供と言う人種が苦手なのである。

それは、病気の書庫の、「トラウマ」を、読んで頂ければお判り頂けると思うが、子供との接し方が、

今だもって判らないのである。そんな私が子供に囲まれるなど、考えただけで、眩暈がしそうであった。

当時は丁度、共通一次試験だの、センター試験だのと、文部省が、試行錯誤を繰り返している頃だった。

仕事を選んでいる余裕などなかった。

仕方なく、嫌々ながらも、面接に行った。

車で30分は掛かる。遠いのも、億劫なのに拍車を掛けていた。

大学では、一応、教職課程も履修した。後は、教育実習に行けば、教員免許受験資格が貰える状態では

あったのだが、やはり、実習には行かれなかった。教師になるつもりもなかった。

ただ、取れる資格は出来るだけ取っておきたいと思っただけである。

 面接は、当然、その塾で行われる。

簡単な道順を聞いていただけだったが、なにしろ田舎である。直ぐに目的地を発見した。

私の頭の中には、進学塾のイメージが広がっていた。

誰もが黙々と机に向かい、鉛筆の音だけが響いている・・・、そんな光景が目の中にあった。

が、中に入って、私は愕然とし、正に、「開いた口が塞がりません」状態だった。

真面目に机に向っている子は、一人として居なかった。

誰もが口々に騒ぎ、はしゃいでいる。漫画本を読む子、いたずら書きをしている子、教科書なる物を

広げている子は、誰一人として居なかった。

そんな中、先生らしき人が二人、後で、ご夫婦だと知ったが、右往左往している。

「学習塾」と、聞いたが、この有様は何なのだ・・・?

これでは、普通の塾をイメージして面接に来た人達は、断るに決まっているではないか・・・。

しかし、幸か不幸か、私は、子供の頃から、こう言う子供らの面倒を見てきている。

体中の血が騒いだ。

「面白そうな所」


これが、私の第一印象だった。

下は小学1年生から、上は中学3年生まで、あらゆる学年の生徒が居る。

いわゆる、学校の授業について行かれない、世の中では「落ちこぼれ」と言う偏見の篭った言い方をされ

る子供ばかりなのであった。

人数は20人程だったが、老夫婦先生では、手に負えそうもないのが、手に取る様に判った。

私は、面接も何もなく、いきなり大声で叫んだ。

「静かにしなさい!席に戻りなさい!きちんと前を向きなさい!」

一瞬にして、静まり返った。先生夫婦をはじめとして、子供らも皆が、驚いた事であろう。

子供らはさっさと席に戻ると前を向いて座った。

「今日から、皆さんと、お勉強を一緒にします。まず、みんなの名前を教えて下さいな。」

順に、立ち上がると、名前と、学年を教えてくれた。

面接の時に必要かと思い、持って来ていたノートに、名前と特徴、学年を書いて行った。

一人に付き、1ページずつ使った。書き加えなければならない事が、沢山有ると思ったからだ。

一通りの名前を聞くと、次は、一人ずつ、得意な教科と、苦手な教科を聞いた。また、ノートに書いた。

先生二人は、何も言わず、黙って私を見つめているだけだった。

「では、得意な教科の教科書を出しましょう。いいですか?出したら、最初から、声を出して読んでみま

しょう。」

子供らは、流石に得意分野とあって、意気揚々と読み始めた。

私は、初めて、ここの先生二人に挨拶をした。

名前を名乗った後、ここに来た経緯を話したが、それは、先生もご存知だった。

「済みません。勝手な事をしてしまいました・・・。」

先生は、笑って下さった。

「驚きました。ご経験が豊富なようですね。」

などと、言われてしまった。

「いえ、初めてです。ただ、子供の頃から、したの子の面倒みてましたから・・・。」

「そうですか。取り敢えず、今日は、貴女に全てお任せしますので、お願いできますか?」

「ありがとうございます。勝手しますが、よろしくおねがいします。」

と、言う訳で、私の授業が始まった。

私は、得意科目の教科書を読ませながら、一人ずつ部屋の隅に呼んだ。

そこで、苦手な教科の教科書を出し、どの辺りまで理解できているか、何処でつまずいているのかを

探って行った。中には何学年も前の段階でつまずいている子も居た。

一通り読み終えた子には、何度でも繰り返し読むよう言った。

その辺りのフォローは先生がして下さった。

全員の理解の程度を把握すると、

「はい。よくできました。みんな、良く出来るね。感心しましたよぉ。偉いねぇ。」

とにかく、褒め捲くった。

「では、今日は、これで、おしまいにしましょう。明日も、元気に来て下さいね。」

そう言うと、勝手に授業を終わらせた。

「先生、さようなら。」

「先生、バイバイ。」

口々に言いながら、帰って行った。

「先生、済みませんが、教材を買って来ても宜しいでしょうか?」

「ええ。結構ですよ。領収書、お願いしますね。」

と、言う事で、私は、面接も何もなしに、勝手に授業を始め、終わらせ、その上教材まで買うと言って

しまったのである。

先生は、後に、

「あの日の事は、今でも鮮明に覚えていますよ。驚きました。生徒があんなに素直に言う事を聞いたのも

初めてでしたからね。」

と、笑って仰って下さった。

私は、その日の帰り、本屋に寄ると、子供らの行き詰っている段階の、教科書に則したドリルを、個人別

に手に取り、20冊近くのドリルを買って帰った。


 翌日、子供らを席につかせると、個人別に、ドリルを配った。中には苦手教科が多く、ドリルが何冊に

もなる子も居たが、とにかく、配り終わると、

「さて、今日から、みんな、自分に合ったお勉強をしましょう。ドリルの1ページ目から進めましょう

ね。判らない所があったら、先生を呼んでくださいね。授業の間に休憩時間があるから、それまでは、

頑張ろうね。おしっこ、行きたい子は、そう言ってね。では、始めましょう。」

流石にドリルの1ページ目からつまづいている子は居なかった。そのつもりで、ドリルを買ったからだ。

簡単に、スイスイと、問題が解け、答えがわかると言うのは、嬉しい物なのだ。それを先ずは知って欲し

かった。二日目は、何人かの子が質問をしただけで、後は、騒ぐ事もなく、無事終わった。

「せんせ、簡単すぎやわ。」

「先生、答え解ると嬉しい。出来ると嬉しい。」

期待通りの反応が、私にも、嬉しかった。

「そうだよ。答え、解るとヤッタ〜!って、思うでしょ。それが、一杯判る様になると、ヤッタァ〜も

一杯になるんだよ。気持ち良いね。段々、難しくなるけど、ちょっとした事で、直ぐ判る事が一杯あるん

だよ。みんな、知りたい事、一杯あるでしょ。それと、おんなじなんだよ。」

「そっかぁ・・・。面白かった。」

「もっとね、一杯、知りたい。」

子供らの反応は、様々だったが、勉強に興味を示してくれただけで満足だった。

 そんな毎日が続いた。

次第に、判らない所が出て来る生徒が増え始めた。

根気良く、何度も繰り返し教えた。三人の先生は、それこそ、引っ張りだこだった。

「やったぁ〜出来たぁ〜!」

「あ〜!解ったぁ〜!」

そこらじゅうから、声があがると、他の生徒もつられる様に頑張り始めた。

相乗効果は、凄い物である。改めて思った。

学校の授業について行かれる様になった子は、次第に辞めて行った。

それもまた、寂しくもあったが、嬉しい事だった。


そんな中、ただ一人、来年は高校受験というのに、小学校レベルでつまづいている子が居た。

今で言う、「多動性症候群」、つまりは、じっとしていられない、集中力に欠ける子である。

その子一人が、問題だった。

その子こそが、私が、見ず知らずの同窓生から連絡を貰った時の、彼女の従弟であった。

塾は、このまま、先生夫婦で何とかやって行けそうだった。

私は、

「個人的に、彼を見たい。」

と、申し出た。

反対はされなかった。

私は、塾を止め、その子の専属の先生になる事になったのである。

「え〜、せんせ、やめちゃうの?」

「何で〜?」

この頃には、「せんせ」と、呼ばれる事に不思議な感覚を覚えていた。

嬉しいような、気恥ずかしいような、そんな気分だったような気がする。



 私は、何も特別な事はしていない。

子供の時分に、私の弟、妹、従弟の勉強を見てやっていた頃と同じ事をしただけである。

答えが解った時、問題が解けた時の嬉しささえ知れば、勉強は楽しい物なのである。

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きく乃さん、感動したよ。思わず鳥肌が立った。 素晴らしい!今の教師にこんな気持ちがあれば、苛めも無くなり、涙なんか必要が無い世の中になるのに・・ね。

2006/10/7(土) 午後 2:59 hit*r*ikujp

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わが姪も、中・高の教員免状を取りながら今では進学塾の講師で、情熱を燃やしいてる、とその子の姉の結婚式で聞いた。 教師の派閥や組織の醜い争いに嫌気がして、自分の教え子が目標のところに進学できる喜びが嬉しい!と語っていた。 これは君と同じ、人に対する思いの尊さが此処にはある!

2006/10/7(土) 午後 3:05 hit*r*ikujp

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随分と、お褒め頂いて、恐縮です・・・。^^; 子供は褒めるといくらでも伸びて行きますよね。いい所は、確り褒めて、躓いている所さえクリア出来れば、後は、面白い様に、出来る様になります。子供はホントに素直ですから・・・。面白ささえ判れば、誰でももっと、知りたくなるのが本能ですよね。

2006/10/7(土) 午後 4:30 ゆき乃

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確かに・・僕の従妹も中学の頃先生に褒められたらしく、それからその中学を代表するような子になりました・・ね。 無論、才能も必要だけど、それとおんなじようにそそそ褒めて伸ばす事は大切な事のようです・・ね。

2006/10/8(日) 午後 2:47 hit*r*ikujp

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大人でもやはり褒められると嬉しいですよね。だから、いい所はどんどん褒めてやったら、子供は素直な分、余計、頑張るようになりますよね。

2006/10/8(日) 午後 5:09 ゆき乃

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感動しました。ゆき乃さん熟の講師ができるなんて頭がいいんですね。

2006/10/9(月) 午前 11:41 [ ヘンリー ]

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ゆき乃さん、ほんとに素晴らしいです。うちの子供たちを誉めたのはいつのことだろうか?大切な事を気がつかせて頂きました。ありがとうございます。

2006/10/9(月) 午前 11:58 [ パイン ]

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ヘンリーさん、塾って言っても進学塾じゃないからね・・・。私自身、褒められると嬉しくて、そればっかり勉強したから、ただ、同じ事しただけ・・・。成績は良くなかったよ(笑)。

2006/10/9(月) 午後 4:53 ゆき乃

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ちゅらさん、私は子供に恵まれなかったけど、何分、田舎なんで、下の子の面倒は私が全部見て来たからね・・・。子供の時に子育てした様なもんです。その時に思ったのが、「答えが解った時の喜び」かな・・・?勉強みてて、解った時の嬉しそうな顔が、私にも嬉しかったから・・。

2006/10/9(月) 午後 4:57 ゆき乃

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