桶屋のブログ
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「hanshirouブログって面白いね。最初に宮沢りえ離婚の話題で始まったのに、フランスの大統領から、ルソーになって、フランス革命に行ったかと思えば民主党の話に変わり、小沢一郎で終わる。何で宮沢が小沢で終わるのか訳が判らんし…。でも、ほとんど毎日書いてるみたいだが、どうしてそんなに話題があるわけ?」
批判か賛辞かはともかく、人には人の感じ方がある。しかし話が飛び火していくのは事実だし、何でといわれても自然とそうなるのだ。そうならぬよう歯止めや、自己規制をかければと一度やってみたが、歯止めする理由が見当たらず頓挫した。まあ、文章表現上どういうマイナス面があると指摘されても、所詮は素人のお遊びだ。
「愛なんてのを描こうと思ったら、どんどんエスカレートし、自己規制をかけないとスカトロまで行くんだよ」以前平田弘史がこういった。平田には加治一生という偽名で描いた「愛」という作品がある。1965年の「ガロ」12月号に掲載されたが、平田と愛について話していたときの発言だ。なるほど、人間なんて何をしても「愛」、何事もとめどなく「愛」であるを実感する。
ナンセンスとは意味がない、バカげている、ということ。谷岡とて人の子、当初は電車で読んだ後に容赦なくホームのゴミ箱にポイされる三流雑誌に、エロマンガを描いて生計を立てていた。ところが、彼も歯止めが利かなくなったのか、エロだけではつまらなく思ったのか、人間の条理への挑戦を始めた。元来秘め事であるエロを表にすること自体不条理であるのだが。
時代の変化とともに、富永一郎や小島功が描く「チンコロねえちゃん」、「仙人部落」はエロマンガとしてもはや限界に達していた。富永、小島、谷岡、誰が描こうともエロはエロであり、人間のすることはなにも変わらない。昔ソクラテスというおっさんは、自分が弁論家の大家であることを知りながら、自分は無知で何も知らない、君たちと同様だとすっとぼけていた。
それで相手を煙に巻き、油断をさせ、おだてたり、喜ばせたりとタヌキオヤジの限りを尽くし、自分の周りには美少年をはびらせ、秘かに快楽主義を横臥した。美少年大好きのハゲオヤジことソクラテスの弟子がプラトン、その弟子がアリストテレスで、その少し後にストア派、エピクロス派が現れた。前者の道徳を禁欲主義、後者を快楽主義といい、二つは反目しあっていた。
スポーツに一身を捧げ、技を磨いて精進するのも、本能の命じるままに衣・食・性の快楽を求めて流されて行くのも、「快楽原則」においては共通する。脇目もふらず猪突猛進するのはストイックのようだが、快楽を先送りしているだけのこと。家が欲しいという欲求を満たすために質素・倹約に生きるのも同じこと。欲望のために人間は如何様にも生きる定義を変えられる。
人間の脳は快楽志向であり、度を過ぎた快楽を抑制する理性の支配も受けているが、快楽を満喫するためにさまざまなことを無意識にやっている。例えば、こういう痛〜い経験をしたことがあるだろう。足の小指をどこかの角にぶつけた、向う脛といわれるひざを誤まって打ち付けてしまったときの痛さは、それはもうたまらない。
そういう時に無意識に、「この野郎!クソったれが!」とか、お上品な女性でも誰もいなければ、「なによ、もう!コンチクショー!」とまではいわないだろうけど、何がしかの言葉は思わず出てしまう。それって何のため?自分の不甲斐なさ、ドジを叱咤するため?無意識だから問われても困るが、実はこれにはちゃ〜んと理由がある。無意識のようでも立派な生態反応なのだ。
その結果、汚い言葉を発しながらの場合はおよそ2分だったのに対し、汚い言葉を発しなかった場合は1分15秒とかなりの差が出ることが明らかになった。汚い言葉を口にすることによって痛みへの耐久性が上がるだけでなく、痛みを認識する能力を鈍らせる効果があると研究者たちは分析する。ただ、普段から汚い言葉を口にしていると、痛みに対する耐久性をアップさせる効果は下がってしまうとのオマケ付きだが。
ところで、くしゃみの後で、「コンチクショー」とか「バカヤローィ」というおっさんを見かけるが、それをいうとスッキリ気持ちがいいという。気風のいい江戸っ子が、「へっくしょ〜い、てやんでぃ、べらぼうめ!」って、大宮デン助みたいでカッコイイ。実はあれもくしゃみというアクシデントを和らげための言葉だろう。くしゃみの苦痛はないが、体裁の悪さを軽減する効果とみる。
知り合いの女性はくしゃみの後に必ず「くしゃみ」って一人言をいっていた。「はっくしょーん!くしゃみ…」みたいに。これも無意識の体裁を繕う仕草だろうし、だから少しイジワルっぽくいってみた。「べつにくしゃみをした後で、わざわざ『くしゃみ』と教えてくれなくても、くしゃみをしたのは判るから、いうの止めたら?」イジワルっぽいと感じたのか、彼女は意識して矯正した。
人間の無意識行動ってのは、自分も含めて注意深く眺めると面白い。くしゃみをコントロールできなかった悔しさか、あまりに勢いのあるくしゃみに感動するような仕草や言葉を発する者もいたりと、痛みはなくとも人前での照れ隠し言葉だろう。まあ、人前でのアクシデントを「イタ〜イ」という言い方もするし。外人は、「へっくしょ〜い、Oh!my god」は、大げさだ。
Excuse me か sorry というのはありそうだが、bless you が一般的。中には fuck you といいそうな奴もいるかな?想像だが。くしゃみをすると「悪いもの」が入るから、「神の加護があるように」(Bless you !)と唱えて「悪いもの」が入れないようにしたとの語源はどうなんだろう。しかし、くしゃみってのは意外と快感かも知れん。2回続けて出るときは得した気になるね〜。
3回出たらルル3錠飲むのか?他人が側でくしゃみをしたときなどは、周りが「よいしょー!」って、囃子立てることはあるが、これも良いコミュニケーションなのかも。以前、「ハックション」ってくしゃみのあとに、「大魔王!」っていわれたことがある。しかし、口の中に何が入っていたとしても手で押さえないとすべて外にでるからね〜。
口の中の物を出さないようには無駄な抵抗だ。口を閉じてのくしゃみは何度も挑戦したが一度も成功したことがない。ゲップなら口を閉じてできるが、くしゃみはその風圧からして無理。子どもがご飯粒を散らばる激しいくしゃみは可愛いし、微笑ましいけどね。人に噂話をされている時にくしゃみが出る、との言い伝えがある。どうしてこのようなことになったのか?
しかもくしゃみの回数によって噂の内容も異なる。「一そしり二笑い三惚れ四風邪」といい、一回だったら批判される噂、2回だったら物笑いの種にされている、3 回だったら誰かに惚れられているが、4 回もくしゃみするようだったら風邪をひいているということ。根拠がナイのは判るが、起源や出所は不明。くしゃみの後に必ず、「あっ、誰か噂してる」という女がいたが、誰も噂なんかしとらんよ。
せっかく起源や出所が不明というなら、「風が吹いたら桶屋が儲かる」的ブログばかり書いてる人間としては、噂をされるとくしゃみが出るのを「桶屋が儲かる」風にアレンジする。「噂話をする⇒盗み聞きする⇒本人に噂を伝える⇒怒り心頭⇒頭から湯気、体から熱が出る⇒体温上昇⇒汗をかく⇒下着が濡れる⇒乾くときに体温を奪う⇒風邪をひく⇒くしゃみ」
各国の擬態語を調べただけで、ものの感じ方、聞き取り方がこんなに違うものかと驚ろかされる。擬態語といえばマンガで、日本のマンガやアニメは今や世界への輸出品だが、このタイトルがまた各国各様で面白い。特にフランスで日本のマンガ人気はジャパニメーションと相当なものらしく、沢山のアニメ、マンガがフランス語に訳されている。所変われば品変わるのも当然でタイトルもまるで変わってしまう。
「ハクション大魔王」はフランス語タイトルは、Robert dans la bouteille(ロベール ダン ラ ブテイユ)意味は「瓶の中のロベール」で、確かに壷(びん)の中からでてくるからだ。「ひみつのアッコちゃん」などはまるで別物というくらいの変わりようで、トレードマークの赤と白の洋服もスカートからつなぎジーンズになり、名前もCaroline(カロリーヌ)となっている。
日本のマンガが世界に親しまれる理由はさまざまあると思うが、元を正せば「鳥獣戯画」や、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重らの浮世絵などは、その大胆な構図や新鮮な色遣いからゴッホやモネら印象派の画家に多大なる影響を与えてた。こんにちの日本のマンガの奥深さ、丁寧さ、外国の漫画は絵が荒く、コマ割も簡単で日本のマンガとは格段に違う。
外国人は日本のマンガを「映画をみているようだ」という。ここまでになった理由は日本人が大人もマンガを見るからで、外国ではマンガはこどもの楽しむものだが、日本では大人も楽しむから当然市場も拡大する。そこから才能あるマンガ家が沢山輩出されたと考えるべきだろう。日本でマンガは大人の文化というのを喜んでいいのか、恥じるべきか、両論存在する。 |

