「ブロークバック・マウンテン」
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ブロークバックマウンテンを見に行ってきました。
ブロークバックマウンテンを見に行って来ました。 場所はゴジラの銅像でおなじみ日比谷シャンテ。 レディースデーの所為か、9割は女性。老年カップルが多いのは、シャンテシネはシルバー割引もあるからでしょう。 象徴的な場面が、時折挿入されていて、それを見損なう
2006/5/10(水) 午前 8:59 [ 酒場のたわごと ]
ブロークバック・マウンテン
2006年 米 監督:アン・リー 出演:ヒース・レジャー ジェイク・ギレンホール 心が切なくて、 胸がしめつけられる。 静かに淡々と綴られる愛の物語は、 こんなにも、こんなにも 重く圧し掛かるように心に伝わってくる。 人を愛する事がこんなにも切なくて、 愛する
2008/7/31(木) 午後 6:12 [ siesta-movies 映画の小箱 ]

トラバありがとうございました。時代が許さなかったという恋愛ですが、男女となんら変わらないのではないか、と思います。
2006/5/10(水) 午前 8:58
障害があっても恋愛は純粋なものだと思います。拙著「境界に生きた心子」も、障害を抱えたラブストーリーです。良かったら是非ご覧になってみてください。これからもまたよろしくお願いいたします。m(_ _)m
2006/5/10(水) 午前 10:24
この映画は観ていません(これも迷っているうちに観そびれた映画の一つです)が、映画の「BENT」は、観ました。
2006/8/4(金) 午後 7:22
ホモセクシュアルの映画の記事に続けて、セクシュアリティに関する記事を連載しました。もし良かったらそちらもご覧になってみてください。http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/34207010.html
2006/8/5(土) 午前 0:11
拝見致しました。ホモセクシュアルとジェンダーを、同じ座標で取り上げないほうがよいような気もしますが・・・。
2006/8/5(土) 午後 2:58
「セクシュアリティ」の問題の第一人者である伏見憲明氏も、セクシュアリティを「性的指向」 「ジェンダー」 「性自認」という3つの位相で語っています。言わば、この3つの座標軸(それぞれの座標軸の両端が、“典型的な”「男」と「女」に当たります。)が互いに垂直に交わり、その座標のどこに位置するかによって、あらゆるセクシュアリティのパターンが存在することになるわけです。
2006/8/6(日) 午前 0:19
例えば、各座標軸が交わる「原点」に当たる、「0」ということもあり得ます。つまり、自分が男か女かという意識も、自分の恋愛対象も、日常生活上の性別も、どれを取っても、男でも女でもない、ということもあり得るわけです。分かりにくいでしょうか…?
2006/8/6(日) 午前 0:21
なるほど。3つの座標軸をとって、自分の位置を確認したとして、それの意味するところがいまひとつ分からないです。ホモセクシュアルの男性を自認男と自認女に分けることに、どういう意味があるのでしょうか。そして、ジェンダーは社会的に後から付け加えられるもので、他の2つと異質な気がします。読んでもよく理解できていないのです、御免なさい。
2006/8/6(日) 午後 2:43
恋愛の対象が男である男性は、外見上ホモセクシュアルですが、もしこの人の性自認が女性であるとすると、実は異性愛だということになります。そうやって自分のいる位置が分かっていくことになるでしょう。/ここで言うジェンダーについては、社会的・文化的に作られた男らしさ・女らしさという座標軸の中で、自分がどの辺り(範囲)にいるかということを示すものです。/限られた字数で、図解などもなく述べるのが難しいのですが……(・_・;)。
2006/8/6(日) 午後 6:42
はじめてトラックバックさせていただきました。
イナモトさんが仰る、「人は常に時代や社会に縛られて生きていかなければならない、そんなメッセージも感じ取ります。」その言葉がとても切なく心に響きます。
『ボーイズ・ドント・クライ』を思い出しました。
2008/7/31(木) 午後 6:16 [ mi-ln ]
「ボーイズ・ドント・クライ」もとても切ない映画でしたね。
「ブロークバック・マウンテン」でイニスを演じたヒース・レジャーが、急死したというニュースにはショックを受けました。
2008/8/23(土) 午後 8:57