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そろそろ昔のテキストが底を尽きそうです。でもまだ好き勝手にものを書く時間がないのだ・・・。
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生命保険38社が01〜05年度の5年間で、なんと総額284億円も不払いだったことが明らかになった。
かねてから生命保険という会社の仕組み(儲け方)自体に好感を持っていなかったけれど、ますます嫌になった。あんな不安産業(不安産業自体が悪いとは思わないけれど)が、どうしてあんなに儲かるのか不思議だったけれど、そのやり口が分かった。早い話が詐欺だったわけだ。
そういえばぼく自身は生命保険に入っていないと思う。そんなに生活に余裕があるわけでもないので入ってられないというのもあるかもしれないけれど、どうも好きになれない。誰かが仲介する時点で、かかる諸経費を棒引きするわけで、ギャンブルと同じで胴元はどうあがいても儲かるけれど、賭けた人には当然勝ち負けが出る。自分の命を担保のギャンブル。そんなのカイジじゃないからできない。というのが素直な気持ち。
人間はどういう訳かギャンブルにはまる。心理的にというよりも、器質的にそうなんだろうと思う。脳の機能と構造がそうさせている。逃れられないギャンブル癖。
そこに安心、安全を求める消費者心理も巧みに操作された。何か不慮の事故があったり、突然の病気にかかっても、保険があれば、それこそ「保険をかける」という慣用句までできるくらい、保険は信頼を得ていた。確かに互助的な意味合いがあり、保険により救われた人もいるのだろう。でもそれと同じくらい保険に騙された人もいると思う。友人や親戚から保険の勧誘があり、保険内容よりも勧誘者との信頼関係とか、実際には断りにくい理由で、月数千円を掛け捨てで奪われる。内容を吟味したわけでもないから、実際に払われる段になっても、忘れていることも多い。
信頼とか血縁を食い物にして、命を担保にして、金を儲ける。この良くできたシステムはみんなを少しずつ不安にして、不幸にして、お金を引き出すことで操業する。吸い出されたお金がまた推進力となり、巨大ではあるけれどさほど深刻でない不幸スパイラルへと皆を巻き込んでいく。
格差社会というフレーズには飽きつつあるし、格差自体が悪いとは思っていないけれど、格差がより明瞭になったときには、少なくともこれまでの保険制度は崩壊するだろう。皆が一定の費用を負担しあって、互助的に生きていくという思想は通用しなくなる。他人がのたれ死のうともオレは生き残るという社会へと変貌するのであれば、保険なんて全く意味を持たなくなる。高負担・高サービスの保険は残るだろう。そして保険にすら入れない国民が多く存在することになる。そういう人たちには最低限の国からのセーフティネットが張られ、その中で生きていくしかない。
国のサービスを民間に委譲することが是とされている。こういうニュースを見るたびにそれが幻想でしかないことを思い知らされる。公人には競争意識も危機感もない。民間には競争や危機感はあるけれど、それで腐敗や堕落が防げるというわけではない。緊張関係のある第三者による評価がないと結局はダメなんだろう。
沖縄に模合(モアイ)というシステムがある。お金の相互扶助だ。数人のメンバーで月に一度飲み会を開く。その会費は毎月誰かが負担し、それを回す。南国沖縄の日本の村的発想で興味深い。こういうのが残っているのは平和な証拠だと思う。
これまでの生保はモアイ式だったのではないか。これが悪いとは決して思わない。ただモアイ式の親元が極悪非道だったというだけだ。これだけ破綻するともうモアイ式には戻れない。
親元はいったん業務を閉めるべきだと思う。
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うーん。なかなか辛らつなことを平然と書いてます。
一月たった今でもやっぱり生命保険は好きになれません。
でも一月経つとニュース性は失われて、すっかり遠い昔のことのように思ってしまうから不思議。こういうことがあったなぁと思い出せる程度に記憶して、生命保険に加入しましょう。ぼくはどうしようかな。たぶん入んないだろうなぁ。
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