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「私のような女…」の社会学的考察

 
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「私のような女はあなたの望む相手ではありません」

こういう言葉をどれだけ聞かされたろうか。一種の自己卑下といえばそうだが、度々いうように自己卑下の裏には高邁な自尊心が隠されていることもある。この言葉を口にする女(女に限らずだが)は、人によってだいたい3つの意味が内在してる。と、自分は解釈する。①あなたは私のタイプではない。②自己卑下をすることで謙虚さを見せつけたい。③本当に自分に自信が持てない人間である。
 
この3種類だが、言い方とか言葉のトーン、大まかな性格分析からどれを主体に言っているかは大体わかる。だからこちらの態度としては、①や②の場合は反応しないでおく。「あっ、そう」みたいに軽くいなす。無理に気に入ってもらわなくて結構と思うし、②の場合、相手は謙虚の素振りをしてるだけだから、「自分だって大層な人間じゃないし、そんな言い方しなくていいよ」といっても何の意味もない。
 
③の女性は劣等感に蹂躙されているし、謙虚というより性格の気弱さがそういう言葉をいわせるし、彼女からみた自分は彼女にとって恐れ多いみたいな気持ちを抱いてるようだから、こういう場合に限り優しくいたわるようにする。つまり③に限ってのみ「私のような女」は本心である。それ以外に「私のような女」を口にする人間は信用できない。それは男にもいえる。こういう言い方で相手を油断させる手法もあるからだ。
 
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それ以外の考え方として、「私のような女」という言葉によって、自身の一切の怠情について免罪符を得ようとする性向もあるから、こういう点はずるいやり方に思える。本気でそう思ってる人間は、そんな言葉を過度に吐いたりはしない。同級生の男でこれ専門にしてる奴がいた。もう彼のパターンは自己卑下の素振りで相手の反応を見ながら、どんどんと言葉を強め、最後には自慢話に終始する。
 
そういうのが判るとこちらとてまともに口を利く気がしなくなる。角を隠して謙虚さを装う男などたかが知れたものだし、ハナから人を欺くという点で女なら性悪と思って間違いない。真の謙虚さとはそんな見え透いたものではないし、あまり謙虚なことはいわないものだと思う。何故なら、本当に謙虚であることはどれほど大変なことかを知っているからだ。だからそうした言葉を軽々しくは吐けない。
 
他人に人の内などそうそう判るはずもなく、なのに「私のような女」という内面を吐き出すことは辛いはず。例えていうなら身体的ハンディを背負った女性を妻に娶った夫がいるとする。そういう夫に、「私のような女」を見初めてくれて、という感謝はあるだろうが、それを口に出して相手の何が満たされるのか?いう側にある種の自己満足感はあったとしても、口先だけの自己満足感に浸るより感謝は行為で示せばいい。
 
だから、「『私のような女』と結婚してくれて感謝してる」と他人にいえても、夫にはいわないものだと思うし、いう程に何の意味もない。夫は別に感謝をされたいがために娶ったわけではないのだし。ところが偽物の謙虚さを装った女はいるし、それはおいおいに判る。圧巻は手の平を返したような物言いをする女は、いい女ぶったエセ謙虚女。本心を晒せば相手に暴言などお構いナシ。
 
イメージ 4少し風化した感のある「光市母子殺人事件」である。本村洋の名も今は記憶の外だが、最高裁からの差し戻し審〜差し戻し上告審を経て、本年2月20日の判決を待つ。なぜ今この話題をというと、裁判の過程の中、被告人尋問で「ぼくをなめないでいただきたい」の言葉を被告が吐いた。こういう言葉を目下が目上に、下位者が上位者にいう場合は、自分が余程完全性である必要がある。
 
数年前に年の差30歳もある若造に同じ事をいわれたことがあった。その時に、「こいつは光母子事件の『なめないでいただきたい』に感化されたのでは?」との印象を持ち、その言葉の愚劣さをとっちめてやったことがある。「年少者が年配者に舐めないでくれるか、みたいな言い方をすること自体が相手を舐めてるんじゃないか?相手を舐めた奴が舐めないでくれとはどういうことだ!」と若造にいう。
 
「別に舐めてませんよ」といったが、「相手を舐めてないなら『舐めないでくれ』みたいな舐めた言い方は止めろ」というと、「だって舐めているじゃないですか」という。「お前はオレを舐めてないと否定した。だったらオレも舐めてないと否定する、いいな?お前だけが勝手に決め付けるのは止めろよ」と、論理で畳み掛けると、「判りました、もう意味が判らないからいいです」と逃げる。逃げるというより頭がついてこないのだ。
 
イメージ 5上が下に「舐めるな」というのはさらにダメだ。喧嘩の常套句だし、喧嘩をする気でいうならいいが、こういう恫喝は単細胞の抜け殻言葉。人に舐めるなよとの言い方は相手を舐めた言い方に決まっている。話を戻すが、「私はあなたのような素晴らしい男性と付き合う資格がない」みたいな言い方を本音でいう純真女性はいないわけじゃない。が、これを嫌味でいう女はたちが悪い。そこを見極めないと、こんな言い方を評価だと信じて優越感に浸るマヌケ男に成り下がる。他人からの評価というものはあってもいいが、ほどほどの評価でない限りは虚言と思うべしだ。外国映画で男が絶世の美女に、「君のような美しい女性と付き合う資格はない」とは絶対にいわないのが外人で、「君のような美しい女性と是非ベッドを共にしたい」というだろう。
 
謙るのが美徳の日本人の発想だろうが、「絶世の美女と付き合う資格はない」といって、「あっ、そう。なら止めたら」といわれてどうするというのか?日本人が日本人にこういう言い方をするのは、決して「あっ、そう。なら止めたら」ではなく、「いえいえ、私なんかそんなに美人ではありません。もっともっと美しい人は沢山います」といわれるのを見越した言い方であって、それが日本的な「謙譲の美学」という文化。
 
まどろっこしいし、本音の世界でのやり取りでない。言葉は嘘ではなく、真実を伝えるために存在すべきである。本当の謙虚さというのは、真実の言葉の吐露の中から見出すべきもので、嘘偽りの中から真実の謙虚さを洞察するのは人生経験がいるし、だから誤解が誤解を生み、人と人のトラブルの原因となる。本当のことをいってトラブルのが日本人なら、諸外国では嘘偽りがトラブルの元凶だろう。
 
イメージ 1節度という範疇はあるが、本当のことをいって立腹されるなら仕方あるまい。そういえば光市母子殺人事件絡みであの橋下徹弁護士(現大阪市長)が、「弁護団を許せないと思うなら、弁護士会に懲戒請求かけて欲しい」といったことが問題になり、弁護団から告訴されたが、この時に弁護団22人への懲戒請求は全国で7000件にのぼった。その後橋下vs弁護団の場の内外バトルに発展する。

橋下だけの発言をあげれば、「チンカス弁護士」、「オタク法律家」、「法律オタクのお坊ちゃん弁護士」と語気が荒い。「7,000通も懲戒請求が出ているのに何にも意味が無いんだ」と懲戒請求制度及び弁護士会の態度に不満も洩らした。この中で横浜弁護士会が懲戒請求者に対して住民票の提出を要求したことに対し橋下は、「横浜弁護士会のインチキ野郎」と激しく非難した。

また市民約350人が「刑事弁護の正当性をおとしめたことは、弁護士の品位を失うべき非行」として、大阪弁護士会に橋下に対する懲戒処分を請求した際、「弁護士会の品位の基準と僕の基準は違う」と一歩も引かない姿勢を通した。弁護士会の橋下への損害賠償請求訴訟は、1審、2審原告勝訴だが、最高裁では1審・2審判決を破棄、橋下勝訴で結審した。橋下は思うところを素直に正直にストレートにいう性向だ。
 
「『僕の発言は全部表現の自由だ』というつもりはないが、僕が逸脱しているのであれば、改めないといけない」と述べている。これが橋下発言の根幹だ。要約すると、"社会規範の中で何をいっても許されるとは思わないが、個々の規範意識の是非は誰が決めるのか?"ということになる。自己と他者の規範意識の差から、ぶつかり合いは当然という姿勢が彼にはあるし、そこを傲慢と非難されているようだ。
 
人間は社会の中で生息する以上、社会性を備えなければならない。だから意のまま、感情の赴くままには生きていけない、だから抑制する。自己抑制は社会人としての防御機能でもあるし、その抑制がきかない人間は社会生活の中で苦労をする。誰かや何かに絶えず嫉妬したり、情緒不安定になったりするのはそういう人間に多い。子どもの頃から甘えを戒められたり、我慢を強いられたりで情緒性は身につく。
 
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人間は我慢ナシでは生きてはいけないという事を親が真剣に考えたら幼少時にそういう教育をするだろう。欲しいものがあるのに得られないのは子どもも親も苦しい。すぐに買って与えるのではなくある程度我慢をさせるのが教育だ。問題を解決するということ、課題を成就させることは、自分の気持ちを抑えることであるのに、日本の母親ほど子どもへの感情をむき出し、肯定するバカはいないだろう。それが子どもに悪い結果となる事は多い。
 
そこを指摘し、注意するのが本来の父親の役割だが、それを抹殺する力関係が夫婦にあることが問題だ。妻が夫の静止を聞かず、自分勝手をすれば夫は我慢をしてみているしかない。教育とはなにか、子どものためとはなにか、そこを話し合わずして子育てが上手く行くはずがないし、結局上手く行かなかった時に、責任のなすり合いだ。夫が妻に、「だからあの時俺は反対しただろう」という場面を見たことがある。
 
後になって"それみたことか"という夫。妻の決定に逆らえなかった夫が後に鬼の首でも取ったような言い方は恥の上塗りだし、決定が妻の一方的な采配でなされたとしても、夫は己の弱さ、ヘタレぶりを差し押いて何をいう事があるのか。もっともこういう場合に最善なのは、妻が夫に独断と己の思慮のなさを詫びることしかないが、それをしない妻だから夫もいいたくなるのだろう。あげくバカげた責任のなすり合い。
 
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ダメ男がいるようにダメ女もいる。ダメな相手とは関わらないのが最善だが、偶然とはいえダメ女に出会うこともある。皮肉なのは、ダメであるかないかは関わりあってみて判る。自分ならさっさと手を切るし、それがダメ女に関わらない唯一の方法だ。立場を変えていえば、ダメ男にはさっさと縁を切るよう女性に勧めたい。向上心なく、欲丸出しで恥も知らない。こういう相手と一緒にいることが無意味である。
 
「縁」とはチョイスである。偶然の産物のようにいうが、人間はあらゆる場面、あらゆる機会で、チョイスをしている。しなければならない。だから良い相手はダメな相手を捨てることで得られるというチョイス。容姿端麗が恋人や結婚相手の選考基準の場合もあるが、容姿よければ他は我慢できるみたいな言い方をする男がいた。人のことだから構わないが、どんな我がまま女でも容姿よければ許せるなら結構なこと。
 
誰も好き好んで自分の気持ちを踏みにじる人間と付き合う者は普通はいない。結局そういうチョイスをできず、後になって「どうせオレは一人ぼっちだから」などというしかなく、その言葉はひねくれ者の戯言のように聞こえてしまう。所詮は他人事だからいいけれども、そういう我がまま女は、「私のような女」という言い方はしないようだ。炊事できません、繕いもできません。掃除も洗濯も嫌いです。それでも良いなら結婚を受けます。

「それでもいいです」という男に嫁いで果たして女は幸せか?果たして娶った男は幸せなのか?さまざまな事例があるから一概に善悪はいえまい。が、足りないものを知り、足りないものを埋めようという向上心なくして、"善き自分を目指す"という人間の「生」の目的は見えてこない。他人事とはいえ、他人のことを考えるのも社会学である。社会は広いし、社会は雑多であるように、人間も数多く、人間も雑多である。
 

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