『ファニーゲーム U.S.A.』
|
アメリカの内部に忍び込んでリピートされる悪意のゲーム
オリジナル(97年)を初めて観た時こそその悪辣さにげんなりしたが、しかしハネケのその後の映画、『ピアニスト』『隠された記憶』の複雑な悪意の構造を観た後でそれを振り返ると、むしろアメリカとハリウッド映画に対する悪意が分かりやすくストレートで、どこか朗らかにすら感じられたものだ。例の「巻き戻しシーン」だってアイディアとしては正直単純だし、子どもじみている。わざわざ伏線になるような小道具を見せつつ、その小道具が機能しない……なんていうのも、今改めて観るとブラック・ジョークと言うよりはギャグ。基本的にハネケの映画はインテリたちが恵まれた環境にいることに対して抱く罪悪感を内省するものであり、そういう意味でそこでの悪意に満ちた闘いは常に自分自身が敵である。オリジナル『ファニーゲーム』は基本的に構造が単純なので、今となってはハネケ映画の中で最も言い訳じみた作品、という気もする。
だが、本作が真正の「アメリカ版」としてリメイクされ、その悪意がリピートされていることで本領を発揮していると言えるかもしれない。何しろキャストにナオミ・ワッツ、ティム・ロス、マイケル・ピットを置きながら、一見スリラー映画を踏襲しているようで全くスリラーとして物語られないのだ。基本的には、頭のおかしい殺人狂の若者が金持ちの別荘にやってきて、一家全員をひたすらいたぶりながら殺す、それだけ。ちなみに、リメイクではあるがハネケ本人が手がける本作では内容に一切の変更がなく、それどころか全てのショットが全く同じように撮られている。カタルシスもドラマもなく、代わりに殺人者の若者が「皆さんはどうです?」などとスクリーンの向こうからこちらに呼びかけてきて観客への「ゲーム」への参加意識を持たせる。オリジナルを観たことがなく、アメリカ版として初めて観た観客は心底嫌な気持ちになるだろうし、これがアメリカ映画としてハリウッド・キャストで完成されたことはハネケの当初の目的が達成されたということであろう。ハネケは、ここでごくストレートに観客(そしてそれは恐らくアメリカ人の観客)を嫌な気持ちにさせたいだけなのだ。
しかしながら、オリジナルを何故か2回観た僕はこれをごくごく気軽に観られたのだった。そもそも全ショットをオリジナルと全く同じように撮影するという偏執的なアイディアそのものが文字通り「ゲーム」のようである。異なるのは俳優と言語とごく細かな設定だけと言ってよく、今度は映画の存在そのものがギャグのように見えてくるのである。が、そのギャグの内容がひたすら悪辣という倒錯。それがあまりにもハネケ的である。
この映画の目的が、暴力が娯楽として消費されていることの告発だとして、しかしそれをむしろ娯楽として消費するという反転。だからオリジナルを観た人間はこのリメイク版を観ることで、リメイク版を観たものがオリジナルを観ることで、本作の目的は完遂されるのだろう。詰まるところハネケの映画とは常に観客を巻き込んだ心理実験であって、非常にねじれた形でのコミュニケーションなのである。
(監督:ミヒャエル・ハネケ、2007年 アメリカ/イギリス/フランス/オーストリア/ドイツ)
テアトル梅田にて |

