2月5日 M.ラフォント神父
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2月5日 年間第5主日
■マルコによる福音書 1:29-1:39
(そのとき、イエスは)会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。
■ラフォント神父さまのお話
私たちは暗い時代にいるのかも知れません。大地震と津波、原発事故、世界各地で起こる悲惨な出来事、金融不安、雇用不安……。
今日の第一朗読の「ヨブ記」にも暗い時代のイメージが感じられます。ヨブは次のように不安と悩みを叫びます。
「この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの。傭兵のように日々を送らなければならない。奴隷のように日の暮れるのを待ち焦がれ傭兵のように報酬を待ち望む。そうだわたしの嗣業はむなしく過ぎる月日。労苦の夜々が定められた報酬。横たわればいつ起き上がれるのかと思い夜の長さに倦みいらだって夜明けを待つ。」(ヨブ記7:1-7:4)
一方、今日の福音朗読箇所で、イエスに悪霊を追い出していただいた人たちもまた、ヨブと同じような気持ちを抱いていたのではないでしょうか。彼らは貧しい人、しいたげられた人、暴力に怯える人たちでした。
今日読まれた「マルコによる福音書(1:29-1:39)」は、4つの福音書の中で、忙しく活動しているイエスの1日(日常)を記録している唯一の箇所です。その忙しさには2つの特徴があります。1つは、イエスが人々を次々と癒されたこと、もう一つはイエスが神との関係を大切にし、苦しむ人を癒すために自分を捧げ続けたことです。イエスが早朝、まだ暗いうちに神に祈る姿と、大勢の人を癒す姿は、相互的な関係にあるのです。
20世紀ドイツの神学者ボンヘッファーは、次のような意味のことを述べています。「イエスは人々を癒すために働き続けることに疲れを覚えない人であった。常に他の人のために働いた人だった」。つまりイエスご自身が、自ら語られたたとえ話の「よきサマリア人」だったのです。
このイエスの姿は、暗い憂鬱な今の時代にどんなメッセージを送っているでしょうか。個人の幸せを追求する生き方が大勢を占めるこの時代だからこそ、イエスのように他者のために生きる、他者を助ける生き方が求められているのではないでしょうか。
マザーテレサもこう語っています。「20年間の長い(インドでの奉仕の)体験を振り返ってみて気付いたのは、一番辛い病とは、受け入れられないこと、望まれないこと、捨て去られることだと。他の病には、幾つもの治療法や薬があります。しかし、この辛い心の病には、たった一つの治療法しかありません。それは愛情を込めて、その人を助ける人たち(ボランティア)の存在です」。
イエスの姿、マザー・テレサの姿は、暗い時代にあって私たちに希望を与えてくれます。他人の幸せのために、苦しむ人を助けるために生きる生き方こそ幸福に至る道なのです。ですから皆さん、毎晩、眠る前に、「今日一日、神さまのために、人々のために自分は何をしたのか」を思い起こしてみましょう。そして、もし何か一つでもできたことがあったなら、それを神に感謝しましょう。
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