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会員の皆様、ゲストの皆様おはようございます。
今朝の関西の空は黒い雲がたれこめて今にも雨が降りそうですが予報では西日本天気が回復するとの事で、久しぶりに暖かい日中になりそうですよ。
各地の紅葉も進んでいます、家族でハイキングもいいですね。
ところで昨日の朝日新聞の夕刊で面白い記事をみかけました。
信楽焼きと言えば思い出すのが、あの狸の焼き物ですね。私も数年前に友人と信楽を訪れて信楽焼きに挑戦したことがあります。その時に作成した湯飲みは
今も大切に保存しています。
2005-11-12 09:08:10
信楽焼の知名度を一躍広めたやきものに「陶器製タヌキ」がありますね。
大きいもので6メートルのものから1センチ位の超ミニまで、タヌキの種類は何千種類とあるそうです。
そもそもこれ程までに愛玩されるようになったのは何故だろうか。それは何よりも日本人が昔から、狸をひょうきん者とかずうずうしいとか、愛嬌ものとかいう動物として印象づけ、しかも実際生きている動物としてより、絵とか置物にした狸をコッケイ視し、親しみを感じていたところにあると思われます。
「タヌキ寝入り」「タヌキ親爺」「捕らぬタヌキの皮算用」「タヌキの金玉は千畳敷」などのことわざがあるし、コッケイな顔つきの人には「タヌキ」のアダ名をつける。
タヌキは人を化かすといいながら、ニクめないしその図々しさにも逆に親しみを感じる。
近頃ではタヌキを「他を抜く」意味にも使っている。
狸にまつわる民話も各地にあり、昔から話題のつきない存在であったのですね。
阿波の徳島には狸合戦の話もありきんちょう饅頭とか狸にまつわるお菓子も沢山あります。
室町時代以降のお茶会でも、「タヌキ香合」が陶器で使われていたそうだし、掛軸にも狸の絵が描かれています。
てまり歌に「雨のしょぼしょぼ降る晩に、豆狸(まめだ)が徳利もって酒買いに」という節がある。
置物狸が大流行したのは、実はこの「酒買い小僧」スタイルの狸である。
灘の造り酒屋では、酒蔵に豆狸が住んでいないとおいしい酒が造れないという話があります。
それ程古い酒蔵、古い伝統と経験がないとよい酒が造れないという例えだそうです。
その清酒は慶長年間に完成し、江戸初期から一般庶民の口に入るようになり、酒は徳利をもって行って、酒屋で樽から注いでもらいもって帰ったもので、その使い走りを子供にさせたものです。
酒買い小僧の狸の置物は、その姿をタヌキの置き物にしたものだそうですが、
話がそれてしまいましたが、現在、居酒屋の店先などでよく見かける狸の置物
ですが、あいきょうたっぷりなのに、最近外国でよく見かける招き猫やだるまの置物に比べて狸の置物の海外進出は進んでいない。
なぜかと原因を調べたらやはり下腹部にぶら下がった大きな陰嚢(いんのう)せいだとわかったそうです。
中国にも狸の置物はあるそうですが、下腹部の大きな陰嚢はないそうです、どうやら信楽焼きの狸様の国外進出を妨げたものはこれしかないですね。でもこれが日本の文化ですから当分は日本国内にとどまるしかないですね。
狸の焼き物については、どの産地が最初であるか今のところ明らかではありません。
清酒が酒屋で売られるようになった江戸時代から、狸のやきものは造られていたようである。信楽では記録に残っているのは幕末の門左衛門が確かに狸の置物を造っていた。
一説によると、徳利又は通帳に「まる八」(丸の中に八)のマークがあるのは、尾張徳川家の裏紋で、尾張八郡を支配する意味であり、しかも徳川家康はタヌキのアダ名があったことから、尾張知多半島にある常滑焼で、「まる八」の紋を入れて造ったのが人気を博し、それを模して、狸の置物には「まる八」と意味も分からないまま造るようになったという説があります。
現在、八相縁起といって、笠は災難除け、腹は太っ腹、顔は愛想よく等々言って8つの縁起があるという意味での「まる八」と結びつけているが、これは昭和27年、石田豪澄が「まる八」紋に合わせて詠んだものであって八相縁起の意味の「まる八」紋ではないそうです。
昭和26年11月15日、昭和天皇がこの地に行幸された時、沿道に旗をもった陶製狸が並んでお迎えしたことが、天皇のお気に召して「をさなどき あつめしからになつかしも 信楽焼の狸をみれば」と詠われ、それがマスコミにも大きな宣伝効果を与え、以来全国的に信楽タヌキが大流行した切掛となったそうです。
2005-11-12 09:11:11
今日では、酒買い小僧スタイルを基本として、あらゆる形、寸法、あらゆる用途にも、狸が使われ、信楽焼の代名詞とも言われ、また親しみやすい信楽焼の一助にもなっているそうですよ。
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