ブログ〜鵜の目鷹の目,旅の目で

徒然なるままに、旅するようにゆったりと、時折鋭いまなざしで日常をとらえます

大阪の船場に美し姉妹たち ケータイ投稿記事

イメージ 1

物語の冒頭は京都・嵯峨野。降りしきる雨の中、満開の桜がはらはらと散り始めている。美しい四人の姉妹が高級料亭にうちそろう。かつて大阪・船場の豪商だった父母が生きている頃もまた、恒例の花見の宴だったのであろう。

画面も登場人物も上品ではんなりとしている。それでいて水面下には丁々発止の激しいやりとりもある。対立しているかのように見えてもそこは元々仲のいい姉妹。老舗を支えた父母が相次ぎ死んだ故に蒔岡家は危機に陥った。その困難をのり越えてきた同志としても気心はしれている。剣呑さは消えて睦まじく場は丸くおさまった。

ちょうど雨はやみ、雨だれが花を伝う。姉妹たちは和気あいあいと散策に出て行った。映画『細雪』は細やかな情感と美景が描かれて、谷崎ワールドが見事に表現されている。

エンディングには細雪。水の都・大阪の川面に落ちる雪。牡丹雪ほどの大きさはない細かな雪。季節は変わり戦局は進む。蒔岡家の経営も厳しくなることは目に見えているが、四姉妹の深くて固い絆は変わらない、いや変わらないでほしいという皆の気持ちを代弁するかのような細雪。降っては溶け消えても、飽かず舞い落ちる細雪のように蒔岡の四姉妹はやっていくのよ、そんな心持ちが表されていたのだろうか。

この物語は昭和13年の春に始まり冬に終わる絵巻でもある。同じく谷崎の『陰翳礼讃』は流れる美しい文体で、伝統的家屋が暗い照明によって幽玄の美をかもすことを愛でていたが、この小説『細雪』も日本の美を表したものらしい(読まなくては…)。

市川崑監督が映画化する際には、絵巻たらんことを意識したことと思う。淡々としたストーリーであっても日本の美の陰翳が物語に深みを与えていく。谷崎の美学を絵巻のような映像に表したのだと思う。ただ、バックの音楽に深みがなかったこと、そして編集がぶつ切れており、詰めが甘かったように見えることは残念だが、四人姉妹の役者さんが美しかったことで帳消しだ。特に三女雪子におとなしさの中に強い主張を秘めた吉永小百合が素晴らしい。世のサユリストたちは当時ときめきながら観たにちがいない。

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

旅めぐりロシアの文化は砂のなか ケータイ投稿記事

イメージ 1

ロシアに行った。モスクワのクレムリン宮殿、サンクトペテルブルクのエカテリーナ宮殿を眺め回し、コサックの騎馬軍団の力を知り、豊かな自然と天然資源の宝庫を目の当たりにし、トルストイほかの偉大な文学やチャイコフスキーのバレエ音楽を堪能した。いい旅だった…。

鳥取にて、大国ロシアの歴史と芸術を一同に集めた砂のアートを観てきたのである。世界中から集まった20人のサンド・アーティストが砂の美術館において一流の腕前を競っている。細かくて大胆な所作に目を奪われた。

早朝まだ暗いうちに出発し、出雲から鳥取砂丘まで2時間半。朝日がまぶしすぎて運転が辛かろうと心配していたが、雲が適度に太陽を隠してくれて気温も低めで快適であった。残念ながら大雨が続いたあとに、ここ数日風もなかったとみえて風紋を見ることはできなかったが、穏やかな日本海にいだかれた砂丘を散策した。砂の美術館を見終わるころに酷いどしゃ降りとなった。夏休み中、実質最後の土日(30日31日もあるが慌ただしくてのんびりできないだろう)で人出も多くなりはじめた頃に、急に降られた人たちは慌てふためいたことであろう。

さあて、ホントのロシアへの旅へいつか行きたいものだ。ウラル山脈の向こう側だけでもいい。憧れが広がる。

(威風堂々として未来を見据えるかのようなチャイコフスキー)

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

旅人は醍醐味求め旅に出る ケータイ投稿記事

イメージ 1

茂木健一郎氏がJALの機内誌「旅の途中」(Sky ward2014年8月号)で、このように書いている。旅の醍醐味、いいなぁ。

≪ひととおり観光が終わると、だんだんその街の空気を感じるようになる。街を歩いているだけで楽しいし、自分がその街に溶け込んでいる実感が得られてくる。これぞまさに旅の醍醐味ですね。同じ場所を訪ねてもその都度新しい発見がある。だから人間はずっと旅をし続けるんですよ≫

観光名所をひととおり巡っているだけでは味わえない感覚である。有名な観光地に行った→確かに見たぞ→写真のとおりだった→記念写真……こんなふうに終わってしまうことのどんなに多いことか。写真を撮るやいなや、さっさと引き上げてしまう人の多いこと。目にとどめない限り、心には残らない。じっくり観察し、イメージを起こし、語り合い、出発の時間となれば、名残惜しく振り返って見て、最後の時間を惜しむ。できることならば、再び訪れて再会を懐かしむ。そうすれば永久に命にも刻まれることだろう。しかし残念ながらそこまでの時間はない、多くの人にとっては。せめてその場だけでも目を皿のようにして観光の対象を眺めることとしたい。

以上は「景色」に関して言えることである。旅の楽しさは、「食」と「人」にもある。その場で何をどんなふうに食べたのか。どんな人と出会って心を通わせることができたのか。その結果、旅は醍醐味となって旅人を豊かにしてくれる。

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

健康にヨダレたらたら口を開け ケータイ投稿記事

イメージ 1

日々の生活のなかでこれほど無防備な姿はないであろう。何か一心不乱にやっていて周りに注意が行き届かなくてスキだらけというわけではない。身をすべて任せきって、私はあなたの思うがままに…という姿である。

人間ドックで胃カメラを飲んできた。ここ数年は鼻から入れているから、飲むという感覚は薄いけれども、喉から食道へ、胃から十二指腸までを内視鏡が往復することには違いない。健康であるためにはやむを得ないところだ。

昨夜から絶食。今朝も水しか飲んでいない。説明を受けて、まずはトロミのある液体を飲んで喉の奥をなめらかにする。鼻の穴両方に麻酔液を注入する。喉の奥に垂れ落ちる苦い液をティシッシュに吐き出す。しばらく置いて完全に麻酔がかかるのを待つ。鼻に管を通す。なめらかな穴から内視鏡、突入。

鼻の奥から喉にかけての違和感は毎度のこと。初めての時は嘔吐感があって苦しい思いをしたが、もう慣れた。肩の力を抜いて口を開けたままにしておく。顔を横へ向けてヨダレは垂れ続けホーダイ。これ以上不細工なかっこうはないだろう。大地震が起こったり、ゴジラが現れたりしたときには逃げることもままならないだろう。

言われるままに深呼吸をしたり息を止めたりする。ゲップは出さないように我慢して大人しくしている。必要なところで医師は腫瘍や異常の有無を確認したり写真を撮ったりしている。苦しい思いをしている私には見えないし、そんな余裕はない。唯一の頼みは看護士さんが背中や肩を優しくさすってくれていること。

ヨダレじゅくじゅくのまま検査は終わった。所見では異常なしとの言葉に安心して処置台から降りる。液やヨダレを拭き取り洗い、一連の検査が終わる。何もなければ一件落着。これで異常が見つかれば心は揺れ動く。健康診断とは多くの人にとって、「おおむね健康であることを確かめるための診断」であって、「不健康な兆候があった場合に即治療に向けて動きだすための診断」ではない。異常があるという可能性はあらかじめ考えていないものだ。だから「要精検」となった人が追加検査を恐れるのである。

ともあれ、健診センターが用意してくれた昼食の弁当がおいしかった。胃にゆっくりとしみ通っていくような心持ちがした。

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

ひとはみな高きに立ちて思うもの ケータイ投稿記事

イメージ 1

かつて高層ビルの一室で仕事をした時期があった。
楽しいことも多かったが、苦しい経験もした。
長時間勤務でもあった。
モヤモヤして悩んだとき26階の最上階に上った。
広い窓から暗くなった東京の街を眺めた。
深夜のビル群はどこを見ても窓はこうこうと明るかった。
道路は車のヘッドライトやテールランプが連なって美しい。
ビルや車の灯りの一つひとつに人の生活がある。
喜びがあり悲しみがあり怒りがあり楽しみがある。
名を知らぬ多くの人が生きている。
巨大な社会にあっては微々たる存在でしかない。
人間というもののちっぽけさが感じられた。
小さくはあっても、同時にかけがえのないこともわかる。
自身が悩む事柄が相対して小さなものに思えてきた。
頑張ろうと思って再び執務に戻る。
高いところから眺めると、人間というもののちっぽけさを思う。
高いところで思索したとき、人は口角を上げて顔晴っていこうと決意することができる。
他人をせせら笑って溜飲を下げる人たちが哀れに思えてくるものだ。

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

[ すべて表示 ]


.

Yahoo! Choctle
毎月60万ポイントをブロガーで山分け
楽しい話題がいっぱい(Y! Suica)

プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2014 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事