このままでいいのか?日米安保
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1941年12月8日未明、択捉島ヒトカップ湾を出向した日本海軍機動部隊30隻は、米国太平洋艦隊の基地があるハワイ真珠湾に先制攻撃をしかけ、米国への宣戦布告という愚かなる歴史の扉をこじ開けてしまった。開戦に追い込まれた理由は、日本軍の南部仏印(現在のベトナム、ラオス、カンボジア)への進駐や、蘭印(現在のインドネシア)での石油資源獲得を阻止しようとするABCD包囲網(アメリカ、イギリス、中国、オランダによる経済封鎖)を盾とした米国からの”最後通牒”への反駁だったといわれている。大本営による不幸な選択によって日本軍は230万人もの兵士を南方や満州の攻防で無駄死にさせ、沖縄戦と本土空爆では一般市民80万人も犠牲となった。
「空母赤城」などからなる連合艦隊空母6隻から出撃した奇襲第一次攻撃隊の183機は、水深の浅い真珠湾用に改良された800キロ爆弾が威力を発揮し、水平爆撃による魚雷攻撃が成功を収めた。なかでも戦艦「アリゾナ」には魚雷2発が命中して火薬庫の爆発を誘引し、1177名の将兵とともに艦艇は撃沈した。しかしアリゾナの残骸は遺体とともに今も引き上げられないまま(これは日本人による死生観だが)、「アリゾナ記念館」として“リメンバーパールハーバー”の象徴として利用されている。奇襲直後の大本営発表は敵戦艦8隻を撃沈と報じたが、うち6隻は復旧されてその後のミッドウエー海戦で活躍されてしまった。さらに空母を含む主力艦隊は西海岸に停泊していたために損害は少なく、奇襲作戦はむしろ、卑怯なジャップを殲滅するための聖戦意識を高揚させ志願兵を殺到させる逆効果となってしまった。この時以降米国政府は、米国に忠誠を誓う志願兵以外の日系移民は強制収容所送りにするという、歴史的過ちを犯してしまう。(山崎豊子の二つの祖国に詳しい)
真珠湾攻撃陰謀説は今も日米双方で議論がある。時の大統領ルーズベルトは、諜報局からの情報で大本営や在米日本大使館の動向を察知していたが、あえて放置して奇襲させることによって、国民の厭戦世論を参戦に誘導する為に利用したとの説だ。当時の日本の外交暗号は、米国諜報局の手で丸裸に解読されていたといわれ、陰謀説は真実味を帯びる。さらにはハル国務長官による「日本の東アジアにおけるすべての権益の放棄を求める米国の一方的な通告(通称:ハルノート)」は、日本を挑発するための仕掛けであったともいえる。
米国への宣戦布告は手違いで遅れたことや、大東亜戦争は自衛のための戦争だった言い訳する日本に対して「戦艦アリゾナ」は、卑怯な日本人への憎しみを忘れないための記念碑として、年間140万人の訪問者を迎え入れている。9.11テロの追悼式の場で当時のブッシュ大統領は、「これは真珠湾攻撃の再来だ」と演説し、米国政府は”パールハーバー”をテロと同列に論じるプロパガンダに利用しており、これに踊らされる無知な米国民や退役軍人たちの「悪の枢軸ジャップ」という歪んだ対日感情は、今も変わることはない。したがって沖縄戦以降の一般市民を巻き込んだ無差別爆撃投下や、広島と長崎への原爆投下に疑問を抱く米国民は未だに少数派だ。しかし日米安保は今も変わらず、占領軍然としての駐留米軍の治外法権は終戦直後と変わらず、思いやり予算というおとし前や、「ショー・ザ・フラッグ」と言う脅しによる”みかじめ料”を今も払い続けているのだ。(沖縄国際大学ヘリコプター墜落現場が治外法権とされ、日本の消防や警察が手を出せなかった時の画像)
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