|
――初めての方は、その1からお読みください――
《女の価値》
二人が幸せな逢瀬を楽しんでから、時は飛ぶように過ぎました。
あれ以来お高は弥七を訪ねては来ません。
そして、今日は高師直の愛妾・お蘭の方が、弥七の働く植木屋へやってくるのです。
もし、扱う植木がお蘭の方のお気に入り、ご購入の運びになれば・・・弥七は師直邸へ潜入するきっかけを得ることができます。
大きなチャンスに勢い込む弥七。
そして、豪華なお駕籠で乗り付けてきたお蘭の方を一目見た弥七は驚愕します。
なんと、それは心を通わせ将来を誓ったお高その人ではありませんか!
女の心変わりを知った弥七は、大切な場を忘れて怒る・・・というか、拗ねるんですね。もう拗ねて拗ねて拗ねまくります。
傷ついた少年のごとくぷんぷん拗ねる!・・・怒ってるんだけど・・・なんか可愛い、可愛いよ梅玉丈・・・(*^m^*)
お蘭の方(=お高)は家来の手前、弥七と私的な会話はできません。
無礼を極める弥七を鷹揚に許し、どうにかこうにか場を繕います。
そして、家来衆を上手く言いくるめ、弥七と二人になるチャンスを得たのです。
二人になったお蘭の方(=お高)は、家来の手前装っていた高慢な態度をかなぐり捨て、久しぶりに会えた愛しい夫に取りすがります。
けれど、弥七はそんなお蘭の方をすげなくあしらい、ぷりぷり怒りながら心変わりを詰るのです。
弥七の怒りに、お蘭の方は取り付くしまもありません。
(待って弥七さん、怒りを静めて。聞いて下さい、伝えたいことがあるのです・・・)
そんなことをしているうち家来衆が立ち戻り、言いたい事も言い合えぬうちに、せっかくのチャンスは終わってしまいました。
お蘭の方と弥七は、またも師直の家来衆に囲まれてしまいました。
(けれど、私は弥七さんに伝えたいことがある。伝えねばならぬことがある)
お蘭の方は知恵を巡らせ、奥庭で菊を見たい、弥七も供せよと命じます。
憮然とした表情のまま、しぶしぶ付き従う弥七。
今が盛りと咲き誇る美しい菊畑の中で、お蘭の方はある物語をはじめます。
胸に願いを秘めた夫の為、身を捨ててその願いを遂げさせようとする妻の物語―――
お蘭の方は弥七に語りかけます。けれど、周りには師直の家来の目。
(気付いて、弥七さん)
お蘭の方の口調に熱がこもります。けれど、家来の不審が彼女を押し止めます。
(この物語は私とあなた、どうか、気付いて)
突然はじまった物語にも、反発心から耳を傾けることすらしなかった弥七。けれど、お蘭の方の場違いな必死さに気付きはじめます。
(もしや、これは・・・)
はっと気付き、お蘭の方の目を見返した弥七。その目に、お蘭の方は微笑みかけるのです。
そして―――
お蘭の方が植木屋を立ち去る刻限が迫りました。従う弥七に、本日の礼と称して手渡されたのは書面を包んだ袱紗包み。
はっと気付き、中を改めた弥七は驚愕します。
それはなんと、高師直邸の絵図面であったのです!
我を忘れ、お蘭の方に声をかけようとする弥七を押し止め、駕籠に乗り込んだその手には抜き身の懐剣が・・・
一瞬、二人の視線は交錯したでしょうか。
思いを断ち切るように、お蘭の方は駕籠の扉を立てました。
持ち上げられた駕籠の隙間から、真っ赤な鮮血が溢れ出していきます。
尽きることなく溢れ出す血潮が、動くこともままならない弥七の目の前で、ぼたぼたと地面を濡らしてくのでした。
弥七は初めて知ったのでしょう。命掛けという言葉の、本当の意味を。
弥七その人こそ、死をも恐れず忠義を貫こうとする義士です。覚悟を決めた彼は、自分の命を担保にすることならいくらでもできたのだろうと思うのです。
忠義や正義や、怒りに塗り固められた弥七の「命」は、彼の中では血潮の温かさを持っていなかったのではないでしょうか。
主君に捧げる供物のようなものだったのではないでしょうか。
けれど、お高の命は「人の命」でした。抱き合った弥七にはそれがよくわかったはずです。
それを、弥七はお高から捧げられたのです。
それがどれほど大きなことか!
弥七にとって女とは、現実を忘れ、ひと時の安らぎを与えてくれる存在に過ぎなかったのではないでしょうか。
それも、女の持っている、女にしか与えられていない大きな意味です。
弥七の心にはどこか女を軽く見る心があったように思います。
愛する心に偽りはなかったでしょう、けれど、それはどこか玩具に対する、ペットに対するような優越感が見え隠れしていたような気がするのです。
けれど、お高が弥七にくれたものはそれだけではなかった。
お高は人間として、弥七と同じ高さで手を握ってくれた。命を同じ危険に晒しながら、ともに生きてくれたのだと。
お高の死は、師直へ二つ分の命で立ち向かう覚悟を与えたのではないでしょうか。
|