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チョコレート 私的解説

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律動

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ロッキングと呼ばれる症状がある。
脳の気質障害を持つ者が、常に体を揺らし続ける症例のことを指す言葉だ。
ひとつの場所での跳躍を繰り返す。
そしておうむ返しを繰り返し、ヒトと視線を合わせず、体を揺らしながら、斜めに光を透かして覗き込む。ゼンの症状はすべて顕著な自閉症者のそれだった。
執拗に朝から晩まで、同じことを繰り返し続ける集中力。
これもまた、この障害の特徴から生じた個性だ。
気がついたとき、ゼンの目の前にはムエタイのトレーニングをする集団の姿があった。
合理的に的を射止めるため、肉体を最高の武器にする精鋭の武術の姿が。
ゼンが模倣のために選択した世界。
それはスピードとリズムの「再現」のために用意された最高の演舞の姿。
彼女の中にそのリズムが刻まれて行く。
そして目視したことを精密に再現する特性、これもまた、自閉症の顕著な特徴のひとつ。
ゼンの目は追う。
最高の効率を備えた格闘技術の見本を、あたかも録画機のように精密に正確に捉え蓄積して行くのだ。
ゼンの中に育まれていくもの。それは父からも母からも授からなかった新たな才能。
持ち合わせた障害の故に身について行く、特別な能力。
そして同時にそれは、ゼンの運命を導いていくチケットでもあったのだけれど。

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自閉症

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ゼンの目に映るもの。
それは霞んだ世界の脈動の絵。
万華鏡のようにきらめきながら、とりとめもなく姿を変え、捉えどころなく変わり続ける幻想の絵。
ゼンの世界はその絵の向こう。
母への愛おしい思いも、伝わらない孤独の恐怖も、すべてはその向こう。
この世界との繋がりは、模倣することでしか始まることのない世界の住人。
それがゼン。
だからゼンは一所懸命に模倣をはじめる。
母に逢いたいから。
母に伝えたいから。
母に繋がりたいから。

ムエタイの練習を繰り返す庭の先の世界を覗き見ながら、ゼンはその模倣をはじめる。
考えはない。ただ、模倣をはじめ、そして足に怪我を負った。
怪我をした足を悲しそうに手当てしてくれる母の気持ちはわからない。
でも、ゼンは母の髪が好きだった。
きらめく、美しい母の髪が。

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芽生え

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「ここは住むに便利なところよ、まあちょっとうるさいけど、それもすぐに慣れるからね」

新居にたどり着く親子の姿。
追って来る運命から逃れるように、二人は住居を転々として行った。
ジンは思う。
この子が育って行くために必要な環境だけは与えてあげたい、と。
生きていかなければ。
自分を見舞う運命の魔手がこの子に及ばないように、頼りになるのは自分だけなのだ。
ジンは願う。自分を戒めながら、出来ることはすべてしてあげたい、と。
あいかわらずゼンには言葉がない。
「おうむ返し」と呼ばれる、問うことをそのまま問い返すだけの返事。
言葉のやりとりは成立しない。
母である自分とすら視線を合わせることはない。
でも、それがこの子の障害のカタチなのだ、しょうがない。
力強く黙々と線を描き続け、きらめくものを翳し、透かして覗き込むゼン。
そこには、会話も愛撫もなんの反応もない。
ジンは思う。
それでもいい、と。この子が悲しまないように、いつも自分がいてあげられるのなら、と。

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歯車

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「ジンとあの日本人がまた連絡取り合ってる。どうする?」

ジンの知らないところで運命は胎動をはじめていた。
人の妬みの心。
人の心の闇。
むさぼるように何かを求める心には、沈鬱な獣が息吹はじめるのだ。
業の応報がはじまる。
かつて若さのゆえに蒔いた種が、ジンの運命の歯車を廻しはじめた。
愛の形は、人によりそれぞれである。
ナンバー8にとっての愛は、支配することと束縛することだった。
そしてそれをかつてジンは受け入れていたのだ。
ふたりは互いに確かなものを頼った。
触れて確かめることの出来るもの、現在が満たされるということのなかにすべてがあった。
そして、それでよかったのだ。
けれどもジンは、ゼンを得たことによって人を慈しむという心を知った。
でもナンバー8は、それを得られなかった。
関わり、携わることだけが、いまもなおナンバー8にとっての愛の形なのだ。
自分の愛人を日本人のヤクザに寝取られ、子供まで造られた。
手下への示しもメンツ立たない。
しかし、ナンバー8を突き動かすのは、心の奥底に燻るジンへの愛だった。
ナンバー8が求め続けるもの。
それは、ジンと自分との絆にほかならない。
現実への刻印、自分が生きていることの証、それが支配であり、自分が人を愛していたことの証もまた、支配でなければならない。
心に向かって真摯にあることに罪などはなく、証を得て行くことに対しても、ナンバー8には迷いはなかった。
多くの歳月が過ぎたが、ナンバー8のジンへの愛はかわらなかった。
再会したふたりの間に交わされた言葉は、すべては上の空だった。
ナンバー8にとって真実は、すべて行為の中にしかないからだ。
かつて、ナンバー8は、自身の絆を示すため、己の足をピストルで貫き、ジンに証明した。
言葉とは裏腹に、証は求められた。
ジンの足の指は削ぎ取られた。
喘ぎ、痛みにのたうちまわるジンを尻目に、ナンバー8は、その指すらも愛おしいと持ち帰るのだった。
彼にとっては、それが愛の証であり、絆の証明だったからだ。
歯車が周りはじめた。
ジンの蒔いた種が芥子のような花をつけはじめた。
因果応報という名の花を。

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チョコレート

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ジンはその子の名を、父親にちなんで日本語にしたいと考えた。
だからその言葉の意味をよく考えてみたことがある。
その子はゼンと名付けた。
ゼンとは、宇宙のこと、正しい行いのこと、前へ進もうとする心のこと。
日本語では、それらをすべて「ゼン」と言う。
禅、然、全、善、あるいは、前。
あらゆる加護がこの子にありますように、と、祈りをこめて名付けた。
神がきっと、この子を守ってくださいますように、と。
でも、いまは違う。
この子を守るのは神様じゃない、自分だ。
たったひとりの、この子の母親である自分なんだ。
ジンはこの現実を受け入れた。
そして決意を、父親であるマサシに伝えたのだった。

「あれからずいぶん経ちましたね。
あの日、あなたに別れを告げたのにはわけがあるんです。
娘を育てるのはとても大変だけど、喜びでもあります。
娘が父親のあなたにそっくりだから。
ゼンは他の子と違って特別なケアが必要ですが、私の宝です。
愛をこめて       ジンより」

ゼンはまた泣いている。
何が苦しいのかわからないけれど、大声で止め処もなく泣き出している。
ジンはもう戸惑うことはなかった。
この子が喜ぶから、お菓子を与えてあげた。
泣き止まないこの子に、何かが出来るのなら、と。
私がいつも、あなたといっしょにいるからね、と、その手にチョコレートをのせてあげた。
ゼンはそれを頬張って、少し落ち着いた様子だった。
うれしいのか、どうかはわからない。
ジンはただ、この子のことをとても愛おしく想った。

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