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昨日の5月第二土曜日は「楽しく歩く会」の日でした。
ここのところ「楽しく歩く会」は天候に恵まれていませんでした、3月は雪模様だったため行軍は中止になり屋内で交流会を開きましたし、4月は大雨の中を府中市の野川の濡れた桜の下を歩きました。
今回5月の歩く会は、埼玉県・栃木県・群馬県・茨城県にまたがる「渡良瀬遊水地」が訪問地です。
5月12日の土曜日、朝8時に東武スカイツリーライン新越谷駅・改札口前に28名の老老男女が集まりました、「新越谷駅」から東武電車に乗って南栗橋まで行き、南栗橋から乗り換えて「柳生駅」まで行きました、約1時間の電車の旅を終えて「柳生駅」から今日の歩く会が始まります。
「柳生」駅前で点呼をとっている間に私は皆の前で「柳生」の歌を歌おうと思いましたが、あまりにも受けすぎるのはよくないと思いとどまりました。
「柳生の歌」とは、
・・・柳生するならー、こうゆうふうにしあしゃんせ、アウトセーフ、よよいのよいっ・・・って。
受けるかなー・・・。
さて、野球の駅から・・もとい柳生の駅から歩き始めて「道の駅」で小休止してから「渡良瀬遊水地」に入りました。
今回の天候は「風薫る5月」という大変気持ちのいい天候でしたが、ちょっと風が強すぎました。
強すぎる風に帽子を飛ばされないように帽子を脱いで歩く男性が数人いました、それを見ていた女性たちから「帽子は飛ばされないけど、髪が飛ばされちゃった」なんていう声が聞こえました。帽子も髪の毛も飛ばされてはいませんと言いましたが、普段「歩く会」で会う時は帽子をかぶっているもんですから、男性の頭髪を見るのは初めてのようでした。幸いに私は今も昔も髪は飛ばされていません。
・・・写真・上・・・
東武線「柳生」駅前に立てかけてあった「渡良瀬遊水地」の地図です。
でも、この地図をみてどこを通るのかわかりません、すべて役員さんについて行くだけです。
遊水地をまたぐ遊歩道を歩き、途中2差路から左折してすすみます。
途中から道をそれて葦が群生するなか進軍を進めます(兵隊じゃあるまいし、進行でしょう)。
葦や藪の中を進むとぽっかりと空き地に入りました、そこは「旧谷中村跡地」でした。会員の間には「中村跡地」と読んだ人もいたようですが、「谷中村」です。
「谷中村」は足尾銅山の公害を摘発した「田中正造国会議員」の出身地でもあります。
ここ谷中村は足尾銅山の公害を受けて明治政府に没収された地でもあります、ですがその没収に反対して戦ったのが田中正造や地元の人たちでした、その旧谷中村跡には墓地も残っていました、墓標には江戸時代の年号が書かれて在りました、そしてお寺と神社の跡地もありました。
その場所に立つ説明看板には、田中正造らは地元や住民や地域や共同体を守るために命をかけて政府と戦ったと記載されています。
そうです、男はそういうことに命をかけるのです。時の総理大臣のように増税に命をかけるなんてチャラチャラおかしいのです。それこそが権力者の奢りです。
さてその荒廃した旧谷中村跡地を少し歩いたら、広大な公園につきました、なんというアンバランスなんでしょう。この広大な公園にはボードセイリングの人たちの憩いの場になっていました。
このような公園を作る前に旧谷中村を残して整備しなさいと言いたい、ですが整備されないからこそ時の政府に対峙した価値があるのでしょう。
・・・写真・2番目・・・
11時を過ぎたばかりですが、風が思いのほか強く歩くのが困難なことと、今回の昼食の場が吹きさらしの場所であるために、公園の風が当たらない場所を選んで昼食となりました。
写真は、風のあたらない場所を選んであわてる会員の皆さんです。
・・・写真・下・・・
今回の宴会セットです。
私は菊正宗の冷酒を持参しました、白鹿の吟醸酒を持ってきたのは元自治会長の森田さんです。
今回の日本酒はこの2本だけです。
私は今回はぐい呑みをやめて、先日平河天満宮からいただいた升を持参しました。杉の香りがまだ残っていました。
今回は風が強いことを見越したのか、田川さんと堀切さんのガスバーナーでの調理はありませんでした、でもいつもより料理は豪華でした。
11時から始まった昼食交流会は12時30分には終了しました、どうも強風のためか皆さんの疲労がピークのようです。予定より早く切り上げて帰路に就くことになりました。
遊水地に遊ぶボードセイリングを横目で見ながら強風の中を歩きました。口には出しませんが何人かの会員は「落ちろ、沈め」なんて思いながら見ていたと思いました。でもなかなか転覆するボードはなく快適に強風の中走っていました。
帰りは「東洋大学前」から東武線の快速電車に」に乗り、春日部駅で準急に乗り換えて新越谷駅まで着きました。
今回は堀切さんが都合があるということで2次会はありませんでした。
今回の総歩数は、19,400歩でした。
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