初登板・初勝利
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レンジャーズのダルビッシュ有投手(25)が、本日メジャーデビュー戦で初登板。開始早々に打者一巡の猛攻を受けて血まみれとなった。試合の前々日の7日、「今回は普通の登板の一つに過ぎない、という感じですね」と、迫った大一番にも表情は変えなかった。緊張も高ぶりも、大リーグ初登板だからと特別にすることもなく、平常心を公言したダルビッシュだったが。
初回に4失点のダルビッシュ、大画面の彼の顔には悲壮感も動揺も見えなかったが、心はいかばかりであったか。それに比べてレンジャーズのワシントン監督の、何事もないような動作、仕草には驚かされた。ワシントン監督は実は、ダルビッシュ登板を前に、「日本で大舞台を踏んできたとはいえ、彼も人の子。初登板でどきどきするだろう!」とマスコミにコメントしていた。なるほど、指揮官の洞察とはこうでなきゃ。
「幾分の緊張感は良い演奏につながる」といわれている。ハイフェッツは稀代のバイオリニストと称されるマエストロだが、彼には次のような逸話もある。彼がリハーサルのためカーネギーホールへ向かっていた。そこへ道に迷った人がハイフェッツを呼びとめ、「すみません。カーネギーホールへはどうやったら行けるのでしょう?」と尋ねた。ハイフェッツはただちに答えた。「練習、練習、練習あるのみ」
意味が判りづらいので注釈をつけると、有名人の自分がまさか道を聞かれるとは思わず、カーネギーホールに登場できる方法を聞かれたと勘違いした。ハイフェッツは、ただちに、「練習あるのみ」と答えたというわけ。彼ほどの天才にして名人であっても、その地位につくために何より重要なものは、才能、センスを超えた練習であるとのエピソード。ピアニストやバイオリニストに一日5時間、8時間の練習は当たり前。
これはハイフェッツ自身の言葉である。いっちょ前に緊張する小心者というだけではなく、大家にはそれなりの緊張感もあるし、あのピアニストグレングールドも演奏前の緊張が耐えられず、コンサートをドロップアウトしてレコード制作に専念した。「コンサートをやめた演奏家のレコードなど売れるはずもない」という世評に対してグールドは世評がいい加減であり、嘘であったことを実証した。
野球の話に戻る。「悪太郎」というニックネームの大投手といえば元ジャイアンツの堀内恒夫のことだ。彼は昭和40年12月27日に東京読売巨人軍に17歳で、翌年高卒ルーキーとして入団した。その約一ヶ月前の11月17日、プロ野球界にとっては歴史を変える出来事があった。第1回ドラフト会議が開催された年である。選択選手の中には鈴木啓示(近鉄)、藤田平(阪神)、平松政次(大洋)らがいる。
翌シーズン入り、第六戦目の前日、いきなり先発をいわれ、さすがに動揺を隠せない堀内は、恩師の甲府商業監督に電話で相談した。菅沼八十八監督は、「練習のボール第一球目をバックネットに大暴投しろ」と堀内に指示。堀内は、「プロのピッチャーがそんなこと出来ません」といったら、「マウンドに上がったら、キャッチャーなんか見えない程緊張するから、騙されたと思ってやって見ろ」といったという。
昭和41年4月14日対中日三回戦のマウンドに上がった堀内は当時の様子をいう。「監督にいわれたままに森捕手が見えないんです。それで練習の第一球をバックネットにむけて投げたんです。そうしたら観客の「ワァ〜!」という笑い声が聞こえたと同時に、森さんの姿が見えたんです。それで落ち着くことができたんですが、力はないし、目イッパイ投げただけで、まるで雲の上で野球やってました。」
堀内は六回を投げ、1対2でリードされたまま代えられたが、その回に巨人が逆転し、初登板・初勝利を得ることが出来た。小柄ながら「悪太郎」の異名がある強心臓の持ち主といわれた堀内の初登板の状況を思い出しながら、ダルビッシュの初登板の心の動揺を想像していた。ダルビッシュも味方の打線に助けられ、メジャー初登板・初勝利をあげたが、彼の性格からしてこれは素直に喜べないはず。
2007年4月5日のロイヤルズ戦でメジャー初先発。7回1失点10奪三振で初勝利を挙げた松坂大輔の内容には到底劣るが、記録の上では一勝は一勝。まだシーズンは始ったばかりだし、1995年、野茂英雄のメジャー一年目におけるチームの地区優勝貢献や、13勝6敗で236奪三振、グレッグ・マダックスに次ぐリーグ2位の防御率2.54などの成績を引っさげての新人王・奪三振王を獲得したのは立派である。
二度のノーヒットノーランを達成し、両リーグでのノーヒットノーランはサイ・ヤング、ジム・バニング、ノーラン・ライアンに次いでメジャー史上4人目の快挙である。2004年、2度のドジャース復帰から同年退団後、2005年はデビルレイズ、2006年にはホワイトソックスといずれもマイナー契約を交わした。2007年にはベネズエラのウィンターリーグへ参加、2008年にロイヤルズとマイナー契約を交わす。
4月5日には1000日振りのメジャー昇格を果たしたが、4月20日に戦力外通告を受け、「自分の中ではまだまだやりたい気持ちが強いが、自分の気持ちだけで中途半端にしていても周りに迷惑をかけるだけ」として現役引退を表明。29球団から勝ち星を挙げた野茂だが、全30球団を前に惜しまれる引退であった。引き際の美学というが、野球小僧野茂らしい引き際といえる。
野茂は40歳、昨年12月にブログで引退を表明した工藤公康投手は48歳で実働29年のプロ最長年記録を持っていた。どこからも誘いがかからず、マイナー契約や浪人生活もいとわぬ選手を晩節を汚すといえるのかどうなのか、それは他人の視点よりも本人の意識だろう。浜田幸一議員のような犯罪を犯したわけではなく、プロが自身を過信するのは当然としても雇うかどうかは相手が決める。
相撲界において横綱に晩節は強く求められるが、これは横綱の動態を監視する「横綱審議委員会」という目付役の意思も大きく働く。思えば朝青龍の引退も、体力・気力の点では衰えたとはいえず、29歳の引退だった。「強ければ良いというわけでもない。慈愛心のない横綱は横綱の器ではない」という横綱審の考えや視点は、横綱をスポーツの観点だけでは見てないということだ。
野球に相撲に個人が純粋に向き合えば、そこには善悪も好き嫌いも含めて様々な解釈が生まれて当然だ。ルールは別にしてもあらゆるスポーツの中で相撲は神事である点が異なる。神事であるなら権威を大事にするし、横綱が権威といいながらもその上に横審、それより上に相撲の神様がいる。キリスト教の権威も聖書の解釈によって様々だ。
イエスの死後十二使徒やパウロらによってローマに持ち込まれ迫害を受けた後、「ミラノ勅令」によって神聖ローマ帝国の国教となる。東西ローマに別れ、西ローマにカソリックが興きた。宗教改革後にローマ教会の権威を否定したプロテスタントが生まれた。それまで聖書を独占し、解釈を統一していたカソリックと異なり、プロテスタントは各人が神の言葉(聖書)に直に向き合うようになった。
それにより多くの個人的解釈が生まれ、プロテスタントは多くの宗派に分離した。正しい正しくないの解釈の違いが戦争の火種となる。宗教に限らない。個人レベルの喧嘩も意見の食い違いが原因で起こる。宗教戦争の悲惨な歴史を経て、個人が聖書をどう解釈しようとも自由という思想が生まれた。いかなる宗教、いかなる思想信条を信ずるという自由主義に発展して行く。
人の喧嘩は持論を譲らないことが原因だし、ならば持論を譲らずとも相手を認めれば喧嘩はない。喧嘩が悪いというより、理性を超えたアホくさい喧嘩しか出来ないバカがいるのが問題だ。自由主義は聖書を自己の信念として断固貫く、という個人主義へと発展して行く。キリスト教はあくまで個人救済の宗教であり、救って欲しいと願うなら神の命令を厳守せねばならない。
魂を救うという観念は自分には判らないが、おそらく崇高なものだろう。判らないものを救って欲しいとは思わないが、救って欲しい者には、その救われ給う「魂」の概念もわかっているのだろう。判らないし判ろうとも思わない自分は魂の存在すらも信じていない。あるともないともいえぬ神や魂を信じない、これも信教の自由ということだ。自分の周りを形成する幾多の集団やコミニティ。人は社会的動物である。
早熟は罪ではないが、晩熟の子が「うちはエロくないから」といえば早熟の子には耳が痛いだろう。生理学的見地からいっても思春期を否定する言葉であるのは事実。「うちエロくない」という子が将来どうなるかを見越していってないし、予想もしていないし、だから同年代のエロい女子が変態に見えても仕方がない。それを正直にいったまでだが、早熟の子にはいい子ぶったネコかぶりに思えるのだ。
だから排除にかかる。自己正当化の言葉が他人には迷惑であったり、他人を傷つけたりすることは多だある。「うちは太るのは絶対にイヤ」と、一見なんでもない言葉も、太ってる子の前でいうべきでない。場や状況によって大きく変わるのが言葉。言葉一つで身を葬った者は多い。今更ながらの言葉の難しさだが、相手を特定しないブログは何をいってもそこが楽かも。
「君等には打ってもらうだけの月給を払っている!」 |

