鯨組栄華の夢のあと「アホウ塀」
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アホな役人がその名前を恥ずかしいとアホなことやってるという、アホウ塀
日本で二番目にカネモチだったという 勝本土肥鯨組の茶屋屋敷の石塀。
いくら金があるとはいえ、こんな石垣はいらんめえ、あほなことよ・・・ということでいつしか「アホウ塀」とよばれるようになりました。直接見てみてください、おっそろしく高い、長い・・。隣の二階建ての屋根より高い。
三年の年月をかけて築いた高さ7メートル、長さ90メートルの石垣はかなり細かく計算されて組まれたようで、石と石の隙間がほとんどない精巧なもの。
どんな屋敷が建っていたのか資料がありませんが、金銀をふんだんに使った超豪華な屋敷だったそうです。
上方でも直接鯨の肉や脂の販売事業を手広くやっていて、京都で散財し、気に入った女をかたっぱしに身請けして勝本に連れてきて住まわせて、順番に鯨組の男たちと所帯を持たせていたようで、勝本浦にはいつしか壱州弁と京都弁が混じった「勝本弁」が定着しました。 私もそうですが、勝本漁師は自分のことを「あたい」といいます。決してオネエじゃありません。
戦前までここは大きな遊郭だったそうです。
うちのアホオヤジなどは遊びに行く年齢の前に赤線廃止になったようですが、悪がきだったのでわざわざ馬場先から何度も大人の世界を覗き見に来たらしい。 もちろんなかには入れません。
出入り口の門の前に、いかにも喧嘩の強そうな用心棒のおっさんが立ってっていたそうで、見つかっては「われたちゃまた来ちょい、帰れ!」と怒鳴られていたそうです。
われわれの年代は、小学校の予防接種や検診で、熱が出た、腹が痛いなどで現在敷地内の手前に建っている勝本診療所に何度も通いましたが緻密に組まれた石垣だとは知りませんでした。石垣があることはわかってましたがツタや草で覆われていました。
15年ほど前、市の要請で暇な老人たちに声がかかり、このツタや草を取り払ってみて、石と石の隙間のない立派な石垣だとわかりました。
声がかかった暇な老人たちの中にうちのオヤジもいて、 あらあいっきよい立派な石垣やったばい、隙間んなかと・・と言ってました。
ガキの頃遊郭覗きに来て見ていたはずなんですがね・・
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