橋都浩平のcanopy walk

みなさんこんにちは。イタリアと自転車と美術を愛する中年(老年?)医師です.

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名曲・名演奏

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名曲に名演奏があるのは当然ともいえます.ですからベートーベンの交響曲「運命」,ショパンの「ワルツ集」,メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」などの超有名曲には,名演奏がいくらでもあり,あの人,この人とすぐに名前を挙げることもできますし,そのどれもが素晴らしい演奏であると言うこともできます.僕がここで名曲・名演奏といっているのは,それとはちょっと違っていて,この曲はこの人の演奏で決まり!他のどんな演奏がこれから出てきても,この演奏を越えることはないだろう,という名曲・名演奏のことです.そんなものがあるのか,それはお前の思い込みだろうと言われることは,百も承知なのですが,僕が自信を持って,これこそがその意味での名曲・名演奏だ,と断言できる演奏がひとつあります.

それはジャクリーヌ・デュ・プレが弾くエルガーのチェロ協奏曲です.ジャクリーヌ・デュ・プレ(以下デュ・プレ)の事は,以前にもこのブログに書いたことがあると思いますが,英国の女性チェロ奏者で1945年に生まれ1987年に42歳で亡くなっています.しかも1971年には多発性硬化症(MS)という神経難病に罹り,その後は演奏活動が出来なくなってしまいましたので,演奏家としてのキャリアはせいぜい10年しかありません.しかしその短いキャリアと若さからは信じられないほどの名演奏の数々を残しています.その頂点がエルガーのチェロ協奏曲です.

エルガーは英国の作曲家でこの曲を書いたのが1919年,1934年には亡くなっていますので,デュ・プレはエルガーに会ったことはもちろん無く,この曲は彼女に捧げられているわけではありません.しかし僕にはこの曲が,ジャクリーヌ・デュ・プレというチェリストが居たために,エルガーが書いた曲としか思われないのです.それくらいにデュ・プレはこの曲を自分のものにしているし,この曲に賭ける彼女の情熱は,CDからも伝わってきます.僕はいつもサー・ジョン・バルビローリ指揮,ロンドン交響楽団との共演を聴くのですが,何度聴いても,最初のチェロによるメロディーを聴いただけで,その演奏に引き込まれてしまいます.

この曲はパブロ・カザルスを初めとして,多くのチェリストが演奏しています.フルニエ,シュタルケル,ヨー・ヨー・マ,マイスキー,そして現在僕がいちばん好きなチェリストであるスチーブン・イッサーリス.とくにイッサーリスによる演奏は素晴らしいと思いますが,残念ながらデュ・プレによる演奏には及ばないと思います.

1972年だったでしょうか,デュ・プレは日本で初コンサートをすることが決まっており,僕はチケットを買ってコンサート会場に出掛けたのですが,会場には「ジャクリーヌ・デュ・プレは病気のため,来日できなくなりました」という張り紙があり,替わりに当時,彼女の夫だったダニエル・バレンボイムのピアノ・リサイタルが行われました.その時にはよほどひどい風邪でも引いたのだろうかくらいにしか考えず,まさか彼女がMSに罹っていようとは思ってもいませんでした.しかしデュ・プレはその後に日本に来ることはなく,彼女の実演を聴くことも不可能になってしまったのです.人生に悔いの残る事があるのは当然なのですが,彼女の弾くエルガーを実演で聴いてみたかった!

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徒然草

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「徒然草」というと,「ああ,高校の古文でやったな」というのが,もっとも普通の反応ではないでしょうか.今さら読んでも面白くはなさそうだ,と思われるのももっともです.しかしこの「徒然草」は岩波文庫の超ロングセラーのひとつです.第1刷が1928年,なんと84年前です.1985年に第70刷で改版発行され,2010年には第118刷を数えています.読んでみて面白くなければ,なかなかここまでのロングセラーにはなりません.僕も今回,全巻を読んでみて,エッセーとして非常に優れており,表紙に書いてある“「徒然草」の面白さはモンテーニュの「エセー」に似ている”という宣伝文句も,大げさではないと思いました.

この「徒然草」の内容は多岐にわたっており,巷の噂話,宮中の行事に関わる有職故事についての覚え書きのような文章,昔の人のエピソード,人生についての省察,などさまざまです.高校の古文では,その中でも人生についての省察などは難しすぎますので,比較的分かりやすい巷の噂話的な文章が中心に取り上げられます.ですから僕も「仁和寺にある法師」とか「高名の木登り」などの話が印象に残っていたのですが,全体を読んでみると,それとはかなり印象が異なります.

著者である卜部兼好(吉田兼好と呼ぶのは間違いだそうです)は30歳頃にいわゆる在家のまま出家したため,兼好法師と呼ばれていました.卜部家は代々神職の家柄で,宮中においてもエリート知識人を輩出する家として,その地位を認められていたようです.彼が出家したいきさつは,意外にもこの「徒然草」の中では触れられておらず,よく分からないのですが,鎌倉末期の南北朝の分裂,それによる京の混乱などが影響したのではないかと考えられています.

彼は出家したとはいっても,在家ですから,寺に引きこもって修行に励んだわけではなく,世を捨てて隠者になったわけでもありません.その意味では中途半端な立場ともいえるのですが,逆にそうであればこその省察にわれわれが納得するところが多いということもできると思います.仏道を求めながらも,インテリらしい合理的精神を捨てていないというのが,彼のエッセーの魅力かもしれません.

僕がいちばん好きな彼の言葉を引用しておきます.これは第211段の「万のことは頼むべからず」,つまり世の中の人や物に期待していると,裏切られたりがっかりすることが多い.一方で期待をしていなければ,恨むこともなく,うまくいった時にも素直に喜ぶことが出来る,という事を述べた段の最後の文章です.

「人は天地の霊なり.天地は限る所なし.人の性,何ぞ異ならん.寛大にして極まらざる時は,喜怒これに障らずして,物のために煩わず.」

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インフルエンザ

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シーズンの最後になってインフルエンザに罹ってしまいました.先週の月曜日まではなんともなく,会食後に夜11時頃,帰宅したのですが,夜中に身体中の筋肉がいやに痛くなりました.しかし熱がある感じはしなかったので,まあ1日身体を休めれば大丈夫だろうとたかをくくっていました.しかし翌日の夕方になってもよくならないので,体温を測ってみると38.5度.ここでようやくインフルエンザかもしれないと気付いたわけです.

翌朝いちばんに病院で診察を受けました.その時には体温は37度台に下がっていたのですが,医師からはインフルエンザの可能性が高いのでチェックしましょうといわれました.ところがインフルエンザ・チェックではA型もB型も陽性ではありませんでした.しかし医師からは「症状からみて,インフルエンザの可能性が高いと思いますので,抗ウイルス剤を服用して下さい」といわれてしまいました.結果的にはこの判断は正しかったと思います.後方視的にも,これは医学界のジャーゴンで,振り返ってみてという意味ですが,インフルエンザだったのだろうと思います.タミフルを5日分もらって帰り,さっそく飲み始めたのですが,この日の午後には39.1度まで体温が上がりました.しかし身体の痛みが軽くなったので,前日よりも楽にはなりました.

それからの2日間はひたすら寝ていました.寝なければ,と思って寝たわけではなく,いくらでも眠れてしまうのです.もし自然界で動物が病気になったら,回復するまでは天敵に見つからない場所で,気配を消してじっとしている他はありません.うまく隠れ通せれば助かりますが,天敵に見つかったら,もう死ぬ他はありません.ですから動物には病気になったらじっとしている機構が備わっているのだと思います.自然に眠気が起こり,自然に食欲もなくなる.僕は自分が動物になったような気になって,ひたすら眠り続けました.とはいっても,ときどき水分は取り,うどんくらいは食べていましたが.

金曜日の夕方になると,ようやく平熱となり,食欲も出てきました.妻から何が食べたい?と聞かれて,そうだ,卵掛けご飯だ,と思いつきました.完全食品とはいえませんが,糖質も蛋白質も含まれており,喉の通りも良いので,病後の回復食としては良さそうです.一杯目はイタリアからのお土産に頂戴した白トリュフ入りの塩で,2敗目は正統的に塩昆布で.

この後はさいわいどんどん元気になり,今週はまったく普通の生活に戻ることが出来ました.39度台の熱が出たのはずいぶん久しぶりで,身体の痛みはつらかったのですが,動物になった気分を味わいましたし,おいしい卵掛けご飯を食べることが出来ました.ただなんと言っても残念だったのは,前から楽しみにしていた房総サイクリングに行けなかったことです.

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捨てる

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この約1ヶ月間は,ひたすら捨てることに費やしてきました.東京西徳洲会病院を辞めるにあたり,これまでに貯まった書類や資料を大整理したわけです.東大病院を辞めてこの病院に来た時には,大きな部屋を使うことができましたので,東大時代の本,書類,資料はほぼそのままこちらに持ってくることができました.その後に総長を辞めて部屋を移った時に,本はかなり整理をして3分の1くらいに減らしましたが,それでもまだまだ部屋に一杯の物があふれていました.それを家に持ち帰ることはとても無理です.

そこで書類,文献,資料は基本的にすべて廃棄し,重要な物だけを電子化する,スライドはすべてを廃棄する,CDは全部を希望者に差し上げるということにした結果,ボリュームとしてはずいぶん少なくなりました.そして最後に残ったのが自分で書いたイラスト類でした.

論文にはあまりイラストは使いませんが,一般向けのスライドや学生向けの教科書,手術書などには,分かりやすいイラストが有効です.外国にはこうした医学のイラスト専門の学科が大学にあって,メディカル・イラストレーターという職業が確立しています.彼らは美術だけではなく,医学,解剖学も勉強していて,医師と協力して美しくてしかも分かりやすい模式図を書くことが出来ますので,外国の手術書はとても美しいのです.一方,わが国には専門のメディカル・イラストレーターがいないために,医学以外のイラストレーターや画家が,片手間に医学のイラストをやっているのがほとんどで,外国に較べるとどうしても見劣りがします.

医学のイラストを教科書に載せる場合には,著者である医師がだいたいの形をメモ的に描いて,それを本職のイラストレーターが図として完成させるのが通常のやり方です.しかし僕は可能な限り,自分でイラスト用のペンと黒インクとを使って,自分でイラストを完成させ,それを使ってもらうようにしていました.そのイラストが大量に残っていたわけです.

中には,この写真のように,一般向けの講演で使用した漫画のようなイラストもあり,それなりに愛着もあったので,最後まで捨てることが出来なかったのです.しかしそれらに芸術的な価値があるわけではなく,残しておいても,今後使われる可能性はありませんので,すべて捨てることにしました.もし残しておくと,僕の手書きですから,子どもたちが捨てるに捨てきれずに困るのではないかということも考えました.そこで描いた本人である僕が捨てるのがいちばん良いだろうと思ったわけです.

僕にも多少は未練があったので,すべてをいちおうスキャンして電子化し,元のイラストはすっぱりと廃棄しました.これで捨てるべき物はほぼすべて捨てたことになり,部屋がすっきりするとともに,気持ちもさっぱりしました.

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ヨーロッパのブタ食文化

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先週の4月6日にイタリア研究会の第382回例会があり,「イタリアとブタ:ブタを取り巻く文化と食習慣(ガストロノミア)」というたいへん興味深い講演を聴くことができました.講師はウンブリアのスポレート在住のイタリアの食・スローフード研究家でライターでもある粉川妙さんです.僕は以前からヨーロッパのブタ食文化に興味を持っており,イタリア研究会でもどなたかにこのテーマで話をお願いしたいと思っていたのですが,偶然に粉川さんのブログを見つけ,この方だったら面白い話をして下さるだろうと,何の面識もないのにメールで講演をお願いしたわけです.

僕がなぜヨーロッパのブタ食文化に興味を持ったか,それには3つの契機があります.第1は美術を通じたものです.粉川さんの講演にも登場しましたが,中世以降のヨーロッパ美術では,冬の風物詩としてブタを樫の森のドングリで太らせ,それを殺して加工食品にする場面がしばしば登場します.代表的なのは「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」でしょう.その他にゴチックの教会堂の柱頭彫刻などにもしばしば登場しますが,最初はいったい何を表しているのかがよく分からないために,興味を持ちました.

第2は英国に留学した時の経験です.英国料理は一般的においしくないといわれており,確かに否定はできないのですが,その例外が市場で売っているブタの丸焼きでした.ブタ一頭を丸焼きにしたのを屋台で鉄板に乗せて売っています.注文があるとそこから肉をこそぎ取って丸パンにはさんでくれるのですが,これがおいしくて,市場に行くたびに家族で食べていました.そして市場での豚肉の売り方です.腰肉というと,背骨を真っ二つに切ったものに,ヒレ肉,腎臓までついた巨大な塊を売ってくれます.豚肉といえば薄切りか,せいぜいとんかつ用の切り身と思っていた僕にはかなりのインパクトがあり,日本とは基本的にブタ食の文化が異なるという印象を持ちました.

そして最後がエーコの原作を映画にした「薔薇の名前」です.この映画では,修道院内で次々と殺人が起こるのですが,そのひとつが,初冬のブタ殺しの最中に起こります.ブタの血を貯めた桶の中に修道士が逆さまに突っ込まれて殺されます.ブタの血を貯めた桶から突き出す修道士の2本の脚,なんとも衝撃的,印象的な場面でした.

さて粉川さんは,こうしたヨーロッパのブタ食文化が,エジプト,ギリシャ,ローマからの伝統によって成り立っていること,ブタは聖性とけがれとを体現する存在と考えられていたことを,多くの画像や文学からの引用で示してくれました.そして本来は菜食が中心であったローマで,蛋白源としてブタを飼うことが奨励され,それがヨーロッパのブタ食文化へと繋がっていることを話されました.そして中世以降のヨーロッパでは,森の広さを示すのに,そこで産生されるドングリでブタが何頭飼えるかで標記されていたという大変興味あるエピソードを披露してくれました.これが現在のイベリコ豚へと繋がっているわけです.最後にイタリア各地のブタの加工食品と,その製造現場の写真を示して,講演は終わりましたが,講演後にさまざまな質問が飛びだして,みなさんがイタリアのブタ食文化に興味を持っていることがよく分かりました.

またここでは詳しくは述べませんが,粉川さんは僕も興味を持っている聖アントニウスとブタとの関係にも触れられ,専門分野は異なるものの,興味の対象は僕と意外と近いなという印象を持ち,心強く思ったことを最後に記しておきたいと思います.

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