あらなみの相場技術研究所

重ぉーいブログの中、遠路はるばるおこしいただき本当にありがとうござます m(_ _)m
記事としては、2011年7月から更新していませんでしたが、その間、まるで更新していないにもかかわらず、時々様子を見に来て頂いておられる方がいることはとても気になっていました。
 
とても感謝しています。
 
私のブログですが、こちらでもう一度続けようかとも思ったのですが、妙な広告が入るようになったりしたことに加えて、文字数制限などもあって、そもそも使い勝手がよくないこともあり、ここは心機一転で、引越しして、久々ですが、またちょろちょろと書いて行こうかと思っています。
 
よろしければ、ご訪問くださいませ。
 
 

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訃報

2012年2月28日午後9時10分 林輝太郎先生が永眠されたそうです。
享年85歳だったそうです。
 
今友人から連絡があり、知りました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
 
思えば、30年前、私が相場を始めた1年後に林先生のご本に巡りあえて幸運でした。
当時は、株の本といえば、当てもの、ゴシップ本ばかりだった中に、林先生の本は、砂場のダイヤモンドのようにキラキラと輝いていました。
バラコピーを含めて、全てを大人買いしたのが懐かしく思い起こされます。
そして、10年間、研究部会報を購読し勉強させていただきました。
 
今の私があるのも、林先生あってのこと。
ご恩は一生忘れることはありません。
悲しい気持ちで一杯ですが、相場を頑張ることでしかご恩に報いることができませんので、今日も粛々とトレードを続けます。
 
先生、本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。

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多くの投資家は「当てよう」という努力に相当なエネルギーを消費している。その膨大なエネルギーを「技術の習得」にむけたならば、短期間に見違えるほどの進歩を示すに違いない。
 
私が8年かかって目がさめたこと、おそらく一般の投資家では一生かかっても目がさめない人が多いのではないかと思われる「勉強の仕方」と「売買の実行力」について、できるだけ早く目覚めて(というと大げさですが、気が付いて、そして試行錯誤の期間を短縮して)頂きたいということなのです。
 
大人はどうしても理論から入りやすいもので、一度はおぼれて痛い目をみないうちには、相場技法の重要性を感じないものでしょうから、仕方がないのかもしれません。
 
大きな損を経験すると、今度は当てよう、損しまいという欲と恐怖のために、一発必中を狙うようになってしまうのでしょうか。
 
あんたのような人を私はいやというほどみてきたよ。はじめは少し儲かる。たまには大きく儲かることもある。しかし、一転して大損するか、あるいはジリ貧になる。狙った株は次々にはずれて、夢がだんだん消えていくんだね。それでもなんとか大きく当てて、という夢を持ち続けている。当てよう当てようという「当て屋」から脱皮しなければいけないんだが、まずほとんどの人はできない。一生かかってもダメだ。
 
要は、「やり方」に上手になることだ。当て方というのは上手にならないからね。
 
おじいさんは、「腕が未熟では儲からない」といいました。まさにその通りです。相場は腕でとるものなのです。そうでないならば、学者でも儲かるはずです。
また、「スッテンテンになるのは時間の問題」ともいいました。まったくそのとおりで、自分をみればよくわかります。
 
おじいさんは、私に対していろいろいってくれましたが、おそらく私の相場に対する姿勢、考え、やり方が、一般の相場の下手な人たちに共通する典型だったのでしょう。
 
知ることとできるようになることとはまったく別のものです。私の想像では、その技法を身につけ努力し、実行する人はきわめて少ないのではないかと思います。
 
知識先行がどうして悪いかというと、第一に知識のみ先行してしまって技術の習得をおろそかにするという一般的な欠点が指摘できます。
 
 
 
以上の引用は、相場本の古典でもある「あなたも株のプロになれる」(立花義正)よりのものです。
 
特に私のブログ訪問者のみなさんにはこの本をご存知の方も多いことでしょう。
実は、多くの人がこの本を単なる「ナンピン本」として読んでおられて、単純に「ナンピンの勧め」という理解の元に爆死する、といういわく付きのものです。
これは、相場本から単に手法を読み取ろう、という読み方しかしない「当て屋」発想から入ると、そう読めてしまいますが、この本の重要な役割は実は、その当て屋からの脱皮を勧めるものなだと私は理解しています。
 
今回連載している「脱皮考」についてのルーツは、実はこの本にあります。
 
私自身で言えば、相場本でおそらく一番繰り返し読んでいるのは、この本でしょう。流し読みを含めると数百回になると思いますが、もう本がバラバラになりかけており、指でこすった手垢が本の中心についているぐらいになっています。
そして、ラインマーカーだらけで、本を見た途端に、よくもこれだけ読んだものだ、という仕様になっています。
これに次ぐ本は、マーケットの魔術師ぐらいでしょうか。
 
何が正しくて、何が間違いだ、ということではなく、私の理解という意味では、この本は、間違いなく「脱皮本」です。
 
立花氏への批判も結構聞くのですが、その多くの人たちの前提が、この本を「ナンピン本」「逆張り本」としての理解の元に成り立っています。
また、この本を「手法本」の一つとしてのみ理解しており、「こういう手法の本なのね」というだけで読み捨てておられる様子です。
先ほどの引用は本の前半部分からですが、手法本としての理解なら、この前半部分は飛ばし読みでしょう。後半の「手法」の部分にしか興味がないのでしょうから、そこだけを読むのが手法屋の本の読み方です。
 
確かに、林本のグループに属するものですし、本の内容に林本の影響を色濃く受けていることに間違いはありません。
しかしながら、脱皮本として、この本の右に出る教科書には未だ私は出会ったことがありません。
当然にこの本を読んでも、ナンピンという手法以外のことは、まるで頭には入らない当て屋諸氏が多い(基本投資家のほとんどが当て屋のため、当て屋脱皮の勧めは目に入らない、手法のところしか読めない)ので、悪評も多いのでしょうが、私としては、これだけ多くの投資家への愛情のこもった本は見たことがありません。
 
私にとっては、今でも時折読み返したくなるような愛情に満ちた本です。
 
 
この脱皮ということは、私が多くの投資家を見ていても、これほど困難なことは他に無い、というぐらいに非常に困難ですし、できる人は多くはありません。そもそもそういう考え方すら存在しないのが普通です。
しかし、ここは遠回りに見えて、最も近道を示すものだと私は考えています。
 
 
脱皮考として、3回書きましたが、もし脱皮ということにご興味がおありでしたら、この「脱皮本」は超オススメの一品です。
何万円という手法商材と比較すると、キラキラと輝いた呼び込みはありませんが、それ以上の価値はあると私は思います。
 
 
 
 
さて、これはここでの本旨ではありませんが、技術面でも立花氏のことを書くと、技術面での誤解が多いのもこの本の特徴でもあります。
これは、誤解する方が悪いということもありますが、書き手にも配慮が欠けている、ということがこれだけの誤解を生む原因になっていたのでしょう。
それは、立花氏が、投資家を脱皮させたい、という脱皮本としての位置付けを強くしてこの本を書いたものなので、氏の相場の見方、考え方というより、実践の売買のみに多くを費やしたことにあるのではと思っています。
また、分割と逆張りを強調したいがあまりに、トレンドの認識ということにほとんど触れていなかったことも原因しています。
また、当時は、目先で逆張りさえすれば、逆張りナンピンだ、という理解が普通だったのでしょう。
林先生の影響を色濃く受けた本の構成になっていることもあると思います。ですから、相場の見方やチャートの読み方については、「繰り返しグラフを書けば自然とわかる」「とにかく書け、そうすればわかってくる」という色彩が濃く出てしまって、立花氏がチャートをどう見ているかの記載がほとんど無い、というところから、多くの読者が具体的に書いてある目先のエントリー部分だけの理解に留まったのだろう、と思います。
 
ここで書くことは当然に私の理解という範囲ではありますが、立花氏の売買は、いわゆる世間で言う逆張りナンピンというものではなく、
 
トレンドに沿ったスイングトレード
 
に属するものです。
これは、氏の売買譜を何度チャートに書いて見ている私の目から見て間違いありません。
 
昔はこういう概念そのものが存在しなかったのでしょうから、具体的にそういう表現ができなかったのだろう、と思料されますが、カテゴリーとしては、スイングトレードです。
 
これは、リンダ・ラシュキ氏やラリー・コナーズ氏が、スイングトレードの伝説本で推奨しているスイングトレードとほぼ同じタイミングを狙った売買となっています。
 
ただ、玉の入れ方に違いがあって、リンダ・ラリー氏のタイミングが反転の確認を待つのに対して、立花氏は、酒田押し目の数え方によって確認を待たずに目先逆張りでエントリーする、という方法論を取っている、ということです。
ただし、逆張りなので一定のレンジを捉えるという意味で、ナンピンを駆使します。
 この目先の話を取り上げて「ナンピン本」という理解をされてしまっています。
 
しかしながら、目先反転を確認するのか、酒田の統計を使うのか、の違いであって、狙いは「トレンドに沿った押し戻し」であることについて、両者にまるで違いはありません。
 
立花氏の売買は、中期(ここでは数カ月単位)のトレンドに逆らって、逆張りして底を狙うのだ、といううねり取りナンピンとはまるで違います。
また、予想が失敗したからその玉を救うためにナンピンする、という当て屋ナンピンとも1000%違います。(普通ナンピンといえば、これであろう。)
 
 
最先端の短期売買教科書と同じようなスイングトレードの売買が、今から28年前に出版された日本の本に詳細に紹介されていたということには、驚きます。
しかも詳細な2年間の実践記録があるのです。
 
そういう理解をしている人が非常に少なく、下がったら買え、買い増しだ、ナンピンだ、という理解しかされてこなかったことについて、残念に思うのは私だけなのでしょうか。
(もしかしたら私の理解が違う、という話もありますが(笑)、立花氏へのこの理解はマイナーなのかどうか、同好の士がいないので私にはわかりません。)
 
ナンピンエントリーというのは、損切りが非常に難しいものですが、立花氏は、トレンドを間違った、と判断したらすぐさま損切りを実行しています。
 
ベースは、トレンドの認識にあり、チャートはトレンドを見るためのものである、とこの本でも書かれています。
(ただしさらりと書かれているので、読み取れる読者はほとんどいないでしょう。ここは林先生のバイアスがかかっていたのかもしれません。)
 
そして、トレンドに沿って、押し戻しを待って、逆張り分割でエントリーする、もし、そこがトレンド転換なら、損切りして、今度は反対に玉を建てる、この繰り返しが立花氏の売買です。
 
ただ、技術的な話は、この本の価値の本のほんの一部でしかありません。
それよりも重要なことは、脱皮本としての価値にあるのです。
 
(ここで書いたことは、あくまでも私の私見となります。立花氏のファンの方が当ブログをご訪問されていることは知っております。私の誤解の部分がありましたら、ご批判、ご指導方、よろしくお願いします。)

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イメージ 1
 
(書庫間違いのため引越ししました。)
 
地下がまた騒がしいことになっています。腕に覚えのある剣闘士たちのバトルが白熱しているようです。
これだけ騒がしいのは、ブログ主の不徳の致すところ、不愉快にお感じの方にはお詫び申し上げます。
それから、匿名などで書いていただいています書き込みもきちんと読んでいます。熱心な書き込みありがとうございます。
もしお返事ご希望でしたら、ご自分のブログなどへ誘導願えればと思います。
 
 
 
>そういう中で、極一部の人達はあることに気がつくのです。
 
こんなこと書いたからいけなかったのでしょうね。欲求不満の若者たちのエネルギーが爆発したのかもしれません。
 
とんでもない終わり方をしたものです。
続きはどうなるのか、と期待感をにじませておいて、
 
もしこの先を知りたい方は、ここをクリック ⇒ ここ
 
とかやって、商材サイトへ飛ぶ、とか仕掛けを作ればいいのか、とか考えつつ・・・
体験談として、「私はこれを知って負けていたものをあっという間に取り返しました。」「今年はハワイで夏休みが過ごせます。ドンドン儲かっています。」などをちりばめて。
体験談というのは、効きますからねえ。
 
 
さて、この「あること」なんですが、簡単に言ってしまいますが、それは、
 
負けが続く中で、自分が一定のパターンを描いて負けている
 
ということに気がつくということです。
 
しょうもなぁーー、金返せ!!
 
という怒号の嵐はさておき、では、何故極一部の人以外はそれに気がつかないのか、というと、前にも書いたとおり、「勝つやり方を知らないから負けているのだ。」と思い込んでいて、負けている自分のトレード記録などそもそもつけてもいないし、ただ「負けている」ということだけで終わっているからです。
 
自分が負けている理由は、勝つやり方を知らないから、とはっきりしているし、負けているものを見ても何の意味もない、と100%思い込んでいますから、基本は「消去したい過去の暗い思い出」ぐらいのことでしょう。
ですから、ここに宝物が眠っているとはまるで気がつかないままにスルーパスでしょう。
 
とは言え、最も多いのは、統計的にサンプルが取れる以前のしょぼい回数のトレードだけで、部隊が全滅、ということなので、どうしようもない、と言えばもうどうしようもない、ということでなんでしょう。
 
私のブログのコメント欄で、素手で戦いを挑もうとするようなものです(笑)
トラや剣闘士の餌食になって、闘技場に入った途端に死亡、という感じです。
 
相場に初心者用ハンディなし
 
ですから(笑)
 
しかし、これも繰り返しになりますが、では、何故こんなにも相場で負けるのでしょう。勝率50%なのだから、勝ったり負けたり、結果トントンというのが普通であって当然ではないでしょうか。
 
 
 
 
 
「あること」の話はちょっと置いておいて、勝つ方法を知らないから負ける、という理屈は、本当に正しいのでしょうか。そういう疑問はありませんか。
 
私は、相場を始めた頃、実は、ずっと「勝つ方法」を探していました。
探すことに夢中になってしまって、ついにこういう思考パターンにはまってしまっていました。
 
勝つ方法を探し出すこと = 相場で勝てるようになること
 
そうこうしているうちに、目的が、勝つ方法を探すこと、にドンドンとズレて行って戻らなくなりました。
手段の目的化、というのは典型的なロジックの崩壊パターンなのですが、これにすっかり私ははまりました。
 
手法屋の代表選手とは、当時の私のことです(笑)
 
結果、持っている相場書は1000冊を超えました。
大げさに書いているように思われるかもしれませんが、先日実家へ戻って、実家に置いてきた本の整理をしたらダンボール箱9箱ほどいらない本が出てきたので、ブックオフに車で売りに行きました。
相場書ですから、1冊1000円以上は絶対にするものばかり、中には1万円の本もありましたが、売値は全部で数千円成り(涙)
実家の本はまだダンボール8箱ほど残っています。
しかし、この実家の本を全部除いて、手元にある本だけで1000冊を超えているんです。
 
 
さて、相場書1000冊を読んで、結果何がわかったか、というと次のことがわかりました。
 
だからどうなの・・・(笑)
 
本当に、だからどうなの、という表現しか思いつきません。
1000冊読んでわかったことは、読んでも読まなくても何か違いがあったのかどうか、よくわからない、ということがわかりました(笑)
 
もちろん商材とかも結構持っています。コレクター猿ですから(笑)
昔は、怪しげな書店とかで売られていた巻物のようなものもあります。
 
余談なんですが、商材って、買う前は期待に胸を膨らませさせられるんですよね。
開ける前はドキドキ、ドキドキ、こんどこそ本物かもしれない、という期待で!!
エロ雑誌の袋とじ、昔の「ビニ本」のノリと同じですが、基本的に、袋を破って、読んだら、その期待は失望に変わります。
商材は、基本この繰り返しでしたねえ。ずっと(笑)
まだ、ビニ本の方がよかった、期待どおりのものも結構あった(笑)
 
買う前ドキドキ VS 読んだら絶望
 
この繰り返しを基本パターンとする。そろそろ気づけよ、みたいな(笑)
 
蓬莱の豚まん、ある時、無い時、シリーズのような(笑)
 
パンローリングの本も初期の本は全て持っていますので、全体でも70%以上は持っているでしょうか。高い本ばかりですよね。マニア本が多いので仕方がないとは思いますが。
ただ、読んでだからどうだったんだ、ということは今でも思うことがあります。
でも、また買っちゃうんですがね(笑)
 
そういえば、あと、セミナー、結構行きましたね。パンローリングにもかなり奉仕させていただきました。
ラリー・ウイリアムズ氏のセミナーとか、色々受講しました。
まあ、身にならなかった自分がわるいんでしょうけど、
 
だからどうだんたんでしょうねえ
 
とまた、基本に戻ります(笑)
 
もちろんそれがベースになって、活きているとは言えると思いますが、それがどれほどか、と言えば、どれほどなのだろうか・・・それよりも・・・
 
やはりショートカットしたいんですよね。人間てやつは(笑)
 
 
 
こういう経歴の持ち主ですので、もし過去の自分に言ってやれることがあるとすれば、こう言ってやりたいです。
 
手法探す暇があったら、他にやることがあるだろうが、このあほんだら!!
 
と。
 
まるでわかってませんでしたね、実際。本当にあほんだらだった。
時間の無駄遣い。金の無駄遣いでした。金はいいんですが、時間の無駄がもったいなかったです。
最初からわかっていた部分もあるんですよね。実際。でもやらなかった。
ダサい、遠回りに見えた。
 
もっと近道があるのだと信じて疑わなかった
 
近道を探して探して、結局死ぬほど遠回りした
 
何かコツを知れば儲かる、と本気で信じていた
 
今思えば、ホントにアホだったと思います。
 
でも、当時の自分に今の自分がアドバイスしても、多分聞く耳を持たなかったでしょうね。
思い込んでいましたから。
 
手法屋さんとして、その道を極めていましたので(笑)
 
そうです、こう読んでください。
 
手法コレクター猿
 
それが私の過去です(笑)
 
 
ただ、私は時間はかかりましたが、まだ途中で気がついたからマシな方だと思います。
というか、気づかせてもらった、というべきなのかもしれません。
多くの投資家は、気がつかないまま、投資人生を終わるんでしょうから、時間がかかっても、蛇の道から抜け出せてよかった、と思います。
 
現役で蛇の道を突っ走っている皆さん。頑張ってください(笑)
これは一度は投資家の誰もが通るべき道ではあるんです。
 
一方で、ほとんどの投資家は、その道で投資人生を終えるのでしょう。
それがまた大衆というものを形成しているのです。
どこかで、何らかのきっかけで軌道修正できるかどうか、それが勝負だと思います。
考え方の違いですが、そこを超えることは、非常に困難なのです。苦しみ、といってもいいでしょう。
 
これを多くの先人たちは、
 
脱皮
 
という表現をしています。
 
「あの人は、脱皮したの。」「話を聞くとまだまだですね。」「そうか、もう少し苦労する必用があるんだろうな。」
 
などの会話がなされます。脱皮した人たちの間では常識でも、それ以外の人たちからは決して受け入れられないものがあるのです。
考え方がまるで違います。
ですから、どんなにいきまいても、脱皮した人から見れば、脱皮していない人はすぐにわかります。
 
難しいのは、そこを指摘しても、本人は決して受け入れないし、認めようともしないことです。
これが、トレードの上達を阻む大きな壁になっているのは間違いありません。
 
脱皮するためには、脱皮を受け入れられるまで成長しなくてはいけないことです。
それなりに成長しないと脱皮すら困難なんです。
脱皮とは、単なる入り口に過ぎないのにもかかわらず、それすらほとんどの人は受け入れようともしません。
ですから、私はこう思うことにしています。
 
逆に手法屋をやるだけやりきってしまえばいい
 
その先にのみ別の考え方を受け入れできるようになる素地が醸成されるからです。
 
 
 
今振り返れば、当時の私はまるで、
 
エロ本中学生
 
でしたね。
 
知識だけは100人前。
でも、女体に触った経験・・・ゼロ
 
今のAV男優並になった自分(笑)からアドバイスを受けても、聞く耳を持たなかった。
 
もっと勉強せねば、もっと知識を蓄えねば・・・
 
女体攻略必勝法
 
エッチマニュアル
 
買いまくり(笑)
 
 
こういう経歴ですので、手法屋さんの考えていることは、手に取るようにわかるんです(笑)
それだけが、身についたことといえば身についたことですかね(笑)

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書庫間違いのため、記事は引っ越しさせていただきました。
 
貴重な地下の戦いの記録がありますので、記事としては残しておきます(笑)

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恐らく君の気持ちはアリスか、ウサギの穴を転げ落ちた。
 
・・言えてるよ
 
君の目が語っている。君は見たままを受け入れる顔をしている。目覚めたいと思っているからだ。本当の目覚めも近い。
 
運命を信じるか、ネオ。
 
・・いいや。
 
何故だ。
 
・・自分の人生をコントロールできないなんていやだ。
 
君が言おうとしていることはよくわかる。
 
・・マトリックスって
 
それが何か、君は知りたいのか
 
(頷くネオ)
 
(モーフィアスはネオにおもむろに青い薬と赤い薬を差し出した。)
 
自分の目で見るしかない。これは最後のチャンスだ。もう後戻りはできない。青い薬を飲めば話は終わる。ベッドで目覚め元の暮らしが待っている。赤を飲めばこの不思議の国でウサギの穴の奥底へ降りて行ける。
いいか、見せるのは真実だけだ。
 
映画マトリックスより
 
 
 
 
FX口座開設して、6ヶ月経過すれば、ほとんどの口座は売買がされなくなる、損して口座の生命は終わる、ということは、複数のFX会社に勤める友人から聞く話です。
では、FXが特別難しいからなのか、というと、それは商品先物でも同じ。株の信用取引においても似たり寄ったり、だということはやはり内部関係者から直接聞きます。
要するに、短期売買の世界で、半年以上まともに生き残れる投資家は稀である、ということが共通項目だ、ということが統計的に見えてきます。
 
 
 
さて、投資家一年生の基本パターンとはどのようなものでしょう。
 
雑誌や友人から、など何らかのきっかけで、「相場をやると儲かるらしい」ということを聞きつけて、色々と投資雑誌などを読んで、口座開設をする。そう投資家の誕生です。
 
誕生したばかりの投資家は、一人の例外もなく、当て屋として産声を上げます。
 
赤ちゃんがオギャーというのと同じく、彼らの産声は、
 
当てる情報、当てる手法をマスターすれば、相場は儲かる
 
というものです。
 
そして、すぐさまに売買を始めるのですが、売買を初めてしばらくすると、最初に思ったようなことにはならないことにいら立ちを覚えます。
 
雑誌に書いてあった「手法」に基づいて、きちんと売買しているのに、一向に儲からない。儲からないどころか、損ばかりが積み重なる。
簡単に儲かると書いてあるのに、何で俺だけが損ばかりするのか。
何故だ、おかしい。何かが間違っている。
そうだ、あの雑誌に書いてあった手法が悪いのだ。もっといい手法があるはずだ。と色々と探すと、「情報商材」なるものがあって、3万円もするが、勝てる方法が書いてあるようだ。
そっ、そうか、安物の雑誌に書いてある手法に頼ったから失敗したんだ。役に立つ手法はやっぱりちょっとはお金を出さないと手に入らないものなんだ。
 
と変に納得して、商材を買う。
しかし、それでやってみても・・・儲からないことは相変わらず。
というより、さらに派手に損がでるようになる。
 
あの商材がダメだったのか。
と別の商材をいくつか買ってみても結果は全て同じ。
 
おっ、おかしい。何故儲からないんだ。
ちょっと最初に考えていたのとは違うようだ。ちょっと考えてみよう。
 
そうこうしているうちに6ヶ月が経過・・そしてその口座の売買は停止します。
 
 
こうして、投資家の卵は孵化しても、成長することなく、終わりを迎えます。
 
 
 
以上が基本パターンなんだと思います。
ここからが第二幕のスタートとなります。
大部分の卵は孵化してそのまま6ヶ月で投資家人生を終わります。
しかし一部の卵は、このまま終わってなるものか、と這い上がりを始めます。
この場合努力の方向は、よりディープな「当てるやり方」「当てる方法」「当てる手法」を求める旅への船出となります。
ここで多くの人達の努力の方向は、「手法コレクターへの道」を歩むこととなり、血の滲むような探索の旅がこの先待っています。
 
 
 
さて、ここで話題を変えて、ちょっと考察してみましょう。
 
何故、初心者は損をするのでしょう。
 
当て屋的発想によれば、それは、「儲かる手法を知らないからだよ。」という答えとなります。
そして、「儲かる手法さえわかれば儲かるようになるんだ。」という理屈です。
では、次の疑問ですが、
「相場は上か下かの確率2分の1の勝負にもかかわらず、何故多くの投資家は損をするのでしょうか。」
当て方を知らないとしても、初心者の半分は儲かって、半分は損する、これが「当て方」を知らない人たちならそうなるのが当然のような気がします。
「0」   と「00」が無いルーレットに賭けるとして、赤か黒か、確率は2分の1です。
2回に1回は当たる計算です。この計算に疑問は無いでしょう。
仮に当て方を知らないとしても、半分は当たり、半分は外れる、とはならないのでしょうか。
 
何故ほとんどの投資家は損をするのか
 
この疑問に当て屋の思考パターンではどう答えるのでしょう。
当たらないから損をする、と言うことですが、当たらないといっても、競馬の馬連のように当てないといけないものが何十通りもあるわけではありません。
相場は実に単純です。上か、下か、この2通りではないですか。
それなら、半分は当たって半分は外れる、つまり、半分は儲かって、半分は損する、という理屈は成り立たないのでしょうか。
 
コスト・・・なのか。
「0」と「00」があるルーレット、というのが普通のカジノのルーレットですから、これがコストとなって、最終的にはハウスが儲かる仕組みができています。
コストがあるから、投資家は最終的に損をする、のでしょうか。
コスト分、つまり手数料とスプレッド分だけ損をし続けるのだ、ということなんでしょうか。
 
大勢の投資家の関心事は、常に
 
どうしたら相場で儲けられるようになるのか
 
ということに集中しています。
ですから、「どうしてほとんどの投資家は損をするのか」ということを深く考える人はほとんどいないといってもいいでしょう。
手法があれば儲かるようになる、の裏返しで、今は儲かる手法を知らないから儲からないのだ、と何となく思っている人がほとんどだと思います。
 
そういう中で、極一部の人達はあることに気がつくのです。
 
続く
 

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茨の道 その24

⑦隠れ当て屋
 
儲け方を教えてよ
 
これが、なにより私が常に受けている質問です。
 
どう答えたらいいのか、いつも戸惑いを覚えます。
 
この直球の質問の答えを考えたとき、相場って何だろう、と改めて考える機会になっています。
 
 
儲け方を教えて欲しい、という言葉の裏に、常に見え隠れするのが次の考え方なんです。
 
相場の当て方を知れば儲けられるようになる
 
知識として、当て方を理解さえすれば、もしくは教えてもらえれば、当て方さえ学べば、どこかで教えてもらいさえすれば、相場で利益を得られるはずである、という理解の裏返しだと思うのです。
 
 
自分は、当て屋なんかじゃない、と思っている人も多いかと思います。
当て屋なんかという低レベルの投資家は自分はもうとっくに卒業しているのだ、と思っている人たちです。
 
しかしながら、その人が考えていることを問い詰めていくと、結局、知りたいことは、当てる方法、当て方、に突き当たっていくことが多いんです。
 
当人は、あからさまに、
 
「当てる方法」
 
なんて言いませんが、
 
相場の詳しい知識を学び、勉強する、ノウハウを覚える、理解する、これによって、相場で儲けられるようになる
 
儲けられるような知識を得ること、蓄えること、によって相場で儲けられるようになる
 
うまい人から、儲け方を聞いて、そのやり方を知れば儲けれられるようになる
 
その際、具体的なコツやノウハウがあれば、それを聞けばよい
 
というちょっと高尚なトレードノウハウを得さえすれば、という気持ちがものすごく強い。
 
この人たちにとっては、多分相場って、ハウツーもの、なんだろうな、と感じます。
 
ハウツー: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
ハウツー(How-to)とは、何らかの作業をする方法や手順に関する非形式的な記述のこと。何らかのテーマに関するハウツーを集めた書籍をハウツー本と呼ぶ。
 
ハウツーは一般に初心者を助けることを意図しており、専門家が必要とするような詳細な情報は含まない。また、対象とする事物に関する様々な議論も排除して結論だけを記述することが多い。ハウツーはノウハウ(手続き的知識)の一部を構成する。
 
類似の文書形式として、FAQ、マニュアル、ガイドなどがある。
 
そして、
 
「具体的なトレード方法」
 
「トレード戦略」
 
「確率の高いやり方」
 
「ダマシの防ぎ方」
 
とか、そういうことを隠れ蓑にして、要するに
 
当てる方法が知りたいんじゃ、ボケ、どこが悪いんじゃ!!
 
というオオカミの尻尾がその発言の裏からブラブラの揺れている、ことが実に多いんです。
 
熱心に相場を研究をされておられて、一生懸命努力されておられるのですが、その方向が、戦略とか、具体的な方法、とか、言葉を変えて高尚に見えたりするのですが、要するにどういうことかと突き詰めて、一皮むけば、全ては、
 
相場の当て方
 
にその研究と勉強が費やされている、努力の方向が全て当て方の追求にある、ということがものすごく多いです。
 
こういう人にとっては、1000本ノックとて、所詮は、当て方を見つけるための手段にしか感じられない様子です。
 
なんだかんだと理屈をつけたところで、全ては、相場の当て方にたどり着くのですから、「全ての道は当て方に通ず」、という思考パターンを頑固に守っているところに特徴があります。
 
ご本人には、トントその自覚すらない、自分は当て屋ではなく、もっと高尚なことを勉強しているのだ、ということで、自覚症状がまるでありませんので、非常に恐ろしいことです。
 
これをもって、私は、隠れキリシタンならぬ、
 
隠れ当て屋
 
と彼らを表現します。
 
隠れ当て屋の最も恐ろしいところは、ご自分が当て屋である、という自覚がまるでない、ということです。
 
恐らくは、このシリーズで「当て屋」について書いたものを読んでも、まさか自分のことが書かれているとは、1%とて思っておらず、他人事だとスルーしたことだと思います。
自分はもっと高尚なことをやっているつもりになっている、ところに病根の深さも存在します。
 
さらには、それを指摘しても、本人は絶対に自分がそうだ、ということを認めようとはしません。頑として自分は違う、そんなことはわかっている、と言いはるのです。
相場を教えて欲しい、という人と接して、最初の巨大な壁がここにある、といつも感じています。
これは、表当て屋よりも病根は深いのかもしれません。
 
しかし言葉をいくら高尚にしようと、やっていることは、結局は、当て屋なんです。
 
表向きは、健全なスポーツクラブと称して、実は危険なカルト組織だった、という事例と同様なんですが、問題はこれを無自覚でやっている、ということなんだと思います。
 
隠れ蓑をまとっていたとしても、徹底した当て屋根性というのは、只者ではなく、凄いです。
この根の深さは、一生ものだろう、というぐらいに強い、と感じます。
 
実は、私はこの当て屋根性が目の前にいる初心者の方の大きなネックになっている、ということが話せばすぐにわかるのですが、さりとて、自覚を促すことさえままならないのです。
 
それほど頑固な憑き物です。しかも無自覚なんです。
 
せめて、自分が当て屋だと理解できれば一歩前進なんですが・・・だから相場って難しいんでしょうね。
 
三つ子の魂百まで
 

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想定外対応

サグラダ・ファミリアという建物をご存知でしょうか。
着工から128年経過して現在未だに建築中の建物だそうですが、多くの日本人感覚からすると、「地震があったらどうなるんだろうか」というものではないでしょうか。
 
私はあの建物を見て、瞬間に地震のことが頭をよぎりました。
 
仕事上の習性だと思いますが、素晴らしい建物を見ても、すぐにリスクのことを考えてしまい、自分でも失笑してしまいます。

おそらく石積み建造物が多いヨーロッパでは地震がほとんど無いんでしょう。
パリやロンドンでも、100年、200年前の石積み建造物が普通です。
BS日テレ トラベリックスという番組を好きでよく見ているのですが、ヨーロッパの家々は、石積みが基本です。
日本人感覚としては、石を積んだ建物というのは、どこかおっかない感じがします。
 
ヨーロッパの多くの国、地域では、おそらく(確かめたわけではないので)そもそも過去地震がなかったし、今後も想定してもいないので、このような建造物が普通なんだろう、そう思います。
 
 
さて、今回、震災のニュースに接して、私が気になったワードが、
 
想定外
 
でした。
 
「想定外」というのは、そもそもそこまでは想定して対処していない出来事が起きた、ということになります。
 
それぞれの町の津波対策、原発の対策、多くが想定外で吹き飛んでしまいました。
 
サグラダ・ファミリアではありませんが、建物を建てる時には、そもそもある程度の想定をせざるを得ません。
万全の備えというのはもちろん大切ですが、その想定のハードルを上げれば上げるほど、コストは幾何級数的に増大するので、ある想定でやらざるを得ないのが現実対応ということにならざるを得ないでしょう。
 
 

さて、トレードにあたって、この想定ということ、これはリスクということもできますし、リターンということもできます。
 
トレードをするにあたって、このぐらいの利益、このぐらいの損失、ということは、無意識にでも考えているものだろうと思います。
 
3月の相場は、株にしても為替にしても、多くの人が考えていたこの「想定」の範囲を越えた動きを瞬間演出した、ということになったのではないでしょうか。
個別株、FXもそうだったのですが、一番凄まじかったのが225オプションです。
プットを売っていた顧客の欠損金が余りにも膨大になったので、払いきれずに、多くのネット証券がそれを被ることとなりました。松井証券の35億円を筆頭に、マネックス証券など多くのネット証券が顧客の損失を被りました。
普通の個人顧客で億単位の損害を出した方も結構いたようです。
 
 
私が普段相場に接していて常に意識している自分で作った格言は次のようなものです。
 
 
相場では、100年に1回、1000年に1回と想定されるようなことが、2〜3年に1回起きる
 
 
リーマンショックが起きたのは、2008年秋、ほんの2年半前です。
そして再びまた想定外が起こりました。
 
私自身がこういう基本的な考え方で相場に取り組んでいるものですから、結果として、自分のコントロール下にリスクを置きたい、という理由から、デイトレという方向になってしまっています。
 
建物などと違って、トレードの想定外を意識することには、巨額のコストはかかりません。
 
この点は、トレードを考える上で実はものすごく大きなことだと思っています。
 
普通は、万が一のことを考えて万全の備えをするとなると、とにかく無限とも言えるようなコストがかかるのです。
それが、トレードにおいては、ちょっとした心がけと考え方、心構えによって担保することが可能となります。
 
このことだけでも、トレードということが非常に大きな優位性を持っている、とは思いませんか。
 
そしてその優位性を活かすも殺すも当人次第なのだということです。
 
ほとんどの投資家は、リターンのことしか考えませんから、リスクとリスクコントロールの優位性など気にもしていません。
だから、手法手法と走り回っている人たちの殆どは「いかにして儲けられる手法を探すのか」に血道をあげています。
 
よく、デイトレードというと、「そんなハイリスクな投資をして、危険極まりない」と言われることもありますが、デイトレーダーから見ると、「よくそんなポジションリスクを抱えたままで夜眠れるものだ」ということになります。
 
また、私の主戦場である株のデイトレでは、ハイリスク運用したくても、信用取引を使ったとて、資金の3倍までしか運用できない上に、法改正が予定されていますが、今のところ落とした建玉分まで当日は資金が拘束されるので、資金効率が非常に悪く、生活費レベルの利益を出そうとすると敷居が非常に高いのが現状です。
 
リターンから考えれば、スイングしたほうがいいに決まっています。
日足レベルでトレードすれば、場中に張り付く時間も自由になるし、それで生活できれば、究極のフリーライフを満喫できるでしょう。
実際にそうしている人も大勢います。
 
しかし、私はその大胆さに欠けるのでしょう。
 
デイトレーダーは、ある意味、臆病だからデイトレをするのだ、ということでもあるのです。
 
リスク管理の優位性を活かすためにデイトレに徹している、ということになります。
 
常に想定外のリスクを嫌って、頑なに短期に徹しているのです。
 
そもそもが、想定外のことがいつも相場では起きるものだ、という前提で相場の望んでいる、とも言えます。
 
トレードとは、結局、常にリスクをコントロールしながら、ワンチャンスを狙って攻める、という方向に行き着くものだと私は思っています。
 
その究極の方向がデイトレなんです。
 
逆に弱点は何かというと、ここ最近のように動きが鈍くなること。
デイトレーダーを殺すには、値動きを止めればよい、ということになります。
 
 
一方で、スイングする人の防衛策は無いのでしょうか。
この答えを私は、時間分散だと考えています。
 
すなわち、計画的なナンピン、乗せ
 
特に乗せというのは、積極策だと言う方も多いのですが、リスクを考えないのなら、最初にドンで何が問題なんでしょう。
最初にドンと行かないで、値動きを確かめながら、分割して玉を入れることこそリスク管理手法だと私は理解しています。
 
分散といえば、普通は銘柄分散ですが、銘柄分散も一定の効果はありますが、時間分散には劣ります。
 
リスクを分散しながら、もし相場がポジションどおりに動けばリターンを最大化させるノウハウ。
コントロールが難しい夜間のギャップに対する対応策がここにあります。
 
スイングをするなら、こうやってリスクを分散させながら一歩一歩進まないと、危険極まりない当てものになってしまうでしょう。
 
地下闘技場でいつも書いてくださっている方の書き込みを読むと、私は一層強くそう感じるのです。

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茨の道 その23

⑥罫線屋
 
罫線分析さえすれば相場が予測できると考えている一派である。
 
当て屋族手法屋科に所属しているが、このメジャー会派の中でも大派閥を有する一派である。
 
手法屋科に属しているが、より過激に「チャート分析」にのみ、答えを見出そうとしている一派である。
 
 
彼らを分類するのはどうすればいいのか、というと、買っている本が、ほとんどチャート分析やチャートパターン、手法に関するものに偏っている。
また、この罫線屋が、情報商材を数多く買っている主力顧客である、ということも言える。
 
何故なら、彼らは、「どこかに勝てるパターンがあるはずだ」と強く信じているからである。
 
 
 
「罫線屋 足を引き引き 足を出し」
 
という川柳が確か林本(林輝太郎氏の著作)に載っていたと思うが、この意味は、
 
罫線の足を書きながら、損をする(足を出す)
 
という意味である。
 
林本には次のようなことを書かれていた。
 
「兜町の橋のたもとには、罫線の秘法を売っている人が結構いた。しかし、彼らのうらぶれた格好を見ると御世辞にも相場で儲かっているようには見えなかった。」
 
 
他の会派においても、概ねチャートは使うのだが、どこが他の会派と違うのか、というと、この会派の特徴は、
 
チャートで先を予想できれば相場で勝てるのだ
 
当たるチャートのパターンさえ発見できれば相場で勝てるのだ
 
という理解をしている、ということである。
 
他の会派は、
 
チャートとは、相場を分析する道具の一つである
 
という理解であり、ここが全く違っている。
 
しかし、チャートにのみ答えを求めようとしている罫線屋にとっては、他の事は大した意味が無いと感じている。
 
とにかく、当てりゃいいんだろ、当てりゃあ、当てさえすりゃ、相場は勝てるに決まってるだろ!!
 
ということである。
 
しかも、それをチャートだけでやろうとしている。
 
 
 
彼らは、相場で勝っているという人を見つけると、勝っている人の考え方には興味が全く無く、ただその人が「どのようなチャートパターンを使っているのか」にしか目が行かない。
 
そして、セミナーなどで聞いてきたパターンだけを真似しようとするのである。
パターンさえ知れば儲かる、と理解しているので、当然の行動である。
結果は、「全く儲からない」「損ばかりする」となる。
 
 
 
特に初心者で顕著な事例は、
 
セミナーでスーパートレーダーの話を聞いて、教えられたパターンを使って、すぐにでも大儲けできると思って、パターンを真似してすぐに売買を始める。
 
そして、ぼろ負けする。
 
結果、あのトレーダーの言ってたことは、ウソだった、となる。
 
彼は、次のカリスマを求めてまたセミナーを受ける。商材を買う。
 
これなら大丈夫だ、と思って、また「パターンのみ」に頼って売買を始めるが、再び「ぼろ負け」する。
 
これも駄目だった、あれも駄目だった、という惨敗続きの記録が残る。
 
彼らの理解では、パターンのみに意味があるのだから、当然に、「パターンがだめだったから負けたのだ」ということになる。
 
大多数は、この段階で「セミナー商材代金+相場の損失」によって退場となり、二度と相場で儲けよう、などという甘い夢を追いかけることなく、堅実な人生を歩む。
 
 
彼らには、まるで見えていないのである。
 
何故、スーパートレーダーが勝っているのか、という本質が。
 
パターンのみにこだわって、その大切な部分を全てスルーパスしているのだから、当然の帰結であろう。
 
セミナーでも、大切な部分ほど聞いていない、聞こえないのが、初心者の罫線屋の耳である。
 
 
そして、この退場までの道のりこそが、初心者の「黄金パターン」である(笑)
 
大多数の投資家の相場人生はこの段階で終わる。
 
ここで生き残れるのは、シャケの稚魚が、再び産卵のために故郷の川に戻れる確率程度なのであろう。
 
大自然の掟のごとく相場の掟もまた厳しい。
 
 
 
とにかく、チャートの見方、読み方のみに執着し、パターン発見に血道をあげている罫線屋はかなりの数になる。
 
 
古くは、一目均衡表や柴田罫線などから、巻物のような必勝法などまで、罫線秘法なるものは、山のようにある。

しかし、それで財産を築いた、という話はほとんど聞かない。
 
一目均衡表や柴田罫線の本は、私の手元にあるが、特に柴田本などは、もう執念というしか無いほどの研究内容である。
この本を読んだだけで、この人はどれほどの時間と労力をこの罫線の完成に費やしたのであろうか、という超大作である。
 
罫線屋の執念、いや、怨念とも言うべきこの作品は、その血の滲むような努力を感じるという意味では非常に価値があるものだと私は思う。
 
相場必勝の秘訣、永久不変の奥義
天底と転換罫線型網羅大辞典第一巻
棒足順張之巻
柴田秋豊 著
全500ページ
 
相場で当たるパターンを見つけるということに対する柴田氏の怨念とも言うべき作品である。
書いていることは、徹底した当て屋目線であり罫線屋目線の内容である。
(ただし、他の会派の目線で見ると、結構有益な内容であったりする。歴史に埋もれさせるにはもったいない。)
(要は道具としての使いようなのである。) 
 
このように、この会派所属の人たちには、ある種、相場を当ててやる、必勝のチャートパターンを見つけてやる、という怨念にも似た情熱を持って、相場を日夜分析している人たちも多い。
 
彼らは、いつしか、相場で儲けることよりも、相場を当てるパターンを見つけることを目的としてしまっている、ようである。
 
何故なら、
 
相場で儲けること = 相場を当てるパターンを見つけること
 
という
 
罫線屋方程式
 
が完全に彼らの頭の中では成立してしまっているからであろう。
 
 
さて、他の会派の人たちはこの会派の人をどのように見ているのであろうか。
 
「気の毒だよね。あの情熱をちょっと別の方向へ向ければ、儲ける、というところへズレていくのに・・・」
 
「遮眼帯を付けた馬のようなものなんだよね。彼らには、相場とは、チャートを使って当てること、ということにしか見えていないんだ。」
 
「当てさえすれば、とか、当たれば、とか言ってるけど、その当てることが本当に可能なのかどうか、彼らは疑問に思ったこともないんじゃないかと思う。気の毒なことだよね。」
 
「俺も昔は、罫線屋だったからわかるんだ。彼らにはチャートしか見えていない。でもな、チャートって過去の単なる足取りでしかない、ということなんだよな。」
 
「チャートは悪くないんだ。ただ、チャートだけ、という意識が問題なんだよな。」
 
「俺は、罫線屋方程式が成立しない、と理解したところからやっと入り口に立てたんだ。長かったな。」
 
 
他の会派の多くの人たちも、幼少時代の一時期をこの罫線屋で育った経験を持っている人たちは多い。
 
投資家の成長過程の一時期には必ずといっていいぐらいに、チャートに夢を託すものである。
 
しかし、その夢のほとんどは夢で終わる。
 
そして、そこから抜け出せたものは、極少数に留まる。
 
多くは、この段階で投資家人生を終了する。
 
全ては、考え方の相違である。

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茨の道 その22

続きです。

⑤投機屋
 
手法や戦略をベースとするのではなく、トレードとは勝負事だと考え、勝負の腕、センスを磨くことを旨とする会派である。
 
別名、勝負屋、勝負師、投機家、とも言う。
当然、これも絶滅危惧種である。
 
相場師と言われる人たちの多くがここに所属する。
 
トレードとは、理屈で理解することではなく、所詮は勝負事、投機なのだ、という理解がこの会派の根本である。
 
そして、彼らは、相場を理解しようとするのではなく、勝負に挑む自分との戦いに全力を尽くす。
 
多くの会派が、相場を理解しようとするのに対して、この投機屋は、自分を理解することを第一とする。
 
投機の要諦を理解しようとしているのである。
 
多くの会派が、相場を理解しようとして、チャート、戦略、統計にこだわるのに対して、
 
投機屋がこだわるのは、
 
相場の分析ではなく、勝負の要諦にある
 
相手を理解することではなく、自分との戦いをベースに相場を理解しようとしている。
 

「乗せ」が得意な投機屋が多いのは、勝負のやり方がそこに含まれているからであろう。
 
「乗せ」という手法は、時間によるリスク分散の側面がある一方で、「利乗せ」と言われるように、利益を担保として、さらにリスクを拡大させる、という利用方法もある。
 
投機屋の多くが好むのは、この「利乗せ」をして、巨額のリスクを取ることにある。
商品相場の相場師の多くが、この利乗せによって、巨額の利益を手にしていることが知られている。
彼らは、この利乗せを「布陣」と読んで、合戦模様のように相場を張っているのである。
 
過去の商品相場の仕手戦においては、売り方相場師 対 買い方相場師の熾烈な戦いが限りなく繰り広げられていたのである。
 
両者の戦力の読み、布陣、局地戦、場外戦、現物爆弾、など、熾烈な戦いを制した相場師と、負けた相場師、との一騎打ちの多くが、今でも語り草となっている。
余談だが、書籍「赤いダイヤ」は、この小豆市場の仕手戦を描いたものとして有名である。
 
  
投機屋と分割屋の違いは、分割屋が分割こそが技術なのだ、これこそが相場の本質、答えなのだ、と主張するのに対して、投機屋は、分割を手段、道具のの一つと考えている、ことにある。
 
投機屋は、あくまでも、勝負の要諦、にこだわっているのである。
 
 
彼らは、「勝負」「投機」「職人さん」「相場の腕」「技術」「技」などの言葉に敏感に反応するので、分類は容易である。
 
彼らの使っている道具は、ローソク足一本であったり、せいぜい移動平均とか、ボリンジャー程度の直接法を好む。
RSI、RCIなどのオシレーター類の間接法は彼らの嗜好ではないようである。
 
彼らの主張は、「所詮は相場は上か下かというシンプルなものなのだから、複雑にする必用はない。」ということらしい。
 
彼らの信条は、シンプルな素材をシンプルな道具を使って調理する、というところにある。
 
これは、日本料理の造りのようなものであろう。素材の良さを活かすことを最善としている。
 
素材の吟味にこだわるあたりは、環境屋ともだぶるものがある。

 
投機屋は、相場を投資とは考えず、あくまで投機だと考えている。
というよりも、勝負事だと考えている。
 
これは、相場を取ることは相場を予測することではなく、勝負事の要領、投機の原理原則をマスターすることだ、と理解しているのである。
 
理論派は、理屈で相場を理解しようとするが、投機屋は、繰り返しの経験による投機の原則なるものを駆使して儲けようとする。
 
 
だから、彼らは、投機家、と呼ばれることを良しとしている。
 
投機屋が主張する勝負の要諦とは何なのか、これが謎なのだが、ヒントはある。
 
投機屋の一人に話を聞いてみよう。
 
「そもそも相場ってのは、勝負事なんだよ。勝負ってのは、何だ。
勝負に勝つとは、どういうことなんだ。
そこを俺たちはとことん追求しようとしているのさ。」
 
それは何なんでしょう。
 
「それはな、そもそも勝負すべき天の時を待つ、ということでもあるんだ。
しかし、多くの投資家は、そういうここぞというときにも勝負にビビって動きが鈍いんだ。
俺たちは、そんな時に、全力勝負を賭ける。
リスクは厭わないんだ。
なぜなら、
 
勝負すべき時に勝負しなかったら、いつ相場から取るのか
 
ということをいつも考えているからなんだ。
 
普通の奴らが、ビビって勝負できない時に、俺たちは全力で賭ける。
 
相場とは勝負事なんだ。」

あなたの言っていることは、ただの博打なんですか。
 
「違うな。滅多矢鱈に勝負するのは、ただの阿呆だ。
 
さっきも言ったように、勝負すべき時を俺たちは待っているんだ。

それは何か、というと、経験から来るチャンス、ここが勝負時だ、という時期を待つ、ということが大事なんだ。

そういう意味では、俺は、統計屋なのかもしれないな。

しかし、統計屋と違うのは、そこが勝負の場だと感じたら、全力で勝負する、ってことなのさ。
 
2年間負け続けて、その後のたった1回の勝負で資金を爆発的に増やした仲間もいたな。
そういうことだ。
 
ド素人が、2年間勝ち続けて、その後のたった1回のトレードで全財産を失うのとの真反対ってことさ。」
 
 
 
手法屋が「いい道具探し」「特別な道具に頼ろう」ということで、道具に儲けさせてもらおう
 
としているのに対して、
 
投機屋は「無骨なありきたりの道具を利用し」、そのありきたりな道具を使いこなすことで利益を得ようとする。
 
 
統計屋が「過去の確率と期待値」で儲けようとするのに対して、
 
投機屋は、勝負のメリハリ、いざ鎌倉で、儲けようとする。
 
 
投機屋の中には、リスクを恐れない一派も多い。というより、むしろ巨額のリスクを取ることを快感とする猛者も多い。
 
彼らの中から、相場師と呼ばれる「巨額のリスクを厭わない猛者」が誕生する。
 
一夜大名、一夜乞食を往復しているのも彼らである。
 
投機屋は、リスクを取ることを良しとしている者も多く、それがまた彼らの欠点ともなっている。
 
稼ぐこと、稼ぎ切ることについては、彼らの右に出るものはいないのだが、その稼いだ金を守ることを知らない投機屋も多い。
 
ネットバブルで彗星のように現れたカリスマたちも、相場の怖さを知らないが故の投機屋であったのかもしれない。
 
 
逆に、投機の要諦として、リスク感覚をきちんと持って、投機家を目指す投機屋がいるのも事実である。
 
投機屋には、相場の怖さを知らないが故に、投機屋となって、巨額の利益を手にする若者も多い。
一方で、多くの挫折を経て、相場の怖さを知った上で、熟練の投機屋として成功している者もいる。
また、相場師となって、巨額のリスクを取ることそのものに生き甲斐を感じる者もいる。
 
一概に投機屋といっても、様々な勝負師の生き様があるのである。
 
 
繰り返しになるが、他の会派が、相場との戦い、他者との戦いに重点を置いているのに対して、投機屋は、自分との戦いを旨としている。
 

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