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甲斐性ナシの呆れた顛末

 
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新しい年に移行し、まだ余韻冷めあらぬ1月10日に事件は起きた。東京・目黒の老夫婦殺傷事件の状況は、いろんな点でまるで映画やドラマのロケ現場のような様相だ。悲鳴を聞いた住人が殺人現場に飛び入り、凶器を持って被害者に馬乗りになる犯行者を、二人掛かりで引き離そうとしたという。男はびくともせず、「殺すぞ」と無表情のままつぶやいたそうだ。かつてこんなおぞましい光景があったろうか?
 
「事実は小説より奇なり」というが、殺人現場における主役・脇役入り乱れての情景は、まるで筋書きのあるドラマのワンシーンのよう。引き離そうと男に身体に触れた近所の男性会社員(38)はいう。 「低く、重い、冷静な声だった。2人がかりでも引き離すことができないほど強い力で、強い殺意を感じた」と話す。なんとか引き離したが、男はナイフを向けてにじり寄ってきた。

「自分がやられる」と判断した男性は、階段を駆け下りて110番通報。直後、ボストンバッグを抱えた男が目の前を通り過ぎた。取り乱す様子もなく、終始、無表情だった。上半分が赤茶の革で下が黒っぽい古めかしい大きめのボストンバッグ。男性は怖かったのか、機転が利かなかったのか、自分ならコッソリ後をつける。妻の大原さんは、「犯人のことは知らない。百貨店の名前を告げたのでドアを開けた」と話したがセーターには血が滲む。
 
 
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イメージ 9事件の発生は午後4時40分ころだが、白昼の惨劇といっていいのではないか。それほどに辺りは薄暗くなる前の時間帯である。事件発生から一ヶ月後の2月10日、警察は一人の男をを逮捕した。福島県いわき市在で65歳の木村義昭容疑者は、大原さんとは何の接点もない押し込み強盗であるという。木村の供述によると、東京に行けば、田園調布に行けば、金持ちが住み、そいつらを襲えば金は取れると、こんな短絡的犯罪が増えると社会はパニックになる。で、結局田園調布には行き方が分からいと、信じられん田舎もんだ。お目当ての場所くらいちゃんと調べろよ。
 
警察で聞けないのは理解するが、首尾よく田園調布に行っていれば大原さんは凄惨にあわなかったが、新たな被害者が生まれたかも知れない。セキュリティー完備の富豪宅には防犯カメラもあるし、であるなら「三越です」といっても無理だが、お手伝いさんが応対に出る可能性もある。富豪の邸宅にやすやす入る事は難しいが、木村に見定められた目黒の大原夫妻は気の毒でしかない。
 
木村容疑者の近所の主婦(55)は話す。「まじめそうな人だった。信じられない。びっくりです。仕事はよく分からないけど、畑仕事はしていたようだ。町内の清掃活動にも参加していた。奥さんと娘さんの3人で暮らしていた」木村の周辺は逮捕の知らせに驚いた様子だ。本人の口からあらかた動機が分かってきた。
 
どうやら韓国国内に内縁の妻子がいて、日本との二重生活が困窮の背景にあったようだ。木村は知人からも数百万の借金を重ねており、にも関わらずわざわざ東京まで出稼ぎ物取りに来たというが、騒がれたら逃げるのが強盗の本分だし、人の命が目的ではない。しかし、「助けが来て金を奪えず」と思いが腹いせにか大原さんを執拗に刺している。
 
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本人も想定外のパニックだろうが、予測不能の事態にあった木村は、「温厚で真面目そう」とはならない。何事もない日常にあって、普段は普通の顔で生活していたに過ぎない。賭け事をすると相手の裏の性格も見えるし、酒を飲むと人はトラになるし、女をあてがうとスケベになり、車のアクセル踏むと取り付かれた様に豹変する。いろいろ見聞きしたが、いずれも同じ人間であり、それだけ複雑多岐ということだ。
 
絶世の美女が淫乱であっても、「淫乱美女」というのは先に顔を見たからいえる事。まあ仕方がない。やった後で初めて顔を見る事などあり得ない。頬かむりさせてやるなら可能だがそれは何のために?近所住人のいう性格のイメージなども社会の一員としての顔。いいんじゃないですか、所変われば品変わるで。床が変わっても自分の品は変わらぬが、気持ちが変わる。だから不倫天国なのだよ。
 
韓国と日本の二重生活、おまけにいずれの娘も入院加療となると、65歳のおっさんも金策に苦慮するだろう。責任感の強い男なら盗人してでも何とかしようとする。韓国に囲っている妻子に、「わっしゃ知〜らん!」ともいえないし、だから追い詰められた上での犯行だ。性格が真面目も糞もない。真面目であっても金は入っては来ない。となれば、「一丁やるか!」これも突きつめれば真面目だからだろう。
 
木村のような窮地にあって最上の解決法って何だ?こういう場合の最上の解決法とは金を必要とする。だから、金を手に入れることが最上の解決法だし、金を必要としない解決法は、「わっしゃ知〜らん!」しかあるまい。なんだかね、羽振りのいい時に妾を囲い、収入が途絶えて怒り心頭の妾が本妻宅にまで押しかけ、「これはあんたの子どもだからね、置いていくよ!」という話がある。
 
イメージ 1映画にもなった松本清張の『鬼畜』を彷彿させられる。本妻宅に押しかけ、子どもを置いていく妾も中々気丈だが、自分と妾の3人の子を順じ殺すという話。「別冊文藝春秋」に掲載された1957年といえば、終戦から12年目、世は経済復興の時代。家族という団欒の中に、「今日はメザシ、明日は少し贅沢してサンマを食べよう」という暖かな共同体としての家族。そこに本主人公のような親を、『鬼畜』と形容しても世間の違和感はなかったろう。
 
昨今、親が子を殺して何が鬼畜か?鬼畜性はあっても、個の尊重に理解を示す多様な価値観の只中に我々は生息する。マンションに幼児を置き去りにした若い母親にも理解を示す者はいるだろう。"言語道断の鬼・畜生"と断罪される時代ではなくなっている。善悪・道徳は時代の変遷だ。鬼畜の犯行もどき事件に遭遇した時に、「時代の変遷」という解釈で同時代を眺めるのが正しい認識かも知れない。
 
過去、法廷で争われた幾多の猥褻裁判。永井荷風の『四畳半襖の下張り』、『チャタレー夫人の恋人』、『悪徳の栄え』など。フィルムにボカシをいれたり、傷をつけたりで陰毛を隠す時代。陰毛のどこが猥褻?という考えは到底受け入れられなかった。加納典明も、篠山紀信も猥褻か、芸術かで幾度も法廷に立った。そもそも当たり前に存在する陰毛が猥褻である理由は何?「陰毛は性器なのか?」
 
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そういった喧々諤々の議論が懐かしい。「イタズラに性欲を刺激する陰毛は猥褻だ!」との定義は、陰毛の露出を認めない時代にいわれたこと。陰毛解禁になり、ただの「毛」といわれる時代にあっては、陰毛がイタズラに性欲を煽った時代が懐かしい。友人と雑誌のグラビアを見ながら、「ここに見えるこのうっすらとしたの陰毛じゃないか?」、「ホントだ!これは間違いない」、「だろー?」
 
思春期時代のこういう会話が嘘のようだ。未来を予見し、社会に迎合するなら昔を基準に思考してはならないし、柔軟な発想をするしかない。「今新しいものはやがて古くなる」という歌詞そのものだ。柔軟というのは物分りがいいというのではない。柔軟というのは、自分の生きた時代を捨てることだ。なぜ捨てる?捨てることで分かることもある。捨てることでしか見えてこないものが多いからだ。
 
もちろん捨てないものもある、捨てきれないもの、捨ててたまるかというものもある。それは嗜好品に多い。女はこうあるべき?これは捨てられない。捨てない以上は自分に合致した相手を探せばいいことだ。世の中寝ゲロ吐くだけの女ばかりだけじゃなく、気立ての優しい女も多い。教育感?これも変えられない。教育は学力を作るものではなく、人間性を大切にする視点にたてば気後れすることもない。
 
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変わるもの、変えるべきもの、変わらぬもの、変えるべきでないもの。そういう取捨選択の中で自身を見失わずに生きていけばいい。専制政治体制ではないんだし、何をいっても何をやってもいいわけだ。他人の口に戸板を建てることはできないが、自分の耳に栓をするのは可能だ。何かをやろうとするものがあるなら、他人の言葉に反応し、動じていては自分のやりたいことなどできるはずがない。韓国に妾を囲うのも甲斐性あればやったらいい。
 
甲斐性というのは言い換えれば責任だ。食わして養っていく責任を果たせるなら何人妾を囲ってもよろしい。食わせられないなら盗賊と化するのも責任感の表れだ。家族を養うためにパンを盗むという行為、実は道徳上の罪には当たらない。しかし、社会形態で定められた法律では、「窃盗罪」となる。なぜ道徳上の罪に値しないか、それはパン屋のパンへの所有権より、生存権の方が勝るからだ。
 
イメージ 5しかし、盗みに入られた側にも当然ながら生存権があり、それを侵害するのは許されない。銀行やコンビニに強盗が入り、銃を突きつけて「金を出せ!」と、従業員が金を全部渡しても責められるいわれはない。目黒の老夫婦宅に押し込み強盗をした木村容疑者は、道徳的に間違いではないが、社会規約(法)を破っているからその罪は問われる。相手を刺殺したのは何をおいても許されざる蛮行である。一軒づつ頭下げて物乞いし、数軒歩けば日銭2〜3万は稼げたかもしれないのだから。
 
人様に頭を下げ、物乞うのは立派な食う手段。その才能がなくば、見つからないことを前提に押し入って金品を盗むのも方法だ。空き巣というのは、人のいない時間や寝込みに押し入るのであって、人の命が目的ではない。木村君、そういう方法もあったと思うけどな。二つの家族を養うんだし、何はさて捕まることだけは避けねばならん。ハーバード教室のやりとりに、こういうのがあった。
 
(教授)なぜ、家族を養うためでもパンを盗んではいけないのか。
(ジョン)良い結果がもたらされるからといって、その行為が正当化されるとは限らないからです。
(ジュリア)このパン泥棒は自分を救うために行動しています。自己所有の考え方からいえば、人は自分で自分を守る権利があるあるはずです。だから、リバタリアニズム的な論点からも許されると思います。
 
イメージ 8リバタリアニズムは一種の個人主義ゆえ、正義は社会ではなく個人の中に存在する。パンを盗まれた側が「ドロボー!」といって怒るのも正当なら、盗んだ側が「自己保全のための緊急手段」と主張するのも正当である。私有財産を守る正義、自己保全の正義、泥棒はどんな理由があれ泥棒だが、生命の危機が存在する場合、盗む側にも、自己所有の原則から導かれる別の正義が認められるのだ。図体のでかい木村容疑者の知恵浅き愚行のため、二つの家族が路頭に迷うことになった。もちろん、それぞれの家族に罪はない。木村容疑者を断罪するのは容易であるけれども、現実問題として彼の二つの家族、難病療養中の娘がいたわしい。なくなった大原さんには不運だというしかない。結果的にであるが・・・
 
いずれにしてもこの男を捕まえた日本の警察はさすがと見直した。市街のあちこちに備え付けられた防犯カメラが一役買ったようだが、それにしても腑に落ちないのは、犯人を取り押さえようとした男性会社員だ。捕まえる義務は無いにしても、犯人を尾行しマークして欲しかった。だって人殺し犯だろ?携帯もって尾行すれば、警察と綿密に連絡を取り合えばすぐに検挙されたはず。そこがワカラン・・・
 
失態とまでは言わんし、現場に駆けつけて犯人と組み合った事は評価はする。しかし、二人もいたんだろ?二人係で犯人に対峙したんだし、ならば何でミスミス逃がすのかね〜?おそらく後になって、そうするべきだと思ったと思うが、気が廻らなかったということだな。どっちにしてもよくぞご苦労様でした。

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