第九話 ―いつも君がいた― 第三章
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「やっぱり、ここでしたか」
息を切らせて操舵室に飛び込んできた部下に目をやり、ムライは少し笑ってみせた。 「なんとなく、こうしているのが、習慣でね」 操舵室には、常にクルーがいる。少将が常に居なければいけないわけではないが、ムライは大画面に映し出された、虚空を見つめている。手近なデスクには、いつもの味気のない白い便せんとペンがあった。また、夫人に手紙をかいていたらしい。 「“あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな“」 低く、小さくムライが一首詠んだ。 「百人一首ですか?」 「残念ながら、自分で詠む才能がないものでね。 “瀬を早み 岩にせかるる 滝川の…」 「“われても末に あはむとぞ思ふ” こっちの方がいいですよ。参謀長っぽいです」 ムライは『そうだな』と言い、書きかけの便箋を捨て、もうすでに書きあげている封筒を取った。 「少尉も少し仮眠をとった方がいい。私も戻るから、君ももう官舎に戻りなさい」 ムライはペンを胸ポケットに収め、歩きだした。スミレは、左手を固く握りしめた。チリンと、いつもの音がする。まだ、だ。まだ自分は後悔する。振り向くと、ムライはすでに扉の向こうへと消えていこうとしていた。後を追ったが、長い廊下で、どんどん遠くなりつつある。今ならば、廊下には誰もいない。 『君は走るべきだ』 スミレは走った。正確に言うと、小走りに、ムライに駆け寄った。 「お………お父さん!」 それは、スミレが随分長い間、自分の中に封印してきた言葉だった。いや、封印しなければ、自分がおかしくなってしまうと、心の奥に叩き込んだ言葉だった。馬鹿な父親が、兄と弟妹を奪った。貧困が、姉を奪った。死が、母を奪った。スミレが孤独に襲われた時に、そっと手を差し伸べてくれたのが、彼だった。実の父を父と呼ぶ気はさらさらない。今日からは、この人が父だと、きめていた。 ムライは、腹の所でしっかりと組まれたスミレの手に触れようとしたが、ゆっくりと首を横に振った。 「何の冗談かね? アンナ少尉」 「“ジョーイ=ヘミングウェイ”。参謀長、……ムライさんでしょう?」 「何の話か」 「後悔したくないんです。……顔は覚えていませんが、今、確信できました。あなたですね?」 ムライはそっとスミレの手をほどいた。どれ程悲痛な表情をしていたのかは、スミレは知らない。ムライは振り向かない。 「君は、何を根拠に」 「どういう事情かは、知りません。知らなくても構いません。でも、ずっと会いたかったんです。会って、ちゃんとお礼が言いたかったんです。長い間、ありがとうございました。このご恩、一生……」 「いい加減にしなさい!」 スミレの言葉を、ムライは途中で遮った。 「そんな言葉を聞きたくて、私は今まで君を!」 スミレはにやりと笑い、ムライは手近な手すりに凭れかかると、しゃがみ込んだ。 「そんな所まで似なくても……」 「誰にです?」 スミレはニコニコ笑ってみせる。 「君の母親にだよ、スミレ。お茶を淹れて、私の執務室に来てくれるか?」 官舎ではなく、操舵室に近い少将の執務室へ、スミレは案内された。スミレが以前見た写真が、夫人の写真の傍に、あった。そして、もう一つ。はっきりとスミレの母の若い頃だとわかる写真が、デスクにあった。その他は片付いていて、あるのはその写真と戦術家の本くらいのものだ。 スミレが淹れた茶を美味そうに二、三口飲むと、ムライはスミレの母の写真を手に取った。軽く癖毛がかった長い黒髪で、瞳も黒水晶の輝きをたたえている。肌の色だけが、スミレよりも黄色がかっている。その分、袖をちょこんと広げて、小首を傾げて立っている和服姿は、よく似合っていた。スミレのスラヴ系の肌の白さは、父に似てしまったようだ。 「君の母、“アオイ=アラカキ”は、私の幼馴染だ。黒い瞳が零れそうな程大きくて、よくからかったものだ」 愛おしげに、ムライは写真を見ている。もしかしたら、ムライはアオイの事が好きだったのかもしれない。―そうなると、結果としてスミレは生まれなくなるのだが― 「いつも私の後をついてきて、私の事を兄と慕ってくれていた」 そう言うと、ムライは傍らに座ったスミレの癖毛がかった黒髪を撫でた。昔を懐かしむように、ゆっくりと。 「結婚すると告げられたのは、アオイが十九の時だった。慌てたよ。猛反対した。まだ早すぎると。その時、すでに私は軍隊にいて、アオイとはヴィジホンで定期的に交信していた。アオイの家は、母子家庭でね。アオイは母親に楽をさせたがっていた。玉の輿を狙うんだと、いつも言っていたよ。 冗談だと思っていたが、本当だった。これが、アオイの花嫁姿だ。可愛かった」 その後、アオイはサクラという女の子を産んだ。喜ぶ周囲と違って、父親である、“セイキチ=アンナ”だけは、喜ばなかったそうだ。 「彼は男の子が欲しかったのだ。大丈夫、男の子さえ産めば、きっと結婚前の彼に戻る。アオイはそう言った」 ムライは黙った。湯呑に視線を落とし、言葉を探す。 「六年後、また“女の子”が産まれた」 「お兄ちゃんじゃないの?」 「レンは……女の子だ。奴が……その娘を息子として育てたんだ」 スミレは、男の人が泣くのを我慢するのを、初めて見た。手に力を込め、肩を震わせて、歯が擦れる音がする程、歯を食いしばった。 「スミレ、君が産まれた。偶然、休暇中でハイネセンにいた私は、誕生したばかりの君を抱いているんだよ。可愛かった。サラと……うちのと二人で大喜びした。アオイちゃんが三人も女の子を産んだ。皆、可愛らしくて、アオイちゃんに似ていて……一人だけ、喜ばない輩がいた。 私は、はっきり言って、奴を憎んだ。そして、アオイに離婚を勧めた。三人の娘も、アオイも。私達が守る。ちょうどハイネセンへ赴任する話が出ていた。一緒に住もう。幸い、うちの息子たちも三姉妹を妹のように可愛がっていた。だが、アオイは、首を縦に振らなかった。 私が間違っていた。あの時、引っ叩いてでも、連れて行くべきだったんだ。アオイからの連絡は途絶え、住所も判らなくなり……やっと見つけた時には、君は十歳になっていた。後悔した、何よりも悔しかった。アオイを裏切った奴を、殴りたかった」 「どうして、言ってくれなかったんです?」 「……君に責められるのが怖かったのだろう。いや、怖かった。君がこの艦橋に来て、驚いた。アオイによく似た黒髪の娘が。不当な扱いを受けているのに腹が立ってね。実力を知っているだけに、余計にね。だが、君を特別扱いしたことはない」 スミレは、笑ってみせた。 「知ってます」 「いつ頃からだ?」 「愛読書、ヘミングウェイでしょ? あれぇ……ヘミングウェイだーって思って。後は、筆跡が似てるなとか、あぁ、きっとこのくらいの年齢なんだなぁとか。 一度、艦隊に入ってから、私の友達が亡くなったでしょ? 仕事が手につかなくって。そしたら、すぐに両掌に一杯の菫の花束が届いた“僚友の死を嘆く前に、己のすべき道をみよ。それこそが、僚友の弔いとなるはずだ”軍人ヘミングウェイを、そのメッセージに感じました。辺境星の教師じゃないって。そして、すぐ近くに居る事も」 「時々、私事だとおもいながらも、“もういい、帰りなさい”と言いたくなった」 上司としてのムライでなく、一人の人間としてのムライが、目の前にいる。“ジョーイ=ヘミングウェイ”が次第に形を為し始め、スミレはそれが嬉しくてたまらなかった。 長い間、スミレはムライと向き合った。ムライは、照れくさそうに視線を逸らしたが、すみれはその黒真珠の瞳でじっとムライを見つめ続けた。 「不思議……」 「ん?」 「あたし、死なないような気がしてきた」 「それは良くない事だ。アドレナリンが出過ぎている。落ち着きなさい。 ……だが……私もだ」 ムライは低く、だが明確に賛同した。 「今度休暇がでたら、サラに会いに行こう。ハイネセンへ、帰ろう」 「うん。会いたい。すごく」 「君の二人の姉も、探そう。少なくとも、一人は自由惑星同盟にいるはずだ」 長女・サクラと次女・レンの事だ。 「サクラは、とても哀しげな瞳をした少女だった。スミレよりも、もっとアオイに似ていたかもしれない」 七歳上の姉、サクラをスミレはおぼろげに覚えている。しかし、母親と混同している所もあるのか、どこかあやふやだ。サクラはよく働いた。とても大人びていたともムライは語った。 「“黒い瞳のお人形”と、確か……フランス系の女性に引き取られていったと聞いた」 「サクラねえさんは、……だと思う。あれは母さんの手じゃない。あたし達弟妹に、この鈴をつけていった『出会った時の目印だ』って、言ってたようなきがする」 スミレの左手の薬指で、鈴がリンと鳴った。 「お父さん……」 「うん?」 ムライは、やはり照れくさそうに返事をした。 「お父さん」 「あぁ」 顔をあげたムライの頬に、スミレはチュッとキスをした。 「だーい好きだよっ」 もう一度、ムライのこけた頬にキスすると、スミレは執務室を飛び出して行った。ムライは人知れず、涙した。無論、嬉し泣きである。 |

