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中村勇吾さんのブログを初めて読んだ。
http://yugop.net/blog/
人間だ。。。という感想。
なんというか、、
雑誌に載っちゃってる人は、
私にとっては「げーのーじん」で
それはもう人間というよりキャラクター。
ドラえもんと同じ扱い。
ドラえもんが普通に生活している姿がイメージできない。
腸内検査で2リットルの下剤を飲まされるドラえもん。
カンヌでドアの鍵が開かず閉じこめられるドラえもん。
そんなドラえもんがいても良いけど、
やっぱり中村勇吾さんは人間。
普通に生活してるんだなぁぁ。
とか思いつつ学校でブログを読んでいた。
で友達が「中村勇吾・・・・???」
って反応してたので説明。
その友達はwebに無関心って訳ではないけど
ユーゴ作のHPを見たことが無かったよう。
こんだけスンゴイのに。。。
結局は業界の人だけで盛り上がってる。。。。のかも
近頃、私が謎に思ってること。
音楽は何度も繰り返して聴くけど、
webは、どんなに綺麗でも、どんなに凄くても
何度も見に行かない。
私は、web雑誌に載ってるステキサイトを全部 見に行く。
んで「おおおぉ スンゲー!!」と感動。
んで、もう二度と行かない。
それより、新しい情報とかお役立ちサイトを求める。
なんなんだろう。。。
音楽は「何度も聞きたくなる」のに。
いくつかの説を考えてみた
仮説 1
視覚情報と聴覚情報の違い。
視覚情報は
・真新しさを求める。
・一度見たモノは、頭ん中で再現が容易
それに対して
聴覚情報は
・聞き慣れたモノで安心感を求める。
・一度聞いたぐらいでは再現がムズイ。
でも映画とかってもう一度見たくなったりするなぁ。。
数ヶ月後ぐらいに。。
スパンか。
webも1年後ぐらいにもう一度みたくなるけど、
その頃にはサイト閉鎖してたり、
技術が古くさかったり、もう見慣れた感があるってことか。。?
仮説 2
音楽は 「ながら」ができる。
歩きながら音楽を聴く、音楽を聴きながら勉強する。
それはアリだけど
運転しながらwebをする、webをしながら本を読む。。。。
ってのはナイ。
でも「ながら」の場合、
音楽は鳴っているだけで聴いてなかったりする。
音楽はそれでも許される。
そーゆー存在。
音楽だけが特別なんだ。多分。
あぁあ
でも部屋にポスターとか、絵を飾るってのはなんだ。
毎日、目に入ってるのに意識はそこに行かない。
静止画の場合は、そーゆーのも許されるんだ 多分。
んんんn
そこにあるようで、ないみたいな。
気楽な存在。空気。
仮説 3
音楽は感情をくれる。
テンション上げたい時はこの曲を聴く。
落ち込んでる時はこの曲を聴く。
歌詞+リズムによって その感情になる。
んんんn。。
泣きたいからこの映画を見る。
笑いたい時は このDVD見る。
ってのもあるなぁ。
そーゆーの作ればよいのか。
泣けるweb。
思いっきり泣きたい時に見るweb。
まとまんない。
いつもはブログに書いていくと
頭がまとまる。
ここに書いて、初めて気づくことがあったりするんだけどなぁ
っって。なんでこんなことにモヤっとしてるかというと、
「もう一度みたくなる、誰かに教えたくなるHP」
それが次のコンペのポイントだから。
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確かに!!
また聴きたくなる、また食べたくなる、また嗅ぎたくなる、また触りたくなる、
よりも
また見たくなる、ものって少ないかも。難題ですね。
一点に視線を集中しすぎると身の回りの危険を察知できない、という本能?
2007/7/21(土) 午後 8:30 [ ada*hi*oru*p ]
おぉ! そうですよね。音楽だけじゃなくて、食べる、嗅ぐ、触るも「またしたくなる」ってありますよね。
「身の危険を察知しなきゃいけない視覚説」ですか。
ってことは、「マジカル DEATH」を何度も見てしまう私は、あのPVに身の危険を感じてるってことですね。
納得です!!
2007/7/22(日) 午後 3:44 [ フジオジフ ]