アップル社の共同設立者の一人 スティーブン・ポール・ジョブズ
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スティーブン・ポール・ジョブズ氏の平凡ではなかった生い立ちに興味を持ちました。 両親はともに米・ウィスコンシン州にあるウィスコンシン大学の大学院生カップル。 1955年、シリア人の政治学者、アブドゥルファター・ジャンダリとアメリカ人の大学院生ジョアン・シンプソンの間に生まれるが、母親ジョアンの父が、シリア人であるアブドゥルファターとの結婚を認めなかった。未婚の母から生まれてすぐに、誕生以前から、養子に出すことに決められていた。 養子先のポール・ジョブズ、クラリス・ジョブズ夫婦は貧しい家庭であって、未婚の母ジョアン・シンプソンは、ジョブズ夫婦が大学卒でないことを知り、父にいたっては高校を出ていなかったからで養子縁組を躊躇したが、ジョブズ夫婦が彼を大学に進学させることを約束して、縁組が成立し、ジョブズは義父母のもとで育てられた。 養父・ポール氏が職を転々と変えながら生計を立てている家は貧しかった。小学生のジョブズ少年が教師から、「この宇宙でわからないことは?」と問われ、「なぜうちがこんなに貧乏なのかがわかりません」と答えた。 1972年オレゴン州のリード大学へ進学したが中退。1年間コーラの瓶を売って食費を稼ぎ、リード大学のキャンパスを放浪して、哲学やカリグラフィーの教室に通った。 1976年にアメリカのシリコンバレーでアップルを立ち上げた。 1977年1月3日、アップルコンピュータを法人化した。 アップルで最初の成功を収めた20代のころ、ジョブズは血のつながった家族を探したことがある。その結果、ジョブズ氏が生まれた後、父ジャンダリ氏と母ジョアンさんは正式に結婚、長女であり、ジョブズ氏の妹であるモナさんをもうけていることがわかった。 さらに、父ジャンダリ氏と母ジョアンさん夫妻がその後離婚し、ジャンダリ氏は再婚。 母ジョアンさん、モナさん母子が、経済的に困窮した時期があったことをも知る。 ジョブズが、実の母と再会するのは、彼が30歳を過ぎた頃であるが、 「スティーブは母と妹には会ったものの、父親とはほとんど連絡を取らなかった」 伝記『スティーブ・ジョブズ』の中で、ジョブズ氏は父に会おうとしなかった理由をこう述べている。 「父親らしいことはしてもらっていない。だからといって含むところはない(中略)。でも、モナにもちゃんとしてあげなかったことは許せない。彼は妹を捨てたんだ」 ジョブズ氏には妻・ローリーンさん(47)との3人の子供のほかに、もうひとり、娘がいる。 1978年、ジョブズ氏が23才のときに、高校時代から交際していた元ガールフレンド、クリスアン・ブレナンさんとの間に生まれたリサさん(33)。 しかし、ジョブズ氏は当時、リサさんを認知せず、裁判にまで訴えて自分との血縁関係を否定していた。裁判の途中でブレナンさんと和解し、認知まではしたものの、長く母子との関係を絶っていた。 その状況を変えたのは、ローリーンさんとの結婚だった。ローリーンさんを知るアップル社の元社員がいう。「スティーブはローリーンと結婚するまで、自分が家族を持つことなどないと考えていたふしがあります。もちろん、彼の生い立ちが関係しているのでしょう」 ジョブズ氏自身、娘のリサさんを認知せずに“捨てた”。 ジョブズ氏は自分の中に長い間、家族を大切にしようとしない父を見ていたのではないか。 だが、ローリーンさんと結婚し、子供を得て、新しい家族を築き上げたことで、ジョブズ氏はリサさんをようやく受け入れた。 ローリーンさんが具体的に何を話したかはわからない。だがジョブズ氏は妻のすすめに従って、結婚後の数年間、リサさんを自宅に迎え、父親として一緒に暮らしている。当時リサさんは14才と多感な年ごろで、母とぶつかることも多かったといい、見かねた父が娘に手を差し伸べる形になった。 いまリサさんは、米ファッション誌『ヴォーグ』にコラムを寄せるなど、文筆家として活躍中であり、 彼にとって実の妹のモナ・シンプソンは作家である。 ウォズニアックが Apple社の設立に弱腰だったのを、ジョブズが 「一度くらい失敗したっていい。それよりも、俺は一度会社を作ったことがあるんだぜといえることのほうが大切さ」 といって口説いた。 |




