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先月のイタリア研究会例会の講演は「ダンヌンツィオと日本」でした.講師は東京大学教養学部准教授の村松真理子先生です.ダンヌンツィオは19世紀から20世紀にかけて活躍したイタリアの詩人,小説家ですが,現在,本屋に行ってもダンヌンツィオの翻訳を見つけることは難しいと思いますので,ダンヌンツィオの作品を読んだことがある方は少ないでしょうし,その名前を聞いたこともない,という方のほうが多いかも知れません.しかし明治,大正時代には,彼の作品は日本でも大変な人気があり,後で述べるように,じつはその後にも大きな影響を与え続けているのです.
僕が最初に彼の名前を知ったのは,上田敏の訳詩集「海潮音」を読んだ時です.この本は明治38年の出版で,日本における近代詩の発展に大きな影響を与えたことはよく知られています.じつはこの訳詩集の最初の2篇はダンヌンツィオ(ダンヌンチオと表記されていますが)の作品であり,また最後の2篇も彼の作品なのです.いかに上田敏が彼の作品に傾倒していたかが分かります.
この「海潮音」の中で,もっとも有名なのはヴェルレーヌ(ヹルレエヌと表記)の「落葉」だと思います.その出だしの“秋の日の ヸオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し.”という一節は,どなたでもどこかで目にしたことがあるのではないかと思います.しかし最初に載っているダンヌンツィオの「燕の歌」も名訳です.最初の一節を引用してみましょう.
彌生ついたち,はつ燕,
海のあなたの静けき國の
便もてきぬ,うれしき文を.
春のはつ花,にほひを尋むる
ああ,よろこびのつばくらめ.
黒と白との染分縞は
春の心の舞姿.
これを読むと,ダンヌンツィオとは,文学青年がそのまま成長したような叙情的な詩を書く詩人と思われてしまいそうですが,じっさいの彼はとても一筋縄ではいかない文学者でした.彼は第一次世界大戦後に,イタリア領であったフィウメ(現在のクロアチアのリエカ)が隣国に割譲されたことに激怒し,なんと私兵を募ってこの街を占領してしまったのです.この占領は1年以上続き,その間,特製の軍服を身につけたダンヌンツィオは,しばしば市庁舎のバルコニーから,集まった群衆に向かって演説を行っていたということです.ここまで読むと,あれ,どこかで聞いたことのあるような行動だ,と思われる方があるかも知れません.そうです.三島由紀夫です.
三島はダンヌンツィオに傾倒しており,彼がパリで出版した聖史劇「聖セバスチャンの殉教」を1966年に翻訳出版しています.この戯曲は擬古フランス語で書かれており,翻訳は簡単ではなかったと思われますが,三島はなんと,この作品を翻訳するためにフランス語の勉強を始め,それを成し遂げたのです.またこの翻訳本にはグイド・レーニによる聖セバスチャンの殉教の絵が載っていたのですが,彼はみずからがこの絵と同じポーズを取っている写真も撮らせています.それが三島と澁澤龍彦が編集した伝説の雑誌「血と薔薇」第1号(1968年)の巻頭を飾っている篠山紀信が撮影した白黒写真でした.
そして1971年のあの三島の悲劇的な死が続くわけですから,そこにダンヌンツィオの影響がなかったとは考えられないと僕は思います.村松先生は,ダンヌンツィオの一般的な人気は明治,大正に限られるかもしれないが,日本におけるダンヌンツィオ的なものは,ずっと続いていたのではないかと話されましたが,たしかにダンヌンツィオと日本に関しては,まだまだ調べるべきことがありそうです.
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