川合次郎兵衛塚一号墳
私たちを、太古の昔にいざない、ロマンの夢に浸らせてくれるもの。。 お城や城址、お寺や宿場町、関所跡や古戦場といった史跡がそれですが、 日本全国に沢山あって規模も様々、私たちの身近にも見かけられる史跡といえば「古墳」ですよね。 国内最大のものは堺市の「仁徳天皇稜」と習いましたが、多くは小さな物が主流でしょう。。 今回は、私の身近にあるもので最大の古墳を紹介しましょう。 - 岐阜県可児市川合地区 - 地図はこちら 平成2年4月〜3年12月、この周辺一帯で市の教育委員会が発掘調査をしました。 その結果、古墳が13基、縄文時代から奈良時代にかけての住居跡が150軒など、 沢山の遺構や遺物が発見されました。 その内、古墳の中で最も規模が大きく保存状態が良かった、 この次郎兵衛塚古墳一号墳が当時の石積みを出来る限り、そのままに補強、 崩れていた部分は積み直すなどして保存整備され復元されました。 ※ただし、一部分は盛土により遺構を地下に保存して、その部分は地上に復元してあるそうです。 この古墳は、古墳時代の終わり頃(7世紀の初め頃)に築かれた大型の方墳です。 川原石を積み上げて二段に築かれており、平らな部分にも小さな石が敷かれています。 頂上部以外で目につく物は川原石ばかりで、その姿は見る人を威圧するかのようです。 周濠(堀)も人の近寄りを拒んでいます。この古墳には三つの横穴式石室が発見されました。 中央には二部屋に区切られた巨大な主室、向かって左側に西副室、右上に東副室が見えます。 実はさほどの時期差はありませんが、二つの副室は後で増築されています。 《規 模》 下段の一辺29.5m 高さ約7m 上段の一辺17.6m 平坦面の幅4〜5m 三つの石室は荒されていたそうですが、副葬品としての須恵器や鉄器、装身具などが 多数見つかっています。主室の一番奥には石棺が置かれていたようです。 また、東福室の外回りには、60個を超える大小の須恵器がびっしりと供えられていました。 子供用に増築されたとみられる東副室の、手厚い葬儀を物語っています。 この古墳は、方墳としては県下で最大級の規模を誇ります。 古墳時代にはその初め(3世紀後半頃)から、大玉や首長のお墓はほぼ全国的に 前方後円(方)墳と決まっていましたが、世紀の後半頃になると、 中央ではこれに代わって方墳が築かれ始めます。 この変化は岐阜県内でも同じ状況を示しており、6世紀の終わり頃から 7世紀の前半頃にかけて、各地の首長墓として大型の方墳が築かれています。 この時期、民衆の間でも古墳が築造されるようになりましたが、 その中にあってこれらは群を抜いた規模を誇っています。 可児市教育委員会 @以上、現地案内看板・説明文より |
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古墳
@東京・小金井市、江戸東京たてもの園 {{{: ☆左側の写真=「瀬戸岡1号墳」〜Stone Chamber at Seto-oka no.1 …あきる野市の秋留台地北縁に点在する瀬戸岡古墳群の中のひとつ。 ・年代:奈良時代(7世紀後半) ・旧所在地:あきる野市瀬戸岡 瀬戸岡古墳群の特徴は,墳丘がほとんど見
2006/2/6(月) 午前 8:26 [ にっぽん巡礼 ]
トラックバック有難うございます。家の隣に高校が出来る時、こういう石を並べた古墳が見つかりました。上の方しか見なかったのですが、円形に見えました。完全に下まで発掘すれば方形だったのかも知れませんが。この古墳の名前の由来がわかりましたら教えてください。
2006/2/5(日) 午後 9:09
ミミさん>早速のコメント有り難うございます。ご自宅の隣地は高校ですか。。文京地区なんですね、環境が良さそう。。円墳が出土しても完全に発掘しなかったのですか?はて、何故かしら?底部が方形でなくって周濠も無いと判明したからなのかしら?在れば完全に発掘するでしょうから…。。この古墳の名前の由来ですが現場看板には記述して有りませんでした。…が、おそらくこの地の地頭か豪族といった有力者ではないかと推測されます。。かつての支配者の氏が、その地の字名になる例はよくある話ですから。。
2006/2/6(月) 午前 5:28
ミルさん、お早うございます。これはまた随分と立派な石室ですね。驚きました。この規模のものが身近にあるとは羨ましい限りです。TB有り難うございました。^^
2006/2/6(月) 午前 8:25
石積みの古墳というのは珍しいのではないでしょうか(歴史に詳しくありませんが)。私の住む地域にも自慢すべき古墳があります。 中でも、昭和43年に稲荷山古墳より発掘された鉄剣は、115字の金象眼の銘文が有名になりました。 次のホームページがあります。 http://www.city.gyoda.saitama.jp/kankou/kofunp.html
2006/2/6(月) 午前 9:20
りっぱな石積みですね。近くに河原があるのでしょうか?河合次郎兵衛という人が発掘したのでしょうか?まさか次郎兵衛さんの墓ではないでしょう!二号墳・三号墳・・があるのですか?
2006/2/6(月) 午前 9:28
礼じゅんさん>私もこの古墳を初めて目にした時は、今までに見たことの無い威容に驚きました。古墳といえば土盛りした小山に樹木が繁ったものという既成概念でしたから。。全面を玉石で覆う手の掛け様から、この地の首長の墓では無いか?との説が有力な様です。
2006/2/6(月) 午後 2:18
RAKUSAIENさん>今日は。。石積みの古墳は確かに余り見たことがないですよね。実物は勿論、写真でも記憶にありません。紹介して頂いたHPの記事ですが「稲荷山古墳」の発掘は「愛宕山古墳」の発掘予定が偶々、変更になった話。出土した鉄剣を10年間展示後、保存の為に処理に出した先で「金錯銘鉄剣」が発見された話。。どちらも偶然性が生み出したドラマのようで、楽しく見せて頂きました♪
2006/2/6(月) 午後 2:44
山師匠さま>今日は〜☆この場所ですが木曽川から数百メートルと離れていませんし、地下からは川石の原石が出ますので築造当時の資材調達は容易かったのではないかと思います。こちらの古墳に関して可児市のHPがありましたが「川合次郎兵衛」の名前の由緒・来歴については述べられていませんでした。こちらです。http://www.city.kani.gifu.jp/gakushuu/bunsin/kouko/jorobe/top.htm 解説によると須恵器などの出土遺物の年代から主室には2回以上の埋葬が考えられ、最初に葬られた人は可児地域の首長と考えられているそうです。
2006/2/6(月) 午後 3:01
山師匠さま>2号墳〜3号墳は具体的に判りませんが、こちらの地区の区画整理事業では古墳が13基、発掘されたようです。その内、これが最も保存状態が良かったので保存整備されたのですね。閑静な住宅街に妙にマッチしていると思われませんか〜?
2006/2/6(月) 午後 9:12
石葺きの古墳ですね。というか、本来古墳というとこういう感じなのでしょうが、近所にある古墳にはこんなタイプはなく、鬱蒼と木々が生えていて、築造当時の面影のある古墳は少ないです。
2006/2/6(月) 午後 10:44
ばろんさん>今晩は〜☆ 岐阜には他にも古墳が沢山あるようですが、私の知る限り(大したことないけど(笑))石葺きの古墳は他に見たことがないです。大抵は、おっさyるように鬱蒼と木が生えていて、ただの小山のように見えます。
2006/2/6(月) 午後 10:53
確かに石積みの古墳はあまり見たことが無いですね・・ここまで再現されると古代へのイメージが沸いてきますね。次郎兵衛さん、相当な有力者だったのでしょうね・・
2006/2/7(火) 午前 0:50
近所に大きな古墳がたくさんあります。その中で、造山古墳は古墳に登ることができるのです。自由に立ち入ることができる古墳としては日本最大です。あまりに大きいとタダの山にしか見えませんが・・・
2006/2/7(火) 午前 1:01
以前、横浜の在で農家の祠(ほこら)に須恵器が置かれていたので、良く見ると、首の部分を飛ばした横穴墳墓に良く見かける臓骨器(骨壷)で、それを賽銭を入れる器として使っているのを見たときは絶句しました(笑)有名な家元の茶席で古窯の臓骨器を水指として使っているというからそんなに驚く事でもないか?
2006/2/7(火) 午前 2:23
これ子どもなんかが遊び場にしそうですね。石塚に登りそうです。鎖がないところもありますし、注意札もありません。おおらかですね。
2006/2/7(火) 午前 2:47
なかなか貴重な古墳ですね。普通かなりあらされてしまうようですが、残っていたものが多く文化財的に貴重でしょうね〜 この場所は川合地区というのですか?ということは、川合次郎〜という名前は、この地域の地主だった人の名前では?古墳を発掘調査した際、当時の地主の名前をつけたとか?自分たちの祖先だという意味もあるかもしれません。
2006/2/7(火) 午前 7:31
家の近くで見つかった古墳のことは10年以上も前ではっきりした記憶がないのですが、古墳の頂が地面よりかなり下にあって古墳を見下ろす感じだったので、その古墳が5〜6メートルの高さだったとすればかなり土砂が堆積していたことになります。この辺りは遺跡だらけなので一通り調査が済んだらまた埋めてしまうのではないでしょうか。新しく道が出来るようなところはいつも発掘をしています。
2006/2/7(火) 午前 10:57
ZIROさん>お早うございます〜♪ 次郎兵衛さんは親戚ですか?って違いますね(笑)私も石積みの古墳は初めて見ました。この労力の掛け方は相当に身分の高い方だったと思われますね。
2006/2/8(水) 午前 4:59
しんさん>お早う〜ございます♪ 岡山も古墳は多いですか。。立ち入りが自由って聞いて、改めてそうでない古墳もあることに気がつきました。大きいと確かに「山」ですよね。どのくらいなのかしら・・・
2006/2/8(水) 午前 5:15
古次郎さん>出土品の須恵器を壊して、流用するなんて・・・文面からお察しした感じでは農家の方は、古器が判らないのかしら?古次郎さんの「絶句」が目に浮かぶようです。。
2006/2/8(水) 午前 5:21
山師匠さま>お早うございま〜す♪ 確かに子供が喜んで遊び場にしそうですよね。実はアップした写真にはありませんが「石山に上らないでください」っていう看板が立っています(笑)鎖は一箇所だけですので、厳重な管理って感じでは無いですよね。
2006/2/8(水) 午前 5:25
おーすぎさん>お早うございま〜す♪ こちらの古墳は平安時代に荒らされたと推定されているようですよ。詳しくはリンク先に有りますが、古墳の命名に関しては記述が見当たりません。おそらくこの地区で昔からの伝説の有名人なのかも知れませんよ(笑)http://www.city.kani.gifu.jp/gakushuu/bunsin/kouko/jorobe/top.htm
2006/2/8(水) 午前 5:30
ミミさん>お早うございます♪ 古墳の頂が地面よりかなり下にあって、見下ろす感じだったなんて…土砂の堆積だとしたら、その昔に未曾有の大災害が発生したのかも知れませんね。。以前のコメントで「古墳のある所は災害が無い」なんて書いたのが恥ずかしいです(笑)発掘が終わった遺蹟は余程、貴重なものは保存するようですが大抵は埋め戻してしまうようですね。岐阜市でも大規模公園造成の際に「土岐頼芸の館跡」が出土して話題になりましたが、また埋めちゃいましたよ。
2006/2/8(水) 午前 5:40
ミルさん、賽銭を入れる為にそうしたのではなく、埋葬する時点でそうしたようです。壷の形をしていて丁度、首の部分から欠いてあります。高さが30センチほどで気にしていると博物館などで見られますよ。最初は自然に欠けたものだと理解していましたが、どうも埋葬する時にそうする風習があったようですね。それと、30センチですと当然火葬した事が分りますが、弥生時代には人間が入るくらいの大きな瓶もあり、土葬と火葬の境はいつごろなんでしょうかね?
2006/2/8(水) 午前 5:53
大規模な古墳ですね!しかも・・・「石積みの古墳」と言うもの、そのものの存在を今回初めて知りました。太古への想いを馳せて・・・気持ちが明るくなります。ありがとうございました。^^
2006/2/8(水) 午前 7:36
古次郎さん>今晩は♪ 再コメントありがとうございます。壷の首を欠いた形の土器ですか?判りました。次の機会から注意して見てみます。。30センチの臓骨器なら仰るように火葬でしょうし、人間が入る程の瓶なら土葬と考えられると思います。。最近でこそ田舎でも火葬場が建設されて土葬は殆ど無くなりつつありますが、僅か20年くらい前までは土葬が行われていました。土葬も火葬も遠い昔からその地域の風習で、平行して行われていたのではないでしょうか?
2006/2/8(水) 午後 8:34
tetuさん>今晩は〜☆少しご無沙汰ですね。。石積みの古墳は珍しいですよね〜。。石を積んだ理由は雨による崩落予防もあると思いますが、この手厚い葬り方は、当時の人々の思い入れの大きさが伺い知れますね。普通の古墳は土盛りですが、この墳はミニ・ピラミッドと言えるかも?。。こちらこそコメントを有り難うございました〜♪
2006/2/8(水) 午後 8:43
7世紀ぜんぱんですか。石積みの古墳は初めて知りました。全国にこの時代流行ったんですかね。解説も詳細でいい勉強になりました。
2006/2/9(木) 午後 6:29
ちょうさん>今晩は☆ 「石積みの古墳は初めて見た」という皆さんのコメントに象徴されるように全国的にも珍しいようですね。7世紀の終わり頃の普遍的な古墳作りに「石積み古墳」が存在したか否か?それらの情報が全国に広く伝わるまでに要する時間等、専門的な時代考証の資料を見てみないと解りませんが、この地域は木曽川の流域で当時も原石が入手し易い土地柄であったことは確かだと思いますよ。。
2006/2/9(木) 午後 8:43
ミル♪さん、古墳というと、どうしても近畿地方を思い浮かべるのですが、岐阜にも立派な古墳があるんですね 古墳も石を積み上げた状態だと、まったく違った印象ですよね(^^ゞ
2006/2/9(木) 午後 10:48
Shaneさん、今晩は〜☆ コメント有り難うございます。。そうですね、古墳と来たら、かつての日本の中心、近畿ですよね。岐阜も密度こそ濃くは無いかも知れませんが、かなりの古墳が見受けられます。西部あたりでは「古墳群」などと言う名所もあります。…が、その中でもこちらの石積みの古墳は非常に珍しいと思いますよ。
2006/2/9(木) 午後 11:18
未曾有の大洪水はあったかもしれません。家の周りで下水道の工事をしたときは直径1メートルを越すような石が沢山でました。あんなに大きな石が流れるのですから、かなり規模の大きな洪水だったと思います。
2006/2/10(金) 午前 9:05
ミミさん>直径1メートルを超えるような、そんな大きな石が出ると云うことは大洪水の可能性は高いですね。やはり「暴れ天竜」の名に相応しい災害だったのかも・・・?名前はダテに付いてはいないってことでしょう。
2006/2/10(金) 午後 5:18