人のリズム。
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人それぞれ、その人のリズムと言うのがあると思う。
例えば二人で居る時、Aさんは、映画が見たいと言う、でも、Bさんは建物の中に入るより、何処でもいい、広い、風の当たる場所に身を置きたいと言う。
時として、二人はサイクリングに行く事もあり、映画を見る事も有る。
決して、Bさんは映画が嫌いなわけじゃなく、Aさんは公園が嫌いなわけでもない。
ただ、その二人は、その時点でリズムが違うだけなのだ。
集団行動と言うのは、10人居れば、10人が同じ方向に向かなくてはいけない
足並みも揃えなければいけない。
もしその中で一人でも向く方向が違うと、集団行動にはならないからだ。
私はその集団行動がどうしても苦手である、今気がついたのではなく、
以前からその事は気が付いていいたと思うが、
集団で居る事は社会秩序?みたいな感じがして、それに従っていた。
先日飛脚の仕事の仲間、Y君に「Fさんはサラリーマンにはなれるか?」
と言う質問に、私はサラリーマンにはなれない、なぜならその枠に入ることが嫌いで
無理だと思っているからだと答えた。
これは、知能学力の問題ではなく、性格の問題なのだ、と思っている。
さてそんな私が、今の仕事に従事し様々な勉強をし始め、自分のリズムと言うものを
感じる事があった。
それは、靈気療法の先生から、鞍馬山に登ろう、高野山に行こう、熊野古道に行こう
京都に行こう、様々な誘いを受けた。
自分のリズムがその時点で合致すれば、直ぐに参加はしたが、どうしても集団行動になる事が多く、時間どうりに来ない人や、のんびりと歩く人、様々な形の集団行動をとる人が居る、それは決して私のリズムではないので、とても疲れるのだ。
昨年その靈気療法の先生から、熊野古道に勉強会が有るので行こうと誘われた
私は即決で行く事にしたのだがその日が近づくにつれだんだん体調に変化が出て、気持ちが落ち込み。
結局はその時、その勉強会には参加しなかった。
そして、一年後の今、フトシタ事で旅をしようと、思い立ちコトゴトク準備が出来た。
まず自分でスケジュールを計画し、ホテルの予約、電車の予約。
後はその日が来るのを待つだけだ。
その前には、もう一度、靈気療法の先生の授業を受ける為に
授業の予約を取り、これも準備完了。
今思うことは、以前の先生からの熊野古道への勉強の旅は、
その時の自分のリズムじゃなく、
その旅も、その時の私にとって、必要ではなく、
その時の私を熊野が呼んでいなかったという事だと、思うようになりました。
人は、その人にとって、その時の必要に応じ、
その時の自分に必要な事だけが、巡って来る様になっているのだと思う。
これは、その人のリズムなのだと思う。
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