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初登板・初勝利

 
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レンジャーズのダルビッシュ有投手(25)が、本日メジャーデビュー戦で初登板。開始早々に打者一巡の猛攻を受けて血まみれとなった。試合の前々日の7日、「今回は普通の登板の一つに過ぎない、という感じですね」と、迫った大一番にも表情は変えなかった。緊張も高ぶりも、大リーグ初登板だからと特別にすることもなく、平常心を公言したダルビッシュだったが。
 
初回に4失点のダルビッシュ、大画面の彼の顔には悲壮感も動揺も見えなかったが、心はいかばかりであったか。それに比べてレンジャーズのワシントン監督の、何事もないような動作、仕草には驚かされた。ワシントン監督は実は、ダルビッシュ登板を前に、「日本で大舞台を踏んできたとはいえ、彼も人の子。初登板でどきどきするだろう!」とマスコミにコメントしていた。なるほど、指揮官の洞察とはこうでなきゃ。
 
イメージ 25失点もチームの猛打炸裂であっという間の逆転。ダルビッシュは徐々に本来の調子を取り戻し、4回、5回は三者凡退で、8対5、投球数98球で勝ち投手の権利を得て6回も続投よ。もっともっと投げさせて欲しいし、我々もそれを望んでいる。開幕投手の不安やバッターの不安は、桑田と清原のCMでお馴染みだが、極度の不安と緊張に襲われるものらしい。登板前日の緊張感も大事な試合になるほどに増し、試合の展開予想やシュミレーションなどで目が冴えて一睡も出来なかったと告白する投手もいる。開幕というのは読んで字の如く、舞台の幕が開いて、芝居などが始まるという語源だが、いろんなところで用いられるようになった。映画『カーネギー・ホール』では、バイオリニストのヤッシャ・ハイフェッツが出番前の緊張感をカメラに収められていた。
 
「幾分の緊張感は良い演奏につながる」といわれている。ハイフェッツは稀代のバイオリニストと称されるマエストロだが、彼には次のような逸話もある。彼がリハーサルのためカーネギーホールへ向かっていた。そこへ道に迷った人がハイフェッツを呼びとめ、「すみません。カーネギーホールへはどうやったら行けるのでしょう?」と尋ねた。ハイフェッツはただちに答えた。「練習、練習、練習あるのみ」
 
意味が判りづらいので注釈をつけると、有名人の自分がまさか道を聞かれるとは思わず、カーネギーホールに登場できる方法を聞かれたと勘違いした。ハイフェッツは、ただちに、「練習あるのみ」と答えたというわけ。彼ほどの天才にして名人であっても、その地位につくために何より重要なものは、才能、センスを超えた練習であるとのエピソード。ピアニストやバイオリニストに一日5時間、8時間の練習は当たり前。
 
イメージ 3If I don't practice one day, I know it; two days, the critics know it; three days, the public knows it.(1日練習しないと自分が分かる、 2日練習しないと批評家に分かり、 3日練習しないと聴衆に分かる )
 
これはハイフェッツ自身の言葉である。いっちょ前に緊張する小心者というだけではなく、大家にはそれなりの緊張感もあるし、あのピアニストグレングールドも演奏前の緊張が耐えられず、コンサートをドロップアウトしてレコード制作に専念した。「コンサートをやめた演奏家のレコードなど売れるはずもない」という世評に対してグールドは世評がいい加減であり、嘘であったことを実証した。
 
野球の話に戻る。「悪太郎」というニックネームの大投手といえば元ジャイアンツの堀内恒夫のことだ。彼は昭和40年12月27日に東京読売巨人軍に17歳で、翌年高卒ルーキーとして入団した。その約一ヶ月前の11月17日、プロ野球界にとっては歴史を変える出来事があった。第1回ドラフト会議が開催された年である。選択選手の中には鈴木啓示(近鉄)、藤田平(阪神)、平松政次(大洋)らがいる。
 
翌シーズン入り、第六戦目の前日、いきなり先発をいわれ、さすがに動揺を隠せない堀内は、恩師の甲府商業監督に電話で相談した。菅沼八十八監督は、「練習のボール第一球目をバックネットに大暴投しろ」と堀内に指示。堀内は、「プロのピッチャーがそんなこと出来ません」といったら、「マウンドに上がったら、キャッチャーなんか見えない程緊張するから、騙されたと思ってやって見ろ」といったという。
 
昭和41年4月14日対中日三回戦のマウンドに上がった堀内は当時の様子をいう。「監督にいわれたままに森捕手が見えないんです。それで練習の第一球をバックネットにむけて投げたんです。そうしたら観客の「ワァ〜!」という笑い声が聞こえたと同時に、森さんの姿が見えたんです。それで落ち着くことができたんですが、力はないし、目イッパイ投げただけで、まるで雲の上で野球やってました。」
 
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堀内は六回を投げ、1対2でリードされたまま代えられたが、その回に巨人が逆転し、初登板・初勝利を得ることが出来た。小柄ながら「悪太郎」の異名がある強心臓の持ち主といわれた堀内の初登板の状況を思い出しながら、ダルビッシュの初登板の心の動揺を想像していた。ダルビッシュも味方の打線に助けられ、メジャー初登板・初勝利をあげたが、彼の性格からしてこれは素直に喜べないはず。
 
2007年4月5日のロイヤルズ戦でメジャー初先発。7回1失点10奪三振で初勝利を挙げた松坂大輔の内容には到底劣るが、記録の上では一勝は一勝。まだシーズンは始ったばかりだし、1995年、野茂英雄のメジャー一年目におけるチームの地区優勝貢献や、13勝6敗で236奪三振、グレッグ・マダックスに次ぐリーグ2位の防御率2.54などの成績を引っさげての新人王・奪三振王を獲得したのは立派である。
 
二度のノーヒットノーランを達成し、両リーグでのノーヒットノーランはサイ・ヤングジム・バニングノーラン・ライアンに次いでメジャー史上4人目の快挙である。2004年、2度のドジャース復帰から同年退団後、2005年はデビルレイズ、2006年にはホワイトソックスといずれもマイナー契約を交わした。2007年にはベネズエラのウィンターリーグへ参加、2008年にロイヤルズとマイナー契約を交わす。
 
4月5日には1000日振りのメジャー昇格を果たしたが、4月20日に戦力外通告を受け、「自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけ」として現役引退を表明。29球団から勝ち星を挙げた野茂だが、全30球団を前に惜しまれる引退であった。引き際の美学というが、野球小僧野茂らしい引き際といえる。
 
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野茂は40歳、昨年12月にブログで引退を表明した工藤公康投手は48歳で実働29年のプロ最長年記録を持っていた。どこからも誘いがかからず、マイナー契約や浪人生活もいとわぬ選手を晩節を汚すといえるのかどうなのか、それは他人の視点よりも本人の意識だろう。浜田幸一議員のような犯罪を犯したわけではなく、プロが自身を過信するのは当然としても雇うかどうかは相手が決める。
 
相撲界において横綱に晩節は強く求められるが、これは横綱の動態を監視する「横綱審議委員会」という目付役の意思も大きく働く。思えば朝青龍の引退も、体力・気力の点では衰えたとはいえず、29歳の引退だった。「強ければ良いというわけでもない。慈愛心のない横綱は横綱の器ではない」という横綱審の考えや視点は、横綱をスポーツの観点だけでは見てないということだ。
 
野球に相撲に個人が純粋に向き合えば、そこには善悪も好き嫌いも含めて様々な解釈が生まれて当然だ。ルールは別にしてもあらゆるスポーツの中で相撲は神事である点が異なる。神事であるなら権威を大事にするし、横綱が権威といいながらもその上に横審、それより上に相撲の神様がいる。キリスト教の権威も聖書の解釈によって様々だ。
 
イエスの死後十二使徒やパウロらによってローマに持ち込まれ迫害を受けた後、「ミラノ勅令」によって神聖ローマ帝国の国教となる。東西ローマに別れ、西ローマにカソリックが興きた。宗教改革後にローマ教会の権威を否定したプロテスタントが生まれた。それまで聖書を独占し、解釈を統一していたカソリックと異なり、プロテスタントは各人が神の言葉(聖書)に直に向き合うようになった。
 
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それにより多くの個人的解釈が生まれ、プロテスタントは多くの宗派に分離した。正しい正しくないの解釈の違いが戦争の火種となる。宗教に限らない。個人レベルの喧嘩も意見の食い違いが原因で起こる。宗教戦争の悲惨な歴史を経て、個人が聖書をどう解釈しようとも自由という思想が生まれた。いかなる宗教、いかなる思想信条を信ずるという自由主義に発展して行く。
 
人の喧嘩は持論を譲らないことが原因だし、ならば持論を譲らずとも相手を認めれば喧嘩はない。喧嘩が悪いというより、理性を超えたアホくさい喧嘩しか出来ないバカがいるのが問題だ。自由主義は聖書を自己の信念として断固貫く、という個人主義へと発展して行く。キリスト教はあくまで個人救済の宗教であり、救って欲しいと願うなら神の命令を厳守せねばならない。
 
魂を救うという観念は自分には判らないが、おそらく崇高なものだろう。判らないものを救って欲しいとは思わないが、救って欲しい者には、その救われ給う「魂」の概念もわかっているのだろう。判らないし判ろうとも思わない自分は魂の存在すらも信じていない。あるともないともいえぬ神や魂を信じない、これも信教の自由ということだ。自分の周りを形成する幾多の集団やコミニティ。人は社会的動物である。
 
イメージ 8その中にあって、ただひたすら集団主義に埋もれ、集団のエネルギーともいうべく同調圧力に屈しないのが真の個人主義だろう。自分を尊重してもらい、また相手をも尊重するのが個人主義といえる。個人主義は利己主義とは似て非也だ。難しいけどね、全体主義社会で育った日本人にあっては。村落共同体というコミュニティの大原則が何より大事とされている。土着性の強い山村や小規模の部落では未だに「村八分」はあるのかもしれない。イジメの論理は排除の論理。他人と違うことを許さない。中学生の女子が女子同士のエッチ話が嫌で「うちはエロくないから」と一言いったことで無視やイジメにあった。早熟の子もいれば晩熟の子もいる。彼女は自分に正直にエロ話が嫌だといったに過ぎないが、それを公言したことで早熟女子から眼の仇にされた。
 
早熟は罪ではないが、晩熟の子が「うちはエロくないから」といえば早熟の子には耳が痛いだろう。生理学的見地からいっても思春期を否定する言葉であるのは事実。「うちエロくない」という子が将来どうなるかを見越していってないし、予想もしていないし、だから同年代のエロい女子が変態に見えても仕方がない。それを正直にいったまでだが、早熟の子にはいい子ぶったネコかぶりに思えるのだ。
 
だから排除にかかる。自己正当化の言葉が他人には迷惑であったり、他人を傷つけたりすることは多だある。「うちは太るのは絶対にイヤ」と、一見なんでもない言葉も、太ってる子の前でいうべきでない。場や状況によって大きく変わるのが言葉。言葉一つで身を葬った者は多い。今更ながらの言葉の難しさだが、相手を特定しないブログは何をいってもそこが楽かも。
 
イメージ 6「ベンチはアホや!」で野球を止めた元阪神の江本孟紀。その江本がダルビッシュの「汚い野球をするソフトバンク」発言を支持した。ダルの汚い野球とは、野球のレベルアップに逆行し、勝つ為だけにチームプレーと称してクリーンアップにまでコツコツと右打ちのヒット狙いをするなどは、かつての王、長嶋、野村らチーム四番打者としての存在感がないとの意味。エース級からホームランを打つというチームの主砲としてのプライドがないとダルはいいたいのだ。ピッチャーというのは、打者と一対一の真剣勝負をしたいのよ。かつての王、長嶋のように。その王や長嶋がいた当時の巨人軍川上哲治監督は、王や長嶋がベンチで「江夏はすごい。打てる気がしない」と談笑する前でこう一喝した。
 
「君等には打ってもらうだけの月給を払っている!」

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松坂5200 < ダルビッシュ6000

 
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ダルビッシュ、レンジャーズ入団=6年契約、総額46億円
 
【ニューヨーク時事】ポスティングシステムを利用してメジゃー挑戦を目指していた日本ハムのダルビッシュ有投手(25)のレンジャーズ入団が18日、決まった。同日、レンジャーズが同投手と2017年までの6年契約で合意したと発表した。米メディアによると、年俸総額約6000万ドル(約46億2000万円)で、松坂の5200万ドルを超えた。背番号は日本ハム時代と同じ「11」になる。ダルビッシュは20日(日本時間)に本拠地アーリントンで記者会見に臨むことになっている。
 
イメージ 8ダルビッシュの一ファンではなく、一人の日本人として経過を見守っていたが、30日間に及ぶ交渉期限の最終日に決着した。契約に至ったということは双方に納得がいったのだろうから、決裂に比べるとそれはそれは目出度いことだ。ダルビッシュは同日、1年以上も続いた紗栄子夫人(25)との離婚協議にも決着を見たとの報道があった。こちらに方もとりあえず決着ということなら目出度いことになろう。
 
日本プロ球界の至宝といわれた野茂英雄が海を渡ってロスアンゼルス・ドジャースに入団したのが1995年、実は年棒980万円のマイナー契約で、前年近鉄バッファローズの年棒は1億4000万だから1/14の減収だが、日本人はその程度にしかみられなかった。その後の彼の活躍は「トルネード旋風」として日本人にも大きな希望を与えてくれた。野茂がそこまでしてメジャーを選んだ理由は球団との確執もあった。
 
元来口下手で寡黙な野茂は、落合や星野のような弁舌で周囲を煙に巻くタイプと違い、自身を言葉で表現できないから誤解を受けやすい。おまけに彼の特長的仏頂面が他人に好感度を与えない。後に野茂は仰木彬監督時代からフロントには様々な不満があったことを語っている。無愛想でマスコミ嫌いな野茂に反感を抱くスポーツ記者の球団寄りの記事で、野茂は孤立していった。
 
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1994年の契約更改で、野茂は複数年契約と代理人を立てた交渉制度を希望したが、フロントは野茂が肩を故障してシーズン後半を棒に振ったことを理由に拒否。この時フロントは「君はもう近鉄の顔ではない」と野茂に言い放ったという。球団社長でさえマスコミに、「年俸をもっとよこせ、ということでしょう」と述べ、野茂の要求はあくまで「年俸吊り上げのための口実」で、「次の更改ではサインする」と楽観視していた。
 
野茂は「お金の問題じゃない」と反論したが、マスコミはこぞって野茂を攻めたてた。もう一つ大きな理由は鈴木啓示監督との強い確執である。頑固で信念を変えない野茂は口で反論するより、嫌悪感を表情に出す。これでは互いが腹を割った話し合いはできない。かつて選手から二度も暴行を受けた阪神の金田正泰監督は、選手に対して非人間的且つ無神経な発言をする人間だったらしい。
 
1973年3月のオープン戦の最中、滋賀県皇子山球場でチームはバッティング練習を行っていた。外野の守備に加わっていた投手の鈴木皖武が練習が終わってベンチに戻ると、金田監督が記者やファンが居る前で鈴木に対し「お前、守っとる横にボールがあったのに、何で拾わんのじゃ!」と怒鳴った。鈴木は近くにボールがあったことに全然気付いていなかったらしく、この発言に対してカチンと来た。
 
その数日後、ミーティングの途中でも鈴木をなじるような発言があり、鈴木の金田監督に対する怒りは日に日に増していった。シーズン中の起用法に対しても鈴木は監督への不満が積もり、ついに8月、遠征先の名古屋で怒りが爆発した。酔った勢いで監督の部屋へ行った鈴木は不満を並べたあげく、金田監督めがけて灰皿を投げつけ、まともに殴りかかった。結果、鈴木は1ヶ月の謹慎処分となった。
 
イメージ 3金田監督に対する第2の暴行事件はシーズンオフのファン感謝デーの日に発生した。1973年5月、遠征先の広島で権藤正利投手は江夏豊らと共に昼食のあとでパチンコに出かけた。間もなく権藤らがホテルに戻ると、ロビー横の喫茶室に金田監督がおり、権藤が持ちかえった景品のショートホープを見て「おい、サルでも煙草を吸うんか」とからかった(権藤は猿面)。その場は江夏らが権藤をなだめて事無きを得た。権藤は悔しさで涙したという。その後も権藤は我慢を強いられることが続いたが、遂にキレた。
 
ファン感謝デーの1973年11月23日、監督室で金田監督と二人っきりになった権藤は鉄拳を交えた暴行を加える。金田は眼鏡が吹っ飛んで鼻血を流してうずくまっていたという。権藤は20年投手として連盟表彰されるはずだったが、この一件でそれを棒に振り、そのまま引退した。監督と選手の関係というのはどういう在り方が理想的?というより、それは監督個々の考えによって決まるものだ。
 
様々な監督が様々な理念を掲げて選手を使うが、対照的な二人の監督を挙げてみる。権藤博と野村克也である。権藤は中日、近鉄、ダイエーのコーチを歴任後1998年に横浜ベイスターズの監督に就任、一年後にチームをリーグ優勝に導き、日本一監督にもなって世間を驚愕させた。選手の自主性を尊重しながら勝利に導く手腕は球界内の評価が高く、投手コーチとしても卓越した理論を持っていた。
 
鈴木孝政小松辰雄牛島和彦吉井理人阿波野秀幸村田勝喜吉田豊彦下柳剛らを育てている。直言居士コーチとして、たとえ上司(監督)であっても、間違いだと思う意見にはトコトン喧嘩を挑み、近鉄コーチ時代には仰木彬、ダイエーコーチ時代には田淵幸一との不仲説も噂された。アメリカ教育リーグでのコーチ修業時代の経験から、「Don't over teach(教え過ぎない・言い過ぎない)」という指導方針で選手の感性と自主性を重んじた。
 
一見放任主義的なスタイルは当時マスメディアで話題となったが、権藤はこのスタイルを放任主義ではなく「奔放主義」と述べている。一方野村克也についてはあまりにも有名で経歴その他は省略する。が、「何よりも野球は選手がやるもの。監督は、選手個々の考え方や才能を自由に発揮できる環境を作るだけ」という権藤の監督哲学に対し、「野球は監督の采配如何で勝敗が決する」を信念に持つ野村である。
 
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野村は権藤の采配スタイルやマシンガン打線を「勝手無礼な行儀の悪い野球」と酷評、あげく権藤自身やベイスターズ選手個々の人格に関わる部分まで公然と批判を展開した。これに対して権藤も黙っちゃいない。「ID野球なんてクソくらえ」と常々選手にハッパをかけていた。権藤vs野村の火花対決は、1998年優勝マジック3の横浜は10月3日 - 10月6日と地元・横浜スタジアムでヤクルトとの4連戦で最高潮に達した。
 
権藤はヤクルト戦は特に闘志をむき出して大きく勝ち越し、地元胴上げの期待を担う横浜に対し、「1年目の権藤に簡単に優勝させるわけにはいかない」と野村は闘争心を露に、川崎石井伊藤をぶつけて3連勝、目の前での胴上げを阻止した。権藤は、「グラウンド上で詰め将棋など見たくもないでしょう」と暗に野村を皮肉った。権藤はオフのトークショーで観客から「野村監督は好きですか?」と聞かれ、「どちらかと言えば大嫌いです」と返す。
 
後年、「私の在任期間中(コーチ時代の1997年も含めて)、ノムさんが指揮したチームに負け越したことは一度もなかった」と豪語、自論が野村の理論より正しかったことを強調している。いかに秀逸な理論であっても理論だけが一人歩きする事はないし、それを用いるのは人間だ。となると人間性が重要であるのは言うまでもない。権藤のように自論に信念があればこそ上司にも歯に衣着せぬ物言いが大事と思う。
 
なぜなら部下(選手)は常に上を見ており、監督の理論が本物かどうか、自身の命をかけたものであるかどうか、それが上に媚びた自己保身であれば誰もついてはこないだろう。選手時代の長嶋と王という両雄にも打撃理論においては根本的な違いがあった。水平にバットを振るレベルスイング優位性を説く長嶋茂雄と、バットを上から下へ振り下ろすダウンスイングを信奉する王貞治。
 
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彼らは自身の信ずるものを追い、極め、それなりの成績を残した。権藤も野村も彼らなりの成績を残している。また、今までの打撃理論の常識を覆したイチローの「振り子打法」の後継者は?いつも思うのは、一神教のように、この世でただ一つだけ正しいものはないということ。人間が何か一つ正しいものを信じ求めるのはいいが、何か一つだけが正しいなら、他のものは全て正しくないことになる。
 
それが当然という考えも、それは可笑しいだろうという考えも、どちらが正しいとはいえない。真理を追い求める人間も、ジョブズのように「ドグマ(教義、常識)にとらわれるな。それは他人の考えた結果で生きていること」という人間もいる。外野というのはウルサイものだ。ウルサイといってもただ雑音のようにウルサイと思えばいいし、精神的にウルサイと感じるうちはまだまだオコチャマの域だろう。
 
今回のダルビッシュのメジャー挑戦に批判的なオコチャマ連中がツイッターで騒いでいる。それはダルビッシュが21歳の時に次のように発言したことで、ダルビッシュは嘘つきだと文句をいっている。「もしメジャーリーグに行くってなるくらいやったら僕は野球を辞めます。日本の子供たちだって、おもしろくないじゃないですか。子供達を楽しませるためには、そういう(日本に残る)人も必要やと思うし・・・」
 
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これに対してダルビッシュはこう述べている。「時が経つにつれて自分の立場、周りの環境も変わります。当時とは求められることが違いますし、当然やることも変わってきます。確かに発言はしましたが誰しもが時と共に変化するということです。『嘘ついたことには変わりない』という声について、深く見ると嘘ついたってのは違ってきます。 表面的に見たならそうしか見えませんが…」と、弁明した。
 
弁明を言い訳と捉えるのは間違い。弁明とは事情を説明して明かにすることだし、事情が変わったことを嘘だというなら、気持ちの変化はすべて嘘となる。人はその年齢や環境の変化に対応してむしろ変化をすべきものだし、変化なしで全うするのを自慢する理由はどこにもない。ダルビッシュのいう、「深い思考なら嘘ではない」のは大人の対応だし、深い思考ができないガキが騒いでいるだけだ。
 
ある事を人間が考える時にその思考の深浅によって答えは違うものになる。それぞれの思考で出される答えはそれぞれの思考レベルに合致する。それは今回の芥川賞受賞者のスピーチにも現れていた。最も石原慎太郎選考委員が、彼のレベルで「苦労して読んでますけど、バカみたいな作品ばっかりだよ」と不満を洩らした。彼は文句をいいながら居座るおバカではなく、刺激にならないから即刻退任するという。
 
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受賞者の一人円城塔は、「多くの人に読まれる芥川賞には力が足りてない」といい、方や田中慎弥は、「(受賞を辞退して)気の小さい選考委員が倒れたら、都政が混乱する。都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやる」と嘯いた。自作は芥川賞に当然だという自信は結構だし、高校時代からアルバイトも含めて労働経験もない社会性の身につかぬ39歳が、唯一作家として自己を誇示するのは結構だ。
 
芥川賞は人間ではなく作品を評価するところだが、どんな偉大な作家であれ、大作曲家であれ、大彫刻家であれ、行き着くところは作品を超えた彼らの生き様だろう。外界からたしなみや礼や作法や、それら一切を供与・教育された事のない人間がわなわな上気しながら、「一回目でもらえないのは間抜けである」と、幾多の皮肉を込める彼のニヒルな一面と、ムキになる幼児性が印象に残った。
 
ダルビッシュのうちに秘めた自信に凄みは感じるが、「賞をもらってやるなど」は自信というより、もらえた人間の滑稽な見栄と映る。いらない賞なら簡単に辞退もできようが、喉から手が出るほど欲しかった賞をもらってやったというのは、辞退すらできぬ人間の強がりだろう。
 
 

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荒々しきもの

 
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現楽天の星野監督をして"名監督"と名指す者がいる。彼が名監督といわれる理由として、就任2年目にしてあの阪神を優勝させたことがいわれるが、そもそも名監督の条件とは何ぞや?ということにもなるし、リーグ優勝回数やら若手育成に腕をふるったとか、日本一回数やら、ハッキリしない定義もあるので、面倒臭い名監督論はやめとこ。ならばいっそのこと好き嫌いの方が自由に書ける。
 
闘将といわれて完全燃焼といった星野、舌の根も乾かぬうち他チームの監督だ。彼の声を荒げて選手を怒鳴る、あのような外国人監督っているだろうか?野球外のサッカーなども含めてだが。元ロッテのバレンタインも元日本ハムのヒルマンも、通訳を通してだとガンガン怒鳴りようがない?いや違うな。彼らは選手を財産として扱っているし、いくら監督と選手とはいえ、あんな星野のような態度はとらない紳士だ。
 
パスカルはパンセの中で次のようにいっている。「誰かが怒って荒々しい言葉を口にしている。それはなぜなのか。その怒りと荒々しい言葉は、どこから出てくるのか。相手のせい、その人のせい、サタンのせいなのか。いやいや、それでは思考停止である。」と、これによると星野は思考停止した人間ということだ。優しい言葉は優しい心を生むし、荒々しい言葉は荒々しい心を生むと思う。人間は生ものだからな。
 
イメージ 2パスカルは背後の理由を提示したが、19世紀フランスの詩人・小説家ユーゴーは、「荒々しい毒づいた言葉は、根拠の弱いものであることが多い。」と、これはどういう意味かといえば、正論であるならそんな言い方をする必要はない。荒々しい言葉の裏には「人間の内面の弱さ」が感じられる。負け犬ほど吠えるという言葉があるように「荒々しい言葉」を使うことで他者を威嚇している。自分の弱さを他人に見せるのは嫌だからわざと荒々しい言葉を使う心理もあるし、これらは虚勢を張るということだ。誰でもつい怒ると大きな声がでるが、その時の怒りというのは紛れもない思考停止状態なのだよ。つまり、怒ってるだけ。荒々しい言葉を発しながら自分が勝っているのだと愚者は考えるのだろうが、声の大きさや言葉の汚さが勝利を呼ぶことなどあり得ない。
 
人間は弱いからね、つい荒々しい言葉で相手を打ちのめそうとするが、弱さなんてのはすぐに露呈してしまう。論争で勝利する時に最も心得て置くのは、とにかく相手の言動をよく観察すること。つまり言葉を荒げる者よりも、謗りを耐え忍ぶ者に勝利はもたらされる事が多い。論理というのは相手も自分をも俯瞰する第三者的な視点を持つことが大事で、それができるのはあらゆる動物の中で人間だけで、これを理性(知性)という。
 
「自我」という感情を離れた知性が論争を収斂して行く。ギャーギャー大声で喚いてるのが知的動物か?それは思考停止状態の野獣だろう。星野と落合を比べても「静」の落合の方が理性的であり知的に思える。何より落合は外人監督のように選手を財産として扱っている。星野がぶち切れた、ドアを蹴飛ばしたの記事を待つマスコミだが、よく言えば単純バカの星野の怖さは、判り易い怖さともいえる。その点、落合には静なる不気味な怖さがある。
 
どっちがいいかは選手の好き好きで、自分なら後者がいい。いわれて黙っていない性格なので、歪んだ監督ならすぐに干されるだろう。監督に逆らえば監督批判。現西武バッテリーコーチの光山英和は、近鉄から始まり中日など国内5球団を渡り歩いた捕手で、過去、仰木彬、鈴木啓示、佐々木恭介、星野仙一、長嶋茂雄、山本功児、森祇晶と7人の監督に仕えた。その光山がいう最も恐怖感を覚えた監督は近鉄時代の仰木彬だそうだ。
 
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「みんな仰木さんのええところばかり見過ぎですよ。阿波野(秀幸)さんとか野茂(英雄)とか、一流どころには何も言いませんよ。そういう選手は、何も言わなくても結果を残しますから。でも僕らみたいな一流半の選手にはめちゃくちゃ厳しかった。言葉で言うことはほとんどないんですけど、試合でミスをした次の日、球場内の通路ですれ違ったときに、何も言わずにじっとにらまれたりね。
 
そんときは、通り過ぎても、なんか変な感じがしたから振り返ったら、まだこっちをにらんでたんですよ。あのときは怖くて気持ち悪くなりましたね。あとは采配です。早め早めの交代で選手を締めていた。ノーアウト満塁で監督が出てきた。ピッチャー交代かと思ったら、キャッチャー交代、って。キャッチャーとしてあれほど恥ずかしいことないですよ。1年で6回ぐらい登録抹消された年もありましたからね。これ、記録ちゃうかなって思った。」
 
と回想する。仰木オリックスは阪神大震災が起きた年、1995年に「がんばろうKOBE」というキャッチフレーズを掲げ、劇的な初優勝を飾った。前年2位に食い込んではいたものの、けっして潤沢な戦力を擁していたわけではない。猫の目打線に象徴される仰木独特の人心掌握術で戦力不足を補っていたのだ。東北大震災復興のシンボル楽天は、スタートこそ順調だったが、気づいたらいつのまに下位に沈んでいる。
 
専門家ではないので監督のせいとか、選手やコーチの問題とかは論じることはできないが、サッカー日本代表監督就任以来快進撃を続けるザッケローニ監督の手腕についての記事があったので紹介する。札幌ドームで開催された日本対韓国の試合、お互い9月から始まるワールドカップアジア3次予選に向けての強化試合という位置付けだが、過去日韓戦は単なる強化試合とならないほどお互いが勝負に拘ってきた。そこで今回の日韓戦についての印象だ。
 
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終わってみれば日本は驚きの3対0の勝利。韓国に3点をつけての勝利は何と37年ぶりという。そこで俄然クローズアップされたのがザッケローニ監督だ。日韓戦という大舞台で選手達が楽みながらプレーし、かつ結果も手に入れた背景のひとつに、彼の監督としての力量、マネジメント方法があることは疑いようがない。例えばアジアカップ初戦のヨルダン戦で不甲斐ない試合をしたが、その試合の直後、ザッケローニは非常に厳しい顔で選手にこう語った。
 
「あなたたちは日本代表に相応しい心の準備をして試合に臨んだか?」
 
こういう言葉、こういう日本語を選手に向けて発する監督が他にいるだろうか?もちろん日本人通訳が訳して選手に伝えたのだが、ザッケローニは罵声を浴びせるという激しい口調ではなかったが、その場は静まり返ったと言う。彼は常に選手にポジティブな声掛けをして、その気にさせるアプローチを心がけている。だからこそ選手の心の油断を見抜き、この場面で「自信と過信は違う」その事を心に響かせた。
 
イメージ 5自信と過信、自信は持たねばならぬが過信は禁物。勝負に生きる者なら誰もが座右にする思いだ。自信と過信は背中合わせだが、ザッケローニは自信と過信の境界線を見極めるタイミングを逃さなかった。加えて日常の安定したぶれないアプローチがあってこそ非常時でのマネジメントが効いたのだという。選手がキッチリとバランスを失わぬことでものにした日韓戦である。南アフリカワールドカップでベスト16に進出した岡田ジャパンの後任として就いたザッケローニは、選手選考やサッカーの志向に関して前任者のやり方を踏襲しながらマイナーチェンジをした。通常新任監督は前任者を否定する部分を明確にするところから入ることが多いが、彼は「自分を出す」前に「現状を知る」ことに重きを置き、徐々に日本のサッカーと日本人を理解するうち、選手に自信の必要性を認識した。
 
野球にしてもサッカーにしても、日本人監督候補人は沢山いるのに、あえて外国人監督を高額で迎え入れる理由は、それだけの理由があるのだろう。判り易くいえば、日本人監督より高い評価を持っているし、さらにいうなら日本人監督ではダメだということ。何が違う?歴史?頭脳?知識?それは専門家の分野だし、我々は結果だけでしか良否はわからない。しかし、外国人監督の言葉には迸る明晰さを感じる。
 
ところでプロ野球外国人監督だが、最多で4人いたし、昨年度は楽天のブラウン監督ただ一人だったが、2011年度は何と0人。理由は何か?高額年棒か?高額とはいってもロッテのメジャー経験のあるバレンタインは特別で3億5000万、メジャー経験のないヒルマン1億1500万、ブラウンは4500万でたいした額ではないから、ゼロになった理由は判らないが、世の流れもあるのだろう。
 
日本プロ野球史上初の外人監督は1974年広島のジョー・ルーツだが、ハワイ移民日系2世・外国人籍の与那嶺要(元巨人)が1963年中日の監督を務めたのが厳密には最初かもしれない。しかし日本プロ野球史に輝く南海ホークス・ヘッドコーチのドン・ブレイザーこそ、日本の野球を変えた男である。メジャーリーグで12シーズン活躍後1967年南海ホークスに入団、3年の選手生活を経て1970年から野村監督下でヘッドコーチを務める。
 
イメージ 7彼のシンキング・ベースボール理論は斬新だった。1979年には阪神の監督に就任したが、80年新人の岡田彰布の起用法を巡ってフロントとの確執、ファンから自宅にカミソリ入りの手紙を送りつけられ、夫人が「こんな野蛮な国はイヤ」と帰国を懇請したことなどもあって、シーズン途中の5月14日で退任した。徹底的にケガ人や調子の悪い選手を使わない主義で、当時調子を落としケガもあった掛布雅之についてのエピソードがある。「どうして掛布を使わない」とのマスコミの問いに、「今の状態では使えない」と返したが、マスコミが「ファンは掛布を観に球場へ足を運んでいる」と切り返すと、「いいや違う。ファンは掛布の凡打を観に来ているのではない。ファンは掛布の素晴らしいヒットやホームランを観に来ているのだ」と返した。
 
全力プレーを推奨し、手を抜いた選手には徹底的に批判した。理性的で冷静で球界の紳士たるブレイザーが、1978年東京六大学秋季リーグで戦後4人目の三冠王に輝いた岡田彰布が、6球団のドラフト指名を経て鳴り物入りで阪神に入団一年目の1980年、ブレイザー監督は、「岡田はまだ新人。じっくり鍛えた方がいい」という考えの下、岡田に二塁や外野の練習をさせていた。
 
岡田はブレイザーとの初対面で通訳兼任コーチを介して「いくら力のあるルーキーでも、メジャーリーグでは最初からいきなり試合起用することはない」と告げられ、「そんなの関係ないやろう」という反骨心が芽生えたと後に著書に記している。大阪市出身の岡田の荒々しい言葉と、世論や球団の意向にまったく動じない信念、それでいて冷静なマスコミ対応を心がけるブレイザーの言葉・態度は対照的だった。
 
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ブレイザーの息子ケントは、日本球界の情報に詳しく、しばしば父に情報を伝えていたというが、岡田の監督就任については伝えなかったところを見ても、岡田に対するブレイザーのわだかまりは根強いものがあったのだろう。2005年4月13日、アリゾナ州で満73歳にて死去。息子のケントは2010年5月22日から福岡ソフトバンクホークスの駐米スカウトに就任した。

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勇ましきもの

 
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勇ましいってどういうのか?すぐに頭に浮かぶのは兵士、兵隊だ。アレクサンドル・デュマの『三銃士』に出てくるアトス、ポルトス、アラミスか、それとも彼らとの決闘を決意したダルタニャン?小説では彼が実際の主人公で勇士に相応しい。数々の戦を主導、勝利したナポレオンも勇者だ。確かに戦争は勇者をつくる。戦争に限らずと闘いは勇者をつくる。スポーツや多くの競技、ビリヤード、ルーレット、ダーツ、チェスにも勇者がいる。
 
争いに勝てば勇者に見えるがそうともいえない。敗れ去った勇者も多く、勇者は結果とは限らない。結果の勇者もいるが、ナポレオンのように腐った勇者もいた。彼はどうしてあのようなことになったのか、「徳を求めたものの、結局その徳を見出せず権力を掴むに至った」とゲーテが指摘したように、クールで冷静故に戦上手だが、反面「徳」がなかったということだ。功績もあるが評価は分かれる。
 
イメージ 3優秀なスポーツ選手は数いれど、勇者、勇敢といえるかどうか?モハメド・アリ、アントニオ猪木、王、長島、双葉山が勇ましいといえるのかどうか、彼らはビジネスライクに生きたことは否めない。職業人という見方が適切だろう。金にもならないことをやった、たとえば人類初のエベレスト登頂に成功したヒラリー卿とテンジン、南極大陸に向かったスコット、アムンゼン、日本人では白瀬中尉はどうか?当時、南極探検は大変な冒険だろう。
 
お金のためにやるのではなく、名誉のための行為でもなく、自腹を切って果敢に自らへの挑戦する姿勢・態度は勇ましいと見る。名誉は後からついてきただけ、それが彼らに共通する。やはり冒険家は勇敢なのだろう。彼らの真の目的は、金銭ではなく生き甲斐、遣り甲斐であり、斜め読みにいえば道楽ともいえる。かつてのヨーロッパの冒険家(例えばヒラリー卿)は皆さんお金持ちだし、お金なくしては出来ない。
 
そういえば大分前に宴席でプロ野球人の話をした時に、清原和博と星野仙一が男らしい代表のようにいう奴がいた。まあ、彼からみれば男らしいのだろうし、巷にもこの二人を男らしい代表のようにいわれるのを聞く。とりあえずいっておくが自分はこの二人が嫌いだが、友人は男らしい理由を勇ましいと評した。「勇ましいって何が?」、「気迫だよ、気迫!清原なんかに内角攻めるピッチャーは度胸あるしな。」だとさ。
 
「星野は?」と聞くと、「監督の時の抗議なんか相手ピッチャーはビビってるじゃないか!」という。「はぁ?男らしいってそういう事か!」とややうんざり気分。他人の見方だから別にそれはいいが、いわゆる瞬間湯沸かし器というすぐに頭に血が昇る男が男らしいのは子供騙しだろう。星野のポーズ作り、清原の小心は裏では知られていたし、それを狙ったり、隠したいからの行動だろう。
 
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言い合いする時にわざとらしく言葉を荒げたり、大声で喚く奴は中身がカスの証拠だと思ってる。自信がないから態度で、ない自信を威圧する食わせ者だと思う。星野の周囲を意識した言動は、彼が選手時代の監督やバッテリーを組んでいた中尾捕手が腹で嘲笑しているくらいだ。「男・清原」もかつて西武時代、巨人との日本シリーズの最中に恨み節からか、巨人に勝利する嬉しさでマウンド上で涙を出した男。
 
1987年の巨人との日本シリーズ第6戦、9回表2死。日本一までアウト1つ、西武はその涙ためにわざわざタイムを取って時間をつないだ。当時マウンド上にいた工藤投手は泣いている清原を見て、「打者は左バッターの篠塚さん、清原は涙でボールが見えないからインコースを引っ張られ一塁に打球が飛ぶと危ない」と冷静に判断、涙が止まるまで時間を稼いだ。細かいところにプロの心情を発揮させている。
 
清原の涙はドラフトで巨人に袖にされたときもカメラの前で見せた。ドラフトで外れて泣いた選手など他に見たことない。陰では泣いてるのだろうが、陰で泣くなら男だろう。家でも泣く清原に母親は、「あんたが勝手に惚れて、勝手に振られたんやないの。男らしく諦めなさい。男なら見返してやりなさい。泣いてる暇なんてないはずやで!」といわれ、プロに入り巨人を見返してやるとの思いを強くしたというが、これって女々しい執念だな。
 
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そんな男が、コロッと巨人に入っているわけだから、「男心に秋の空」って清原のために作られた慣用句でないかい?そういう女々しさをいろいろ指摘され、だんだんと風袋も言葉使いも威圧感を増すように変わっていった。あのような雰囲気では残念ながら球団からの声はかからないだろうな。本人が野球界に尽力したいとの思いがあっても、ゴロのイメージ+暴力肯定派との印象を容認する球団はまずないだろう。
 
有名な「清原乱闘事件」というのがある。1989年9月23日の西武-ロッテ戦でロッテの投手平沼定晴が与えた内角球に逆上した清原は平沼にバットを投げつけた。幸いバットは当たらずケガはなかったが平沼も怒って清原に向かっていったが、清原にヒップアタックを受けて転倒、清原はロッテのマイク・ディアズから首投げの返り討ちにあった。清原への罰金30万円、出場停止2試合という裁定には異論もあった。
 
現在中日ドラゴンズの打撃投手兼用具係をしている平沼が8月5日に清原との乱闘事件の真相を語った。
 
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 −−忘れられない場面です
 
死球に怒った清原君の投げたバットが僕の足に当たりました。だから僕もカッときて突進しました。正面から来るかと思ったら、身を翻してのヒップアタックだったので、虚を突かれて飛ばされてしまいました。彼は一発決めると逃げていく。どんどん逃げて行く後ろ姿を覚えています」
 
 −−その後、清原氏は捕まって大乱闘になった
 
 「試合が終わっても僕はどうしてもおさまりがつきませんでした。実は彼が帰るのを狙おうと、駐車場で待ち伏せしたんです。でも、車でサッと出られて報復できませんでした。訴えることもできるといわれましたが、そんなみっともないことできるか、と思ってました」
 
 −−それで
 
 「次の日、彼は辻(発彦、現中日総合コーチ)さんに付き添われてロッカールームに謝罪に来ました。ロッテには村田兆治さんや袴田英利さんという大ベテランがいて、僕以上に彼をにらみつけていました。これはすごい迫力でした。いかに才能のある選手といえども、まだ若い彼が追い詰められた気持ちはよくわかりました」
 
 −−それで水に流したわけですね
 
 「もちろん死球は狙って当てたものではありませんでした。でも、そのあと何度か対戦したとき、正直、清原君の内角には投げづらくなりました。そうしたら、彼の方がそれに気づいたんです」
 
 −−なるほど
 
 「そしたら彼の方から、『平沼さん、気にしないで攻めてください。お願いします』と言ってきたんです。いいところあるなあ、と思いましたね」
 
 −−猛者が多かったわけですね
 
 「確かに今はだいぶ雰囲気は違いますね。そのころはTVゲームなどもないし。でも今、そんなに酒を飲んで暴れたら捕まりますよ」
 

 
と、清原の純真な性格が読み取れる。それでよかったと思うのに、「番長」などと呼ばれてそれでいい気になって、自らの虚飾に傾倒していったのは巨人に入団した当たりからだろう。清原の巨人入団で当時43歳の落合が放出された。退団会見の席で落合は、「清原と勝負して負けるとは思わないが、(落合と清原の)どちらを使うかで悩む監督の顔は見たくない」というセリフを残した。
 
巨人時代の清原は、ダイヤのピアスを両耳に付けた理由を自著『男道』で、「巨人軍に契約交渉の席で煮え湯を飲まされ、その悔しさを忘れないために刺青の代わりにつけた」と述べている。このピアスに関しては巨人OBをはじめ、他球団のOBからも評判は悪く、野村克也など苦言を呈す人も多かった。堀内監督に打順を7番に下げられたことで、本塁打のハイタッチを拒否するなど素行の悪さが目立つようになる。
 
キャンプ中の肉離れで二軍スタートだった2000年には、巨人のオーナーであった渡邉恒雄に「(清原が一軍にいないことで)勝利要因が増えたな」とまで言われた。KKコンビの桑田とは対照的で、素行の悪さで清原は出され、桑田はチームに残ったともいわれた。退団した堀内監督が週刊誌で、「清原は野球に向かない。団体競技である野球に進んだのが間違い」の言葉は、真に清原を言い当てていると思う。
 
特別な分野で特別な技能や能力を身につけている人間を専門家という。それは専門分野に一途に身を委ねている人の総称であるが、その専門集団の中でいかに尊敬されようと、実力を評価されようと、彼らはもっと大きな社会の枠の中に生息しているわけだし、素行が悪ければ社会認知もされない。CMだって依頼されない。企業イメージはCM出演者によって高くなり、不祥事でダウンもするから当然だろ。
 
イメージ 4大リーグあたりはその辺が手厳しい。メジャー最高年俸を誇るヤンキースのA・ロッドが現在違法ポーカー問題で召喚されるという話になっているが、安打数4256本の大リーグ記録を持つピート・ローズは野球賭博で永久追放処分だし、シーズン70本塁打のマーク・マグワイアもドーピングで殿堂入りが叶わない。762本の大リーグ本塁打記録を持つバリー・ボンズは現在薬物使用で起訴されている。専門家の評価と社会人としての評価の融合が大事のようだ。夢を与える専門家といえども、与える夢が正しく真性なものであるか、そうでなければ多くの国民や子どもを偽ることになる。偽りの中で達成された夢に厳しいのは自由と責任という表裏の完結だろう。人は自由を供与される以上に責任の重さを強いられるということだ。薬物漬けというのは人間のちょっとした気の緩みからだが、世間は容赦しない。
 
スポーツはビジネスであり、いかに立ち向かおうとも勇敢とは言わないといったが、時速150km前後の堅いボールに立ち向かう怖さは絶対にあるし、その怖さを克服できるのも商売だからだろう。無償の冒険者なら年間150試合もの恐怖に立ち向かうことなどあり得ない。だから商売だから可能という見方も出来る。清原のように極度に死球を怖がる打者は大打者といえないとの見方もある。
 
王や長島は死球に目くじらを立てる事もなかったし、現実に王は清原に対し、「死球を避ける技術もなく、一方的に投手に立ち向かうのは問題」と批判した。投手も打者も真剣勝負をするわけだし、そこには打者としての身構えもあるという。同感だ。大打者の証明として内角攻めも覚悟しなければならず、踏み込みを躊躇させるためにすれすれのコースで身体を起こす事も投球術である。
 
そこをわきまえ、ぶつけられて投手に向かっていくような事をしなかった大打者こそ勇ましい。火の玉のように怒って相手に向かっていく清原や星野が勇ましいというより、あれは姑息な恫喝だ。それに比べて落合の死球の対応は、打者、投手、互いに商売と我慢をしつつ投手へ注意する大人の対応を感じる。残念ながら清原、星野のマジ切れは肝の座らぬクソガキ。あれが男?冗談いうな、ありゃ男の子だ。
 

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40人の八百長報道〜調査委は八百長をするな!

 
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「調査委からの報告も来ていないので分からないが、40人なんて数字がどこから出たのか、こっちが教えて欲しい」
 
大相撲の八百長に関与したことを日本相撲協会に認めている竹縄親方(元前頭・春日錦)が、「自分以外にも約40人の力士が関与した」などと周辺関係者に発言していることが明らかになった2日、協会の放駒理事長(元大関・魁傑)は、発言内容の確認を、外部有識者で作る協会の特別調査委員会(座長=伊藤滋・早大特命教授)に任せる姿勢を示した後に上の発言をした。
 
イメージ 2続いて、協会として独自に竹縄親方を聴取するかについて問われ、「考えていない。(聴取の)必要があるなら、調査委が呼ぶでしょう」と述べた。ここで問題になるのが、伊藤滋・早大特命教授を座長とする外部有識者で作る協会の特別調査委員会だが、何においても内部調査ほど信憑性のないモノはない。警察の捜査とは重みも手法も違うし、名誉職にしか見えないのが問題だ。
 
ただ、野球賭博と違って競技者間の八百長を刑事罰に問うことができない以上、捜査機関が関与することはあり得ない。力士の野球賭博と八百長とどっちが大きな問題かはともかく、警察に委ねることができない以上、内部調査でしか方法がないということだ。ただね〜、国民は内部調査に疑念を持っていることくらい調査委メンバーも分かっているから、迂闊なことはできないジレンマはあると思う。
 
先日報じられた若ノ鵬の発言で、現役大関らの名が上がった時も、「関心ない。週刊誌は好きじゃないし読まないから」と一蹴した伊藤滋氏に調査委座長の資格はないと多くの国民が感じている。「関心ない」、「週刊誌は嫌い」という彼の個人的な思いが元幕内力士の発言を葬り去るのをなぜかマスコミも突っ込まない。「あんたに関心がなくとも、国民は若ノ鵬の発言に関心を持っているんだよ!バーローめ」
 
そんなことが分からない奴が座長なんかすな。調査は国民の疑念を晴らすためにやっているんだろ?過去の八百長を一掃し、相撲協会を浄化するための内部調査なのに、元力士の発言にさっさと蓋をす。それが内部調査委員とはちゃんちきおけさだよ。箸で小皿叩いて踊ってろといいたい。週刊誌の好き嫌い発言も、すべてがゴシップ記事といわんばかり尊大さ。八百長報道に訴訟まで起こしおって。
 
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現在幕内力士42人、十両28人の総勢70人体制で40人といえば実に6割に相当する。それが八百長をやっていたとなると相撲はプロレスと同様のショーに過ぎん。「100kgの体重同士が毎日本気でぶつかっていたら身体が持たん、八百長は力士の身の安全」という元力士の言葉は一理あると思う。長年の疑問の一つに、何で土俵の下にマットのようなものを敷かないのか?プロレスみたいに・・・
 
これには協会の古い体質もあるが、怪我をするのは技量が下手、未熟者との考えが力士にある。とにかく力士というのは転がる練習が大事であり、上手く転がることと、怪我をしないために四肢の関節を柔らかくする事が義務づけられる。それでも堅い土俵下に落ちれば怪我はする。柔道の畳も結構堅いが、柔らかいものだと受身ができず、かえって危険といわれている。
 
イメージ 4相撲は真剣勝負だから面白い。体重のハンディをモノともせずに小が大を食う小気味よさに見るものは興奮する。ボクシングや柔道のように体重で区分けしない、あらゆる意味で男と男の真剣勝負としての醍醐味。それが八百長であるなら、相撲の見方も変わるだろう。「今の勝負は上手い八百長だな!」、「この勝負は八百長丸出しだ!もっと演技力を磨けよな」、ってな感じだ。
 
(八百長)があるのにないという素振りや嘘は許せん。(八百長)があるならあるでそれなら別の面白さをこっちが見つけるよ。協会だって近代に合った別のファンタジックな相撲協会にしていけばいいではないか。たとえば、【本日の八百長クイズ】とか銘打って、「幕内20番のうちの八百長取り組みを当てましょう。ヒント・・・本日は5取り組み」とかいいんじゃないか。全問正解者は抽選で賞金並びに商品進呈。
 
これなら必死で見るし、見る楽しみもある。答えが分かった後に録画を再生し、「アレが八百長とはね〜、ぜんぜん分からなかったな、うーむ。お見事!」みたいな。力士間で相互扶助の力学や精神が働くのは別に否定しないし、それが人間の世界だと思う。三役力士が揃ってテレビに出たり、仲良く力士運動会みたいなことをするご時世だ。かつてのように部屋同士がピリピリ口も利かず、反目しあう時代じゃない。
 
イメージ 8竹縄親方のいう40人が本当なら、三役力士が自分らの名を列挙される前に、竹縄親方宛二重底のカステラを用意したほうがいいな。人間は自分だけが悪者にされて、他の奴らが何らお咎めもなくいい子ぶってる態度は腹が立つものだ。だから、即座に行動して竹縄親方の気持ちを理解する事が必要。自分を庇ってくれてるなら、それには誠意で応えるのが人間よ。当然協会も腰を上げて、一億円くらいは用意しなきゃ。竹縄が本気でゲロして何より損害被るのは協会だし、それを思うなら口止め料一億円は安いものよ。
 
そういう利害相殺の取引は欧米ならむしろ人間的だし違和感がない。日本人は完ぺき主義、潔癖主義、理想主義者が多い。 勤勉過ぎだから理想を求めることにこだわり、適当なところで妥協することが下手なのだ。 妥協をして双方笑顔で解決というのではなく、我慢をして譲ったわけだから、腹にわだかまりを持っている。即ち日本人の妥協というのは、西洋人の清々しい妥協とは異質なものだろう。
 
それくらい人間的なキャパが狭い。悪くいうと幼稚な民族であり、同じように韓国人も中国人もいつまでもうじうじ拘る子どもみたいな粘着質民族だし、その辺は似ているのかも。アジア思想というのは拘りの思想かも知れん。妥協というのは、真に大人でなければできないということだな。結論をはっきりいわない日本人には、妥協という終着点は存在せず、いつまでも心にわだかまっている。
 
つまり、結論をいわないというより、結論をもたないのだろう。死んでもこの世の恨みを抱いて成仏できず、幽霊になって復讐をとげるような、そういう怨念をもった幽霊などは日本以外には存在しない。
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世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋(うずま)っている。元来何しに世の中へ面を曝してるんだか、解(げ)しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。浮世の風にあたる面積の多いのをもって、さも名誉のごとく心得ている。五年も十年も人の臀(しり)に探偵をつけて、人のひる屁の勘定をして、それが人世だと思ってる。
そうして人の前に出て来て、御前は屁をいくつ、ひった、いくつひったと頼みもせぬ事を教える。前へ出て云うなら、それも参考にして、やらんでもないが、後ろの方から、御前は屁をいくつひった、ひったと云う。うるさいと云えばなお云う。よせと云えばますます云う。分かったと云っても、屁をいくつ、ひった、ひったと云う。そうしてそれが処世の方針だと云う。
 
と、『草枕』は実に日本を語っている。エジプト、リビアなどの中東・北アフリカの政情不安は独裁者への長期支配の不満から、独裁者の終焉を示すものだが、日本には独裁者が不要な理由がある。それは全員が一致して同一行動が取れるように、実に千年以上に渡って訓練されている点だ。幕末から維新にかけてのあの一大変革期においても、ナポレオンやレーニンやヒトラー、毛沢東のような人物を必要としなかった。
 
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全員一致で同一方向に行く必要のない遊牧民は、それをするためには、「アラブの砂は固く、手を握らねばバラバラになる」のような考えが必要だ。そこが遊牧民族と日本人の根本的な違いだろう。北アフリカのクーデターは独裁者が看板を降ろすまで続くのだろうな。日本の内乱とは規模が違う。憎悪の質がまるで違う。日本最大の内乱というと関ヶ原だが、あれとてたったの半日で終わっている。
 
中東の戦乱の歴史は根深いね。いつもどこかの国で火が上がっている。独裁者は必ず滅びるのは歴史の常。独裁者は利殖に邁進し、飢えた民がやがて牙を剥くのも歴史の常。歴史から学ばぬ独裁者はいつの世も裸の王様でしかない。あまりに国の事が分かってない無知者だ。マリー・アントワネットが、「貧乏人はパンを食べられないという。パンがないならお菓子を食べればいいのに…」といったように。
 
死ぬか生きるか、食うか食われるか最中の国がある中、カンニングや八百長が取りざたされるのは平和だね〜。カンニングは如何にしても防止はできよう。やるものも悪いが、やりたくてもできないようにするのも配慮だよ。八百長などサカリのついた男女と同じ。双方の申し合わせでやるんだから、電話ができる状況なら止められない。その八百長を協会の恥とかいって、隠す理由がどこにあるんだ?
 
横綱でも大関でも誰でも彼でも、八百長が露呈したら即刻解雇すればいい。協会がグルになって八百長を庇うからなくならないのだよ。プロ野球界にあった「黒い霧事件」で球界から永久追放された選手のように、組織が選手を厳しく断罪すればいい。内部調査委員も、協会が任命するから名誉職な気分になるんだし、文科省が強制力を発揮して協会に甘くない委員を任命すればいいんだよ。
 
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恐る恐る、腫れ物に手を触れるような改革が、何が改革か。腫れたところに針でもメスでも突き刺して膿を出さなきゃな。「膿を出すのはいいけど、痛いからそっとやってよ」と理事がいおうものなら、「うるせーな、黙ってろい。そんなに痛いのが嫌なら、麻酔かけるぞ!」と、それはつまり仕事が終わるまで黙って寝てろってことだ。
 
どうやったら、早く本場所を開くことができるか、それが理事会の本音であり、委員会はそれは百も承知と伝わってる。だから根治できない。臭いものに蓋をする体質が改善されない。伊藤座長が正義と協会の狭間にあって正しい答えを出すためには、彼の認識が多様化せず深化することだろう。調査者として協会、力士との関係性の「質」そのものを変えなければ存在意義はない。
 
起こっている現実は伊藤座長の近親者ではなく他者である。彼が大岡裁きをするためには「人間」、「肉親」、「人情」を捨てた自然賛美という正義、非人情という美学。とりあえず学者の彼らにどれだけ現実に対応する「仕方・態度」があるのかを直視するしかないな。調査委に八百長があるかないかをしかと見て行く。

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