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以前書いたポスドク問題(http://blogs.yahoo.co.jp/gaya1214/49165873.html)に関連するお話。
高学歴ワーキングプアとは、博士号を取得したようないわば高学歴な人間でも、その多くは研究で食えないという現実がありますよ、という意味だ。
「博士が100人いる村」http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/という有名な童話がある。見ると悲しい気分になること間違いなし。
元となったデータは、03年12月の科学技術政策研究所(文科省管轄)による「博士号取得者の就業構造に関する日米比較の試み」(http://www.nistep.go.jp/achiev/abs/jpn/mat103j/pdf/mat103aj.pdf)の表5だ。理工系の博士課程修了者のその後を調べてみると、何と9.3%が「死亡・不詳の者」に該当する。
1割近いポスドクが、死んでいるかどこにいるか分からない状況だ。これはあまりに異常な事態だ。
あまりデータを鵜呑みにするのはいかがなものか、とはいえ、それでも就職に強いと考えられる理工系ですら、こういう状況というのは驚きを越えて衝撃だ。こういう状況に至ったのは、ポスドク1万人計画という、少子高齢化時代に突入した大学とそれを所管する文科省の入れ知恵であり、未来ある若者からの搾取である、という論は、本書を読んでいただければと思う(本当かどうかはさておき)。
さて、現在、「博士」の権威は地に落ちている。純粋な学問への畏敬の念も失われつつある。博士号は「足の裏の米粒」である、とはうまく言ったもので、確かに「取っても食えないが、取らないと気持ち悪い」という博士課程にある人間の心理を的確に表現している。
少子化が進む中、大学の経営はどうしても厳しくなる。定員割れをすることも珍しくない。学生の質がどうこう以前の問題で、望めば、お金を積めば誰でも大学に入れる時代では、学生の奪い合いとなるのは自明だ。
そういう状況で、社会人になってから大学の修士課程や博士課程に入り直す人も増えている。働きながら学ぶ人、あるいは一定期間休業して学ぶ人、色々だろう。社会人の入学者を増やそうと経営者側が考える場合、世のニーズにあった講座を設けようとするだろう。結果、何が起きるか。
それは大学・大学院のカルチャースクール化だ。気楽に英会話学校やお料理学校に通うのと同じ感覚で、通う学生が増えるだろう。彼らは、手軽に身につくスキルやあるいは何かしらの権威を欲している消費者でしかない。教える側も、手軽にスキルや能力を頒布することで、自分自身のプレゼンスを高めるだろう。
結果、ごく一部の純粋な学問を追究する一流大学と、カルチャースクール化によってかろうじて生き残った三流大学の二極化するのではないだろうか(うまく両者を分業する大学もあるかもしれない)。
こう考えていくと、よりいっそう不安のは、ポスドクの将来よりも、学問の将来だ。特に大発見が頻繁にあるわけでない人文系の学問は、あっという間に消費される(飽きられる)のではないだろうか。
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文系の一般的な大学生で、コミュニケーション能力が低く、偏差値とプライドの高い子は、企業の採用面接で簡単に見抜かれ、就活で内定が取れずに、消極的選択の結果、大学院進学を選びます。
このような若者は社会学的に一つのカテゴリー(適応類型)を形成しています。企業の採用面接を嫌います。企業に、自身の人格の査定をされたくないからです。まことに過剰な人権意識といわざるをえません。
このようなプライドの高い若者の層が、高学歴フリーターや高学歴ニートをつくりだしています。彼らはプライドが高く、無資格の日雇土木作業員にもなれません。なったとしても、対人関係作法の異なるヤンキー出身の雇用主や同僚からいじめられ、職場不適応を起します。
大学院をでてあっという間に20代後半、一般企業正社員入社は絶望。教員・公務員への就職は競争ですので無理・・・高学歴ニートはお先真っ暗です。根拠のないプライドを捨てられるかどうかが、働けるかどうかの最後のポイントです。
2009/7/29(水) 午後 11:10 [ 人事部員 ]
人事部員さん、コメントありがとうございます。誰しもが人格の査定なんかされたくないでしょうが、ちゃちなプライドを捨てないと就職活動なんてできないですよね。
そして、多くの人が社会に放り出される寸前まで所属する「大学」の位置づけも、「学問」の意味も変わっていくのかもしれません。
2009/7/30(木) 午後 10:19 [ 最長老 ]