貧しいながらも楽しい我が家
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という言葉が昔はありましたよね。 今は死語になりました。 昨年の大震災、福島の原発事故、そして、停電と節電。 それまでは、電気をもっと使おう、とオール電化が、あおられていました。 原発事故以来、原発を使うか否か、と議論されていますが、原発推進派の経済界でなくても 、それに代わる代替エネルギーをもっと研究しろ、の論争です。 そうではなくて、そんなに、垂れ流し的に、電気を使わなくても良いのじゃないんですか。 今までの電気の消費量の方こそ問題で、もっと、少ない電力消費で、十分だ、という 視点は、あまり、聞こえてきません。 経済界は、もっと、売れること、しか考えていないようです。東南アジアは、格好の 消費の場、東南アジアにもっと売って、お金を稼いで、金持になって… という視点しかありません。以前にも書きましたが、アジアも物で溢れて買わなくなっ たら、どうするのですか、月にまで、売りに行くのですか。 人の食べる量も、「器」を越えると、病気をします。経済的にも、「器」を越えて大 きな家を建てれば、破産します。国にも、「器」があります。「器」を越えれば、国も 破産します。 「もっともっと」と足るを知らない心、行動は、不幸を招きます。 若者の意見が投稿欄に載っていました。「大人はもっと頑張れ、と言うが、自分達は ほどほどの富と、ほどほどの生活環境と、ほどほどの医療が受けられれば十分で仕合せで ある、大人は、結局、もっと金持ちになれと言っているのだけれど、自分達は、これで 十分である…」
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