痩田肥利太衛門残日録

2004年10月、36年間のサラリーマン生活を終え、生きた証を残したいと2006年1月より始めたマンガ入り鶏肋日記です。

アメリカの歴史_No04「インディアン文化に壊滅的打撃を与えたヨーロッパ人の銃・病原菌・鉄そして文字」

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「パレオ・インディアン文化の興亡」(アメリカの歴史_No03)
http://blogs.yahoo.co.jp/futoritaimon/65251407.html


1.北西海岸文化圏
ヨーロッパ人が北アメリカに侵入してきた15世紀、アラスカ南東部からアメリカ北西部にいたる太平洋沿岸地域に進んだいくつかの部族がいた。漁労が行われ、鮭など魚類を薫製して保存し、食料に事欠くことがなく余暇もあり、豊富な森林資源を利用したトーテムポールや木造家屋からなる集落を形成していた。
目の細かい籠を編み、熱した石を使ってお湯を沸かし、食べ物を煮たり、また、丸木舟を作り使っていた。しかし、彼らはカリフォルニア州までは移動することはなかった。

2.カリフォルニア文化圏
現在のカリフォルニア州とほぼ同じ範囲の地域にドングリ類の採集、鹿や小動物の狩猟、川を遡上する鮭の漁労などを営むいくつかの部族がおり、18後半にスペイン人の植民地になる頃には人口が80万人以上になった。

3.大平原文化圏
ロッキー山脈の東からオハイオ川とミシシッピ川に至る平原地帯ではブラックフィート族、スー族、コマンチ族、アパッチ族、シャイアン族、ユート族、ショショーニ族、カイオワ族などが住んでいた。トウモロコシの栽培や、弓矢でバイソン(野牛)の狩猟が行われていた。移動する場合、女、子供は車のない運搬具「トラヴォイ」を犬や老馬に引かせ後からついていった。冬はトボガンと呼ばれたそりを使った。
1550年頃からはスペイン人が捨てた馬の子孫である野生のムスタングを飼い慣らし、 バイソンの狩猟や移動に利用するようになった。一部の部族は過剰なほど戦闘的で、白人ともしばしば戦ったことでも知られている。しかし彼らは白人の侵入以前から狩の場所をめぐって他部族や身内同士で戦っており、友好的な部族ではなかった。

4.高原文化圏
アメリカ北西部からカナダのブリティッシュコロンビアにいたる内陸部(ワシントン州とオレゴン州の東部とアイダホ州を含む地域)の乾燥した高原地帯である。コロンビア川とフレイザー川を遡上するサケの漁労、ビーバーの狩猟、野生植物の根の採集、鹿などの狩猟が行われていた。

5.大盆地文化圏
太平洋側のシエラネヴァダ山脈とロッキー山脈に挟まれた砂漠地帯で、野生植物の根の採集や小動物の狩猟が行われていた。食糧資源が少なく、人口は少なかった。

6.北東部文化圏
五大湖周辺から大西洋岸沿岸に広がる北部の範囲は森での狩猟、河川、湖での漁労、植物の採集、地域によっては農耕が行われていた。

メイン州のアブナキ族、オンタリ湖河口のモヒカン族、南ニューイングランドに住む部族、ヴァージニア州のディラウェア族、ポーハタン族、ソーク・フォックス族、キカプー族、ポタウォトミ族、ブラックフット族から成るアルゴンキン族は定着して半分、豆、カボチャ、たばこ、とうもろこしを栽培し、半分、漁と狩猟をして暮らし、蒲の木の皮でカヌー作り、鹿や大鹿の肉を食べ、その皮で半ズボンやモカシン靴、ビーバーの皮で毛皮を作り、利用していた。

これらの部族の中に何人かの優れた酋長がいた。パウハタン、マサソイト、フィリップ王、タマニー、ポンティアック、テカセム、キーオカックである。

1600年、アルゴンキン族と対抗して、モホーク族、カユーガ族、オナイダ族、オノンドーガ族、セネカ族のイロコイ族(5族連合)がシャプレーン湖からジェネシー川流域、アジロンダック山脈から中央ペンシルヴェニアに至る流域に住んでいた。ヨーロッパ人が侵入し、激しい攻撃を受けたが部族間で連合していたので、破滅は免れ、後にイギリス人とオランダ人と同盟を結んだ。

イロクォイ5族の中で優れた酋長はヘンドリック、コーンプランター、レッド・ジャケット、ブラント、ローガンである。1720年に北に移動し、タスカーラ族と南方のチェロキー族が第6の部族となった。アメリカインディアンで最大な人物の一人がチョロキー族のセコイアで、部族内のため、アルファベットを考案し、文化を発展させた。

北東部地域に住んでいたインディアンは勇敢な部族として知られるものが多く、早くから白人と交流して英仏の戦争にも参加し、大半が疫病と部族抗争で死に人口が激減してしまった。

7.南東部文化圏
メキシコ湾岸から大西洋岸にかけての温暖で湿潤な地域の南東部は女性が担う農耕と男性が担う狩猟が行われ、河川流域に集落を形成し、とうもろこしを栽培し、陶器や織物を作り、鹿皮をなめして衣服を作っていた。ヨーロッパ人が入ると果樹園作りや家畜を飼うことを覚えた。

南東部のマスコーギン族はアパラチー、チカソー、チョクトー、クリーク、ナチェ、セミノール部族からなり、植民地時代のヨーロッパ人に北アメリカインディアンのエリートと言われた。マスコーギン族は比較的平和で、白人の目からみても文化的な部族で友好的でしたが、それがもとで後に一部は同化され残りは強制移住させられた。

8.南西部文化圏
アメリカ南西部からメキシコ北部にかけての乾燥地帯で、アナサジ文化の流れを汲む農耕民のプエブロ族、ホピ族、ズニ族や狩猟民のナヴァホ族などが暮らしていた。

ヨーロッパ人が北アメリカに植民した頃、接したインディアンの言語はプエブロ語、アルゴンキン語、イロクォイ語、マスコーキン語の4語系で、上記8つの文化圏と北極文化圏、亜北極文化圏の計10の文化圏を形成していた。

【ヨーロッパ人植民後のインディアン文化の衰退と消滅の原因】
1452年以前すなわちコロンブスが大陸発見以前の南北アメリカ大陸のインディアン文化の衰退と消滅の原因はインディアンの団結力、政治組織、文字などの欠如であるが、最大の原因は干ばつや洪水などの気候によるものだった。

それでも、両大陸ではいくつかの都市国家レベルの文化が維持され、沢山の部族レベルの文化が維持されていた。北アメリカ大陸だけでも約200万人のインディアンが何百もの部族を形成し、各地に散らばり、暮らし、文化圏を作っていた。

彼らは多くの点で遅れてはいたが決して劣等種族ではなく、誠実であり、自分たちの文化に誇りをもっていた。しかし、軍事力に劣り、結束力に欠いた彼らは何千年もの間、築いてきた漁労、農耕、狩猟の土地や文化はヨーロッパ人に奪われ、圧迫されていった。

また、ヨーロッパ人移住者が南北アメリカ大陸に持ち込んだ疫病は、移住地域を拡大するより速い速度で拡大し、免疫のない南北アメリカ大陸インディアンの多くが犠牲になり、1492年から1600年後半までに1452年以前の人口の実に95%が消滅した。(参考6.)

ヨーロッパ人が南北アメリカ大陸のインディアンを征服し、植民地化できた直接の要因は銃器や鉄製の武器や馬による軍事戦術、航海術、風土病や伝染病に対する免疫、政治機構、引き継がれた技術書など書物等、すなわち彼らは「銃・病原菌・鉄」そして「文字」をもっていたからである。(参考6.)

【参考】
1.「アメリカの歴史 先史時代―1778年」、サムエル・モリソン、集英社文庫、1997年9月25日
2.「アメリカの歴史を知るための60章」、富田虎男、明石書店、2000年12月1日
3.「大学で学ぶアメリカ史」、和田光弘、ミネルヴァ書房、2014年4月30日、初版第1刷
4.「世界史年表・地図」、亀井高孝、三上次男、(株)吉川弘文館、1995年4月1日
5.「図説アメリカ歴史地図」、ロバート・H・フェリル、原書房、1994年3月10日
6.「銃・病原菌・鉄(上)」、ジャレド・ダイアモンド、(株)草思社、2000年10月2日

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