やった!500記事達成だ!
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早いもので、500記事を達成しました(^^)v |
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ハンバーグは煮込んでも美味しいですね〜♪ |
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久々にハードカバーを読みましたが最高でした。 僕の中では早々に1位かもしれません! 『あの事件をやったのはね…、兄さんかもしれない』 著者の祖父の二十三回忌でのこの一言からこの内容はスタートします。 下山事件とは…
1949年7月5日、初代国鉄総裁下山定則が失踪。 翌6日未明、足立区五反野の常磐線上で轢死体となって発見された。 総裁は自殺したのかそれとも他殺なのか。 戦後史最大のミステリーだと言われる『下山事件』です。 この事件の背景は… 下山事件が発生した1949年(昭和24)当時、中国大陸では国共内戦における中共軍の勝利が決定的となり、朝鮮半島は、38度線を境に共産政権と親米政権が、一触即発の緊張下で対峙していた。このような国際情勢の中、米占領軍は日本を反共の防波堤と位置付け、高インフレにあえぐ経済の立て直しを急ぎ、いわゆるドッジ・ラインに基づく緊縮財政策を実施する。1949年(昭和24年)6月1日には、行政機関職員定員法が施行、全公務員で約28万人、同日発足した日本国有鉄道(国鉄)に対しては、約10万人近い空前絶後の人員整理を迫った。 一方、同年1月23日に実施された戦後3回目の第24回衆院総選挙では、吉田茂の民主自由党が単独過半数264議席を獲得するも、日本共産党が4議席から35議席へと躍進。共産党系の産別会議(全日本産業別労働組合会議)や国鉄労働組合もその余勢を駆って、人員整理に対し頑強な抵抗を示唆、吉田内閣の打倒と人民政府樹立が公然と叫ばれ、世相は物情騒然とする。そのような中にあって、下山事件の一報を聞いた誰もが、共産党系の労働組合がらみと直感したのも、無理からぬ状況となっていた。 しかし、下山事件や、続いて起きた三鷹、松川事件の影響により、共産党及びその影響下にあった労働運動は大打撃を受け、混乱の予想された国鉄人員整理を含めて、各種業界における人員整理は占領軍及び政府の思惑通り、スムーズに進行した。 このような事情から、下山事件の背後に米占領軍の存在が囁かれる事となる。作家松本清張は、『日本の黒い霧』の中で、米軍防諜部隊CIC (Counter Intelligence Corps) の関与を指摘。松本の説自体は、当時の鉄道運行表の検討からほぼ否定されているが、米軍謀略説の可能性が完全に払拭されたわけではない。執拗に事件の追跡を続けた朝日新聞の矢田喜美雄は、取材の過程で防諜機関に命じられて死体を運んだとする男に行き着き、後年その取材成果を集大成した著作『謀殺下山事件』にその人物とのやりとりを記述、同書が1973年(昭和48年)に刊行されると、大きな反響を呼んだ。 また、自殺説の動機説明にも、人員整理問題の責任者として、精神的に追い詰められていた可能性が指摘された。その傍証として、国鉄庁舎内で躁鬱の激しい異様な行動の数々を見せる下山総裁を見たとする国鉄幹部や給仕の目撃談が指摘された。 このような背景を考えつつ、真相を知る親族や亜細亜産業の総帥へのインタビューを通して初めて明かされた真相とは…?
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