ぶらっくたいがぁのガチンコブログ 〜 ISOってナニ? 〜

「ISO」に携わるようになって早くも9年。未だに「ISO」とは何かがわからない。あれこれとアホなことを考え中です。

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環境バカ

「○○バカ」という言葉がある。
空手バカとか野球バカとか、耳にしたことがあると思う。その道一筋、一芸に秀でた人を親しみを込めて呼ぶこともあれば、自ら卑下していうこともある。
さて、今日はその新語として「環境バカ」というものを取り上げてみたい。
 
某有名環境関連サイトでは、「環境バカ」とお見受けする方々からの質問を時折見かける。
曰く、「天然物質にも悪者があるのか?」とか、「環境負荷の大きい化学物質とはどんなものか?」とか、普通の人からすれば「どーでもいい」ようなことを気にかけていらっしゃる。
個人的興味や趣味ならとやかく言う気はないが、どうもそうではないみたいで、業務の一環として調べておられるようだ。なんつーか、恵まれた仕事環境というか(平たく言えば、「お前らマジメに仕事せいよ」と言いたくry)、そういうことにホンキで考えを巡らすことをある意味羨ましく思う。

前者については「悪者」の定義がよくわからないが、ヒトの生存や生活に悪影響を及ぼすという意味であろう。この人は、ヒ素や水銀といった元素が人体にどう作用するかご存じないのだろうか。
後者は、人類が把握している化学物質を自社でいかに管理するかに心を砕いているらしい。思うに、これができれば偉業である。
「天然モノ」を含め、化学物質の数は天文学的であり、これらはCAS番号というもので識別されている。そしてウィキによれば、CAS番号は「1日あたり約14,000の登録がある。(中略)2010年3月時点で約50,000,000の無機および有機化合物と約60,000,000の遺伝子配列が登録されている」そうである。
これを、自社の業務に関係あろうがなかろうが、全部把握した上で管理するか否かを考えるらしい。普通に考えて、専従者が100人いても無理だと思う。だいいち、経営者がそんなことを望んでいるはずがない。

そして、こうした「環境バカ」の方々が異口同音に口にされる言葉に、「環境活動」というものがある。
私にはこれが理解できない。これはいったい何なのだろう?
企業活動とは別物なのか、付随するものなのか?
後者だとして、それは企業に課せられた義務なのか?履行しないとどうなるのか?
わからない。知りたい。
 
そう、私は「疑問バカ」である。
 

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発行者の名前が書かれていません

○○計画書、○○指示書、○○台帳、○○管理表に発行者の名前が書かれていません。

よく見かける指摘事項である。審査報告書に書かれる代表例といってもいい。
いわゆる「ISO文書」には発行日付と発行者の氏名を書くというのが、広く信じられているISOのお約束の一つである。
では、ISO文書でないものならいいのか。
この問いには「それは非管理文書だから、ISOの対象外なのでかまわない」という答えが返ってきそうだ。
これに同意する人は、自分が天動説に冒されているかもと疑った方がいい。
 
Q1.なぜISO文書には日付・氏名が必要で、非ISO文書には必要でないのか?
Q2.そもそもISO文書とは何で、何を基準にISO文書か否かを決めるのか?
 
この問いに明快に答えられたら、たいしたものである。いい意味でも悪い意味でも尊敬してさしあげる。
ま、無理であろう。どんな答えが返ってきたにせよ、次の更なる問いかけには答えられないはずだからだ。
 
Q3.ではISO認証を返上したら、以降は日付・氏名を明記しなくていいのか?
 
答えがあるとしたら、「返上したらISO文書を全廃するから、その質問は無意味である」といったところか。あるいは、「ISO規格がそう要求しているから」ということも考えられる。
いずれにせよ、アホか、マジメに仕事せいと言いたい。
 
私の考えを述べると、日付・発行者名が必要な文書(←具体的にナニ?と聞く人は、社会人ではないには明記するし、必要じゃないならわざわざ明記しない。それだけだ。
ISO文書か否かなど些事も些事、200万光年離れた天体で当地の知的生命体同士が恋をしたぐらいどうでもいいことだ。
だいたい、規格のどこに「文書には日付・氏名を明記しろ」と書いてあるのか。
 
> a) 発行前に,適切かどうかの観点から文書を承認する。
> b) 文書をレビューする。また,必要に応じて更新し,再承認する。
> c) 文書の変更の識別及び現在有効な版の識別を確実にする。
> d) 該当する文書の適切な版が,必要なときに,必要なところで使用
>    可能な状態にあることを確実にする。
> e) 文書は,読みやすくかつ容易に識別可能な状態であることを確実
>    にする。
(後略)
 
上記はISO9001からの引用だが、ISO14001も実質的に同じだ。
多くの審査員は、「適切かどうかの観点から文書を承認」した証(あかし)が日付・氏名の明記だと言う。だが、中学生が読んだって、この文章が日付・氏名を求めているとは考えないだろう。
規格は、そんな上っ面のことなど求めていないのである。
 
製造現場に行くと、工作機械など目に付く場所に手書きメモが貼られているのをよく見かける。たいていは、その機械を使う上での注意書き(ワークに対する加工条件など)だ。
たいていは「ISO上は非管理」扱い、つまり、ISO事務局あるいは品証課の管轄ではなく、現場の班長さんなどが自分の判断で貼っている。日付・氏名が書かれていないことも多い。(というか、たぶんない)
現場を巡回中の審査員に見つかっても、事務局は「ああ、これは非管理文書、つまりISO文書ではありません」と答え、審査員も「あ、そう。じゃあいいです」となる。
おいおい、そうじゃないだろう。
例え「管理」のハンコが押していなくても、これは(製品実現の計画に係わるところの)立派な「品質マネジメントシステムで必要とされる文書」である。
業務に必要だから貼ってあるのであって、昨日のパチンコの成果や仕事が終わったらどこそこの居酒屋に集合なんてメモが貼ってあるのではない。「じゃ、いいです」とは何事か。
いつ、誰が、誰のために、何のために貼り、誰が、どう理解し、どう作業に反映されているかを確認するのが審査員の仕事だ。
当然、その機械を操作していた人は明確に答えるだろう。「さあ、いつの間に誰が貼ったんでしょうね?」なんて答えるはずがない。(もしそうなら大問題である)
審査員は、ISO文書か否か、日付・氏名があるかなんてことを見るのではなく、その文書が適切に使われているかどうかを見なければならない。
記名がなくても、作業者に質問すれば発行者はたちどころにわかるし、こんなものは不適合でも何でもない。いちいち指摘するだけムダである。カネ返せと言いたい。
 
「実務に役立つ審査をします」とアピールされている多くの認証機関さん、審査員閣下、違いますか?

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不適合と観察事項

同志の話によると、審査員からある問題を指摘されて「観察事項」になったそうな。
そしてそれが一向に改善されず、翌年以降の審査でも「観察事項」の判定が続くと、「不適合」判定になると審査員から言われたそうだ。
つまり、「観察事項」というのは警告で、それが溜まると不適合に格上げになるというわけで、まるでサッカーのイエローカードである。アホな審査員もいたものだ。
 
そもそも「観察事項」という用語自体が出所不明である。
ISO17021には「改善の機会」という類似の用語が登場するが、明確な定義はない。「観察事項」とはいったい何だろうか?
ISO17021には、次のように書かれている。
 
> 9.1.9.6.2 マネジメントシステム認証スキームの要求事項によって
> 禁止されていない限り,改善の機会を特定し,記録してもよい。
> ただし,9.1.15 のb)及びc)に従って不適合となる審査所見は,改善
> の機会として記録してはならない。
 
もし「観察事項」が「改善の機会」と同じ意味だとすると、「本来なら不適合とするところですが、今回は観察事項に留めておきます。ぜひ改善に努めてください」なんてぬかすのは重大な違反行為ということになる。オマケしてはいけないのである。
にも関わらず、こうしたことがまかり通るのはいったいどういうわけか。
「不適合」と判定するためには、発見された事象(アウトプット)のメカニズム(プロセス)が、基準(ISO規格)に対して、どういう理由で、どのように合致していないのかを明確に示す必要がある。某政治家の不正資金疑惑のように、いくらクロに近いグレーだろうが、クロの証拠がなければ(示すことができなければ)シロなのだ。また、組織にすれば、どこがどういけないのかが不明確なままでは直しようがない。

審査員としてメシを食っているのなら、その証拠を見つけられなかった腹いせのようなことはするなと言いたい。
そんなことをせずとも、「これこれこういう問題があって、放置した場合はこうなる恐れがある」と、率直に「改善の機会」を示せばいいだけではないのか。
それとも、そんな恫喝まがいのことをしないと組織に受け入れてもらえない程度のことなのか。
これは絶対に不適合だという(良心に基づいた)確信があるのなら、必死になって証拠を見つけ出せばいい。今年の審査で見つけられなかったのなら、翌年の審査で更に突っ込んで見つければいい。
それができないのなら、自分の力不足を謙虚に認めて取り下げる勇気を持ってもらいたい。
「観察事項」なんて、仮に100回続いても「不適合」にはならないのである。
 

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ゲストブックの質問への回答

ゲストブックに以下の質問をいただきました。
コメントでは文字数制限があるため、ここで回答させていただきます。
 
> ○○○知恵袋で投稿した者です。
> 何が判らないかは、外部監査人による審査において環境文章のチェック
> があるとのことです。
> Inputoutput表、会社の環境方針、社員の教育履歴など
> ここで疑問なのは、環境の審査になぜ紙で保管した環境文章をチェック
> するかです。
> 何か環境に対して逆行しているような気がします。
> 紙で保管した環境文章をチェックするなど有り得るのでしょうか?
 
あなたが抱く疑問は正しいです。それが正常な感覚といえます。
自社の仕事の仕組みがISO14001に沿ったものであることを調べるのが、外部監査人(審査員といいます)の仕事です。そしてそれは、あなたの会社から命じられてカネをもらってやることです。
であれば、カネを出す側(つまり、あなたや同僚)が文書や記録を用意するために労力を投じるのは筋違いといえます。審査員自身が実務の内容を丹念に見て回り、作業者の様子を観察したりインタビューしたりして、ISO14001規格に適合している証拠を探すのが当たり前の姿です。
文書・記録があればそれで確認できますが、普段の実務で使わないもの(つまり実務に不必要なもの)はないのが当然ですから、それ以外の方法で調べるのが審査員の義務といえます。また、環境の審査なのですから、会議室で時間を潰すのではなく、むしろ現場を丹念に見て、問題がないことを確認するべきです。
もし文書・記録がないと審査できないのであれば、それは審査員の力量が不足している、つまり無能なわけです。そんなものがなくても審査できる審査員に交代してもらった方がいいでしょう。
少なくとも、あなたや同僚が、実務の時間を削ってまで、審査員のために文書を整えるというのは筋違いということになります。
ましてや、その結果、紙の使用量が増大するようなことになれば、何のためのISO14001認証取得やらわかりません。
かつて、ウチにはISO審査のための紙の文書が膨大にありました。それを維持するために膨大な労力がかかっていました。
そのバカバカしさに気づき、全廃しました。今では実務に必要なものしかありません。
 
環境方針→廃止。(経営方針だけとした)
INPUTOUTPUT表→廃止(審査員しか見ることがないので廃止)
社員の教育記録→廃止。(そもそも「環境教育」なるものが不要と考えた)
 
以上申したことは、あなたが理解するだけではすまないことかもしれません。
ISO事務局長、あるいは管理責任者に考え方を変えてもらう必要があるでしょう。
そのためには、まずあなたがいま疑問に思っていることが本来正しいことなのだと認識し、確信することです。
以下が参考になれば幸いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/ggc00360/743507.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ggc00360/1115228.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ggc00360/1062145.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ggc00360/1784912.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ggc00360/903817.html
http://blogs.yahoo.co.jp/ggc00360/1010848.html
 
※本文は、質問者様から削除の要望があった場合、速やかに削除いたします。
 

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宴(審査)の後

「本業の経営システム」と「ISO規格要求によるシステム」を合体させるべきだ。
 
これはよく耳にする主張である。だが、地動説立場から見れば根本的におかしい。
だいたい「ISO規格要求によるシステム」とはいったい何か? そんなものが本当にあるのか? 甚だ疑問である。
というか、地動説的には「ISO規格要求によるシステム」なんてものは存在しない。
ところが、(おそらく全ての)認証機関はそう考えない。これがあると考える。そして、審査で見つかった不適合について、組織に是正を求め、それを担保に認証登録を行う。
「ISO規格要求によるシステム」の欠陥を是正し、「本業の経営システム」との完全一体化を目指せということだ。ここには、「ISO規格が○○であることを要求している」という基本思想が根底に見える。
 
まったくナンセンスである。
仮にISOマネジメントシステム規格が完全無欠の存在であるなら、その論理も成り立つかもしれない。
しかし、現実はそうではない。
ISO9001は品質保証、ISO14001は環境保全と汚染の防止という限られた分野をカバーしているだけだ。各社のマネジメントシステムはそれよりもはるか高位にあり、そこから見下ろせばISO規格などただの道具(基準類)に過ぎない。
その程度のものを尺度に認証機関が適合性を判定し、認証登録することが当該企業の健全性を示すといえるのか。
挙げ句の果ては、「有益な環境側面が考慮されていません」などと規格にさえ登場しない概念を持ち出し、手前勝手に講釈をたれる。論外である。(断っておくが、ウチを担当している認証機関がそんな寝言を言っているのではない。誰がぬかしたかのかはヒミツだ)
そんな大言壮語は控えて、審査では業務上の重要問題を丹念に調べ、その事実を忠実に組織に伝えることを地道にやるべきだと思う。「○○を改善されることを期待します」なんて上から目線の報告書を読むたびにそう思う。
 
そう考えれば、認証機関が審査の指摘事項に対してすべからく是正を求めるというのは、本来おかしなことではないか。
ここが問題ですよ、欠陥がありますよという指摘をすることはよい。しかし、それを放置しようが対処しようが本来は組織の自由である。受け入れる義務も義理もない。もちろん、素直に受け入れなかった結果、案の定、事件が発生して大きな損害が出たとしても、それは自業自得である。
ところが現実は、「軽微な不適合」であれば所定の期限までに是正処置報告書を提出することになっている。
組織にすれば、指摘を受けたからには、どうすれば認証機関が納得する是正処置になるかで頭がいっぱいになり、指摘を冷静に吟味して受け入れるか否かを判断するプロセスが脱落してしまう。ややもすれば、見かけ上の是正処置報告書をでっち上げて提出する、なんてことになりかねない。
これではせっかく経費をかけて審査をさせた意味がない。
 
指摘を受けたからには、何が何でも是正処置を捻くりだして認証機関に許しを請う、という卑屈な姿勢は改めた方がよい。真摯に受け止めることは大事であるが、それと盲従とは別だ。
もし、指摘の内容を吟味した結果、修正は必要だが是正処置をとるまでもないと判断したら、堂々と修正の結果を回答すればいい。「社会経済的ニーズとバランスをとりながら」判断すればいいのである。現にISO17021の9.1.11では、不適合解決の手段として「修正」も認めている。
あるいは、最終会議の結果に納得がいかなければ、手順に沿って異議申し立てをすればいい。最終会議の時、その方法は審査リーダーが説明しているはずだ。
 
結論:
指摘を真摯に受け止め、反省と改善の糧にすることは大事である。
しかし、その指摘に正当性がないか根拠の乏しいものであるなら、盲従することなく忌避することも大事である。ましてや、上辺だけ取り繕うことは慎むべきである。
 

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開設日: 2011/8/23(火)


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