ピアノ教師が失踪、阿部定事件?まさか・・・
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てんやわんやである。大阪からUターン実家に帰ってきた幼なじみのNが習っていた、あの評判の良いK先生が突然消えたというのだ。数十人の生徒をほっぽり出して、水商売の男を追ってH市に行ったらしい。その事はあっという間に保護者や周囲に知れ渡った。当時39歳で独身のKは、実家で母親と二人暮らし、そこで教室を開いていたものだから、母親が電話によるお詫び行脚をしたらしい。消えたといっても、所在先等はわかっているので、蒸発というのではない。その話を聞いてちょっと感激してしまった。 わが子を託していた母親の云う、Kが無責任というのはその通り。ただ、自分の子を人任せにしない者としては、そういうこともアリと別に驚かない。会社を急に辞めたって無責任といわれればそうだ。人は誰にも迷惑をかけないで生きていけるわけじゃない。ま〜、K先生が教室を辞めることを事前に保護者に通告すればよかったとは思うが、情熱的なKは、男が町を離れたことで心が炎上したのだろう。辛抱できなかった(?)というべきか。 マイホームパパは会社にとって良き社員?頻繁に飲みに来る客は、飲み屋のママにとっては良い人だけど、妻にとっては悪い夫となる。軽度の交通違反を見逃さない警官、職務熱心で表彰回数も多いだろが、捕まった者にすれば良き警官ではない。多くの事は、こちらで良ければあちらで悪いという風だ。善悪、上下、左右、大小などは、かくの如く相対的に存在する。 悪がなければ善は普通のこと、ブスがいるから美人と云われる。デブがいるから細身が目立つ。貧乳があるから巨乳が喜ばれる。だから、美人はブスに感謝すべきである。大も小の恩恵を受けている。だから賢い人間はバカを見下してはイカン。勝者はおごらず敗者を労わるべきなのだ。くどいようだが、バカがいなきゃ、賢い人間など存在しないのだ。全ての競技もそう、ピアノもそう、下手がいるからこそ上手と云われる。だから、下手をバカにするなど、とんでもないこと。 何もかも捨て男を追ったKは、その男からみれば愛しきいい女に違いない。「私、あなたがいれば何もいらない。何でも捨てられる…」という気持ちも情熱的だ。色んなしがらみの中で何よりも愛を優先させられるか?中々できるものではない。自分に正直に生きれば、周囲に迷惑がかかるのは必然。相手に迷惑をかけている点では、自分に正直に何事もズバズバ云う人間とて同じである。 幼なじみのNにはその様に云っておいた。もちろん、Nは納得するはずもない。たかだかの金銭で子どもを人に任せ、責任まで負わそうとするNに全く責任がないといえるのか?全て他人が悪いというのは都合のいい感情論。殺人犯に対しても司法は情状の酌量を下すもの。Nのように、ただ無責任だと吠えまくる人間の身勝手さにはしらけてしまう。 人間は弱いものだ、だから面白いところがある。数人でトランプの七並べをやってみるといい。札が配られた時に、「こんなのヒドイよ」とか、「これはダメだ」とかいちいち云う人間がいる。作為のないゲームで、そんなことを云っても仕方がないと思うのだが、負けた時の言い訳を事前に云っているのだ。麻雀でもそうだ。配牌の時に同じことをいう奴がいる。また逆に、いい時に悪いように云う奴もいればいい時には正直に「こりゃ、いいわ」と云う者、人間色々いて面白い。 柔道や剣道、相撲などの日本古来の武道は試合終了後、勝者は喜びを出すことなく互いに一礼して分かれる。将棋の投了直後は、勝者の方が負けたような顔をみせる。そのように勝者の眼前に敗者がいるような武道や試合で、勝者が敗者を労わるのは、「勝って奢らず」を旨とする日本的美意識だろう。 K先生の突然の廃業は、ジョルジュ=サンドとショパンのような熱きものと考えればいい。世は男と女の世界、色恋沙汰は物差しで測れないし、善悪道徳に拘束されない純粋なものである。家庭を築き、空気のような夫婦、恋愛を廃業してしまったものがでごちゃごちゃ云っている。鬼の首でもとったような云い方のN、別に人を殺して逃げたわけではないのだから、ま〜そこは寛大に、そっとしてあげましょう。 |




