忘れてはならない「66年前の現実」と「今の現実」・・・・・広島原爆投下の日を迎えて思ったこと。
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皆さんこんにちは。8月に入りまして、お盆前の前半戦も今週末で終わり
ということで、一年のスピードの早さを痛感しておりますが、夏カゼなど引く
ことなくお元気でいらっしゃいますでしょうか。
さて先日の6日は、日本人であれば誰もが様々な角度から一度は考え
たことがあり、今後も私たちが受け継いでいかなければならない「広島原爆の日」でありました。
私と同じ九州・長崎も原爆の日が近づいておりますが、今日は私の祖母
が66年前の当日、広島にて体験した話をご紹介したいと思います。
この話は、祖母が80歳半ばの頃のことと思いますが、突然話し始めた
ことであり、今まで私は全然知らなかったことであり、戦前・戦後をたくましく
生き抜いてきた祖母の歴史であります。
時々、戦争の話をしてと言うと嫌がる祖母。しかし、しっかりした口調で
当時の様子を克明に話してくれる祖母はすごいといつも感心しています。
私の祖母は現在90歳、毎日元気に暮らしております。しかしながら、
この季節になると何故か何処か寂しそう・・・やはり自分が体験した記憶
がよみがえってくるのでしょうか、何時になく無言であります。
当時、亡き祖父は祖母曰く「船舶司令部」にいて、司令部の中でも英語
が堪能だったため、敗戦後もアメリカ軍との後処理のため随分長く広島
に残ったと言っております。司令部などの意味が私には分からないのです
が、祖母は祖父の仕事のため一緒に鹿児島から広島に移り住んだことは
間違いなく、8月15日後も早く鹿児島に帰りたいのに、広島にいなければ
ならなかったことも事実であります。
当時祖母は、広島市内中心部から離れた所に住んでおり、祖父が仕事
に行く際は「馬」でのお迎えがあったそうで、さっそうと馬に乗る祖父は
それはそれはカッコイイと言っております。
そして問題の8月6日は、ものすごいいいお天気で雲一つないような青空
だったようで、朝の日課であります家の庭の池の鯉にエサをやらなきゃと
朝の7:30から8:00ぐらいの間に庭に出ていると、大きな敵の飛行機
(おそらくB−29のエノラ・ゲイでは・・・)が広島市内中心部の方向に飛ん
で行くのがはっきり見えたそうです。特に空襲警報などなく引き続き池の
鯉にエサをやっていると、ものすごい音の後に爆風が祖母を襲い、立つこ
とすら出来ず、家のガラス戸はすべて割れ、その破片が家の中のふすま
に突き刺さったそうであります。それほどの爆風の中広島市内を見ると、
例のキノコ雲が空高く上っていくのが見えたそうであります。
祖母は爆心地より離れていたためにいわゆる「被爆」はしておらず、
原爆手帳も持っておりませんが、体験したことは被爆をした方々とほぼ
同様であり、原爆投下後の「水を下さい」と川へトボトボ歩いていく人たち
を見たり、黒い雨も降ったようでありますが、家の後片付けをするのに
とても必死で直接黒い雨を見たり濡れたりすることはなかったとのことです
が、人が死んでいく姿を思い出すことが今でも一番嫌だと言っています。
このように祖母は、私に悲惨な体験と悲しい想い出を語ってくれました。
少なくとも私は、あの日を知らない人よりは悲惨な現実を知っており、
ましてや祖母の生の声で聞いておりますので、自分のことのように体の中
に染み渡っています。
昨日、大阪の人気TV討論番組で「戦争はどっちが悪かったのか?」
とか、「責任はどっちにあるんだ?」という内容のトークバトルが繰り広げ
られていました。どの番組でも毎回この手の内容については水掛け論に
なってしまうのですが、私たちが決して忘れてはならないことは、戦争で敵
も味方も罪亡き人もみんな死んでしまったということであります。そして
このような争いを二度と引き起こしてはならないということであります。
私たちに出来ることはすごく限られるかもしれませんが、平和を願い
世の中を一生懸命生き抜くことはできます。今度の東日本大震災でも
多くの尊い命が奪われました。私たちはお亡くなりになられた人たちの
分まで生き抜かなければならないといつも思っています。
戦争が教えてくれたことが「66年前の現実」、震災が教えてくれたことが
「今の現実」であります。これらのことを胸にしっかり刻み、何が自分には
出来るのかをよく考え、しっかりした歩幅で1日1日をまっすぐ歩いていか
なければとあらためて感じる今日この頃でした。
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