「上海・蘇州と錦渓」旅行記 5
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「上海・蘇州と錦渓」旅行記 5.蘇州運河ナイトクルーズ 蘇州はマルコポーロが東洋のベニスと言ってヨーロッパの人たちに紹介したほどに街の隅々まで水路が縦横に広がっている。運河の観光では小さな舟で狭い水路へ入っていくコースもあるようだが、私たちのナイトクルーズは城壁沿いの比較的川幅が広いところを行く観光船で我々のツアー仲間全員が一度に乗れる20〜30人乗りの船だ。 <蘇州・中心部。 赤い線を辿ってクルージングした> ツアー仲間は、舳先から我先に乗り込んでいたが、私はライトアップされた運河周辺の素晴らしい夜景を撮影するのに忙しく、結局最後に乗り込んだ。その為船の最前部の席に座ることになったのだが、この後ライトアップされた橋などの撮影のためにはうってつけの席になった。 乗船場は蘇州の中心に四角に掘られた運河の南東の隅である。正面には桂花公園があってライトに浮き上がる望楼が城壁の上に見える。運河は1000年前、宋の時代に建設されたと言われている。伍子胥が建設した当時の、蘇州城の城壁は殆ど取り壊されているのだが、桂花公園の望楼に続く城壁はとぎれとぎれだが今でも残っていて、これもライトアップされている。 ガイドの説明によると万里の長城はここ蘇州城の城壁をモデルにして作られたということだが、蘇州城が万里の長城よりも歴史が古いと言うことに驚かされる。運河に面する建物や数々の橋は全てライトアップされてきらきらと輝くばかりだ。春秋時代、蘇州には呉の都が置かれていただけに呉門橋だとか、盤門などという名の古い橋が今でも残っている。 <桂花公園と望楼(クルーズ乗船場より)> 私たちが乗った船はまず西に進む。船は揺れもなくスムーズだ。前方に一段ときらびやかな橋が見えてくる。「人民橋」といい、今から400年前、明の時代に建設されたものだといい、2年ほど前に修理して屋根や軒先に電気を付けた。橋脚の石の壁には当時の生活の様子が刻まれていた。 <人民橋> <人民橋> 人民橋をくぐるとやがて観光船は運河に沿って右折する。夜、きらきらとライトアップされているので船の進む方向はよく判らない。後で地図を見るとそうなっていたと言うだけの話である。 人民橋の次に大きな橋が見えてきた。「放生橋」という。900年前宋の時代に架けられた橋で、旧暦の1日と15日に沢山の人たちがやって来て、生きものを放流する。例えば金魚などの魚、蟹、タニシ等を放流するとそれ以降幸せになる。その代わり、放流した種類の生きものは食べてはいけない事になっているらしい。この橋はそう言ういわれがあるためか最近は若いカップルが夜になるとやって来る、デートスポットになっているのだ。そしてそれを当て込んでおじいさんが先回りして場所をとってしまうのだという。若いカップルはその場所に座って恋を語り合いたいが既に先客あり。そこでおじいさんに交渉してタバコ銭を渡す等して場所を代わって貰うのだという。 <左・世界遺産会議場 右・放生橋> 橋の手前、世界遺産会議が開かれた会場の前を通過する。2004年にここで実際に世界各地の候補を申請に基づいて世界遺産に決定する会議が開かれたという。その時、日本の世界遺産として認定されたのが「紀伊山地の霊場と参詣道」としての熊野古道だった。 次いで、ガイドが「ここから西に進むと杭州に行きます、反対の方向に10日ほど進むと北京に着きます」と言う船着き場があるのだ。蘇州運河が単なる観光の場ではなく、実際にそれらの航路がある実生活の場なのだ。やがて左手に美しくライトアップされた「東屋」が見えてきた。白居易(白楽天)が造った東屋だそうで、白居易記念館という。 <白居易記念館> 「漢皇重色思傾国 御宇多年求不得 」(漢の王様玄宗皇帝は政治を忘れるほどにいい女はいないかと長年探しているが見つからない・・・)から始まる「長恨歌」の作者で字が楽天だ。ナイトクルーズの船内では琵琶を弾きながら歌を歌う女性がいた。 <船内で琵琶の弾き歌い> 私の目の前で聞かせてくれた。蘇州夜曲やイエライシャン(夜来香)を歌うのかと思ったら「ジャスミンの歌」だと言っていた。 そしてガイドがトランプがあるがあまり売りたくない・・・、と言うような思わせぶりに宣伝を始めたのが水郷・蘇州の写真が裏に印刷されたトランプである。 そのトランプが日本円で100円だという。日本ではトランプが1個100円ではとても買えないからということで、孫達へのお土産用を含めて4個買い込んだ。 私たちは白居易記念館で下船した。狭い運河沿いの古い街並みが全てライトアップされ、沢山の観光客がそぞろ歩いている。その路地を歩いて山塘街の中心までやって来た。 <七里山塘> 山塘街は七里山塘とも呼ばれ、その昔から水路が完備した物資の集散地だったという大変繁華な街だったらしい。 <山塘街にて> 今は一部が観光用に整備され夜は提灯が灯されたりライトアップされて昼の景色とは一変した雰囲気だという。ガイドがある写真館の前に立ち止まり、「ここは日本の統治時代女郎屋だったところで、沢山の日本の兵隊さんが押しかけて賑わったところだ」と説明していた。 |




