22.ポルトガル旅行 補遺 その2
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ポルトガル8日間の旅 22.ポルトガル旅行 補遺 その2 6. カーネーション革命 20世紀で最も長い独裁体制を終わらせた、1974年のポルトガル軍事クーデター。ほとんど無血に 終わり、カーネーションが革命のシンボルとなったので、このように呼ばれる。別名「リスボン の春」。 <カーネーション革命の日を祝う人たち> 1974年4月25日早朝オテロ・デ・カルヴァーリョ大尉に指揮されたリスボンの国軍運動は決起 し、市内の要所を占拠した。共和国警備隊本部で包囲されたカエターノ首相はあっさり投降し、 スピノラ将軍に権力を委譲した。流血はほとんどなく、無血革命だった。カエターノ首相、ト マス大統領は翌日の飛行機でマデイラ島に移された。MFAを中核とする救国軍事評議会が結成 され、スピノラ将軍は近く臨時政府を組織すると発表した。 革命の成功を知ったリスボンの街角は花束で飾られ、市民たちはカーネーションを手に兵士た ちと交歓した。革命軍兵士たちは銃口にカーネーションの花を挿した。現在ポルトガルでは4月 25日は「自由の日」として国民の祝日となっている。 <4月25日橋とクリスト・レイ> またリスボンと対岸のアルマダとを結ぶ橋(当時、独裁者サラザールの名を取ってサラザール 橋と呼んでいた)をこの革命以来「4月25日橋」と呼んでいる。 7.クリスト・レイ <リスボン対岸のクリスト・レイ> 4月25日橋を対岸のアルマダ地区に渡ったところにある高さ110メートルのキリスト像。 ブラジルのリオ・デ・ジャネイロにあるキリスト像を模して1959年に造られた。台座の塔にはエ レベータがあって、像の足下まで上ることが出来る。 <リオ・デ・ジャネイロのキリスト像> 8. 日本ポルトガル友好関係樹立450周年 1543年にポルトガル人が種子島に漂着して以来、1993年に日本ポルトガル友好関係樹立450周年 を迎えた。 9.ポルトガル語諸国共同体 ポルトガルには沢山の植民地があったが、現在全て独立している。しかし、ポルトガル語を母語 とする国々は現在も沢山残っている。 ポルトガル語諸国共同体加盟国 ポルトガル、ブラジル、 アンゴラ、モザンビーク、カーボベルデ、ギニアビサウ、サントメ・ プリンシペ、東ティモール(2002年加盟) オブザーバー 赤道ギニア、モーリシャス 、セネガル、ほか17国際組織 <ポルトガル語諸国共同体加盟国> 参考までにスペイン語を国語(第一公用語)としている国を列挙すると次の通りである。 スペイン、メキシコ、グアテマラ、エル・サルバドール、ホンジュラス、ニカラグア、コスタ リカ、パナマ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドール、ペルー、チリ、ボリビア、パラグア イ、アルゼンチン、ウルグアイ、ドミニカ共和国、キューバ、赤道ギニア(アフリカ) 20カ国 10.ポルトガルのコルク <コルクの木> ポルトガルの産業の1つとしてワインの製造があるが、これに欠かせないのがコルクだ。高速道 路の両脇にはコルクの林が延々と続く。このコルクの樹の皮を9年ごとに剥いでワインの栓など に使うコルク栓を作る。9年毎に剥ぎ、幹には、今年なら04と書き2013年になるとに再び 剥ぐ、ポルトガルの大切な産業である。 11.バターリャについて バターリャとはポルトガル語で「戦い」であり「勝利」という意味だ。英語で言えば「バトル 【battle】」である。ポルトガルを人面に見立てると小鼻の辺りになる街だ。 中世ヨーロッ パのイベリア半島の中心に起こったカスティーリャ王国が、ポルトガルの王位を巡って難癖を 付けてきて戦いになった。 丁度その頃イギリスとフランスの百年戦争(1338〜1453)の真っ最中で、フランスとうまくい っていなかったポルトガルがイギリスに支援を求めた結果ポルトガルがカスティーリャ軍を打 ち負かし勝利した。勝ったジョアン1世はイギリスのランカスター公の姫君フィリッパと結婚 し、二人の間に生まれたのがエンリケ航海王子である。勝利を祈願したときの約束通り修道院 を建設したのだがその名がバターリャ修道院である。 12.アマリア・ロドリゲス アマリア・ロドリゲス アマリア・ロドリゲスはポルトガルを代表するファド歌手として世界的に有名な歌手だ。1999年 に79歳で死去した際、ポルトガルは3日間の喪に服したという。2001年にはリスボンの17世紀創 立の教会「サンタ・エングラシア教会」に遺体が移送された。サンタ・エングラシア教会は20世 紀に入ってから国立のパンテオン(名士合祀殿)となり、ポルトガルの著名な人物が葬られて いる。 ルイス・デ・カモンイス、ヴァスコ・ダ・ガマ、エンリケ航海王子らの記念碑もある。 13.その他 ポルトガルの財政が危機的状況にある、国債の金利が急拡大していると伝えられて久しい。EU の域内ではギリシャやアイスランドに続いてポルトガル、イタリアなどが取りざたされている のだ。しかし私達が出かけた2011.2頃、現地で感じるほどのことは何もなかった。人々は豊かな 生活をエンジョイしていたし、リスボンの街は賑やかで、観光資源は豊富だから引き続き観光客 も多く出かけているのだろう。 しかし、ポルトガルにはスペインが巨額の財政的投資をしているといわれ、そのスペインにはフ ランスやドイツが投資しているようだ。即ちEU域内、ユーロ圏は全てがよかれ悪しかれ連携し ていて、最悪のシナリオで動く場合はドミノ倒しのような危機を連想するエコノミストは多いよ うだ。 でも私達が旅行してきた美しいポルトガルにはこのままずっと美しいポルトガルのままであって ほしい。この旅行記を書いていてそんな感想を強く持った。 おわり
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