自分らしく生きるために・179
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詩のつくり方
その2
作詩にあたっての10か条
第6条・日本語で詩を書くなら、日本語の変化に通暁(つうぎょう)しておかなければならないこと。
日本の現代語(口語)は、足利時代から江戸時代を通ってきた庶民のことばのようです。
だが、明治になってから、それに、生硬な漢語や、学術的、または、新しい外来の物心二様の命名や、新造語の粗雑によってかきにごされて、詩美をさぐることばとしては、興ざめなのもむりはありません。
口語にもいろいろなおもしろい使いまわしがあるはずです。だが、口語は散文的なものという概念がうえつけられてしまって、口語を美しくする意欲は、はじめから捨ててしまったようなわけあいです。
ことばを美しくみがきあげ、原石に光をあたえるのは、詩人の役です。口語も努力によっては、いくらでも美しくなる可能性があるものです。
口語は現代の日本人といっしょに生活をしていますから、現代人の微妙なニュアンスにマッチし、こまかいところにわけ入って、表現できるはずです。
日本の口語は、いわば、未来をせおったことばです。
第7条・字づらの効果よりも、心に受けわたす中身のほうに重点をおかねばならないこと。
できあがった詩が、一見巧妙に、ソツがなくできていても、それでその詩が、すぐれたものであるということはできません。
また、表現上のみせかけで、中身がさもゆたかそうに書かれた詩もあります。だがそういう詩は、ちょっとだまされても、すぐ、内容の貧しさが気づかれてしまって、ながく人の心にのこるわけにはいきません。
なんの奇もないようにみえていて、ズシリと心にのこる詩があります。ういう詩は、まえの詩が小手先の詩であるのにくらべて、全身の重みのかかった詩とでもいうほかありません。
つまり、それだけじっくりと生活したうえで書かれたものなのです。作品のもつ世界的で、宇宙的なひろがりとでもいいましょうか。山村暮鳥の「雲」という作品を例にひいてみましょう。
おぅい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきそうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平の方までゆくんか
この詩は、作者が若いときの覇気や、てらいをはらいおとして、淡々とした境地で、素朴なことばでうたいながら、この詩の背後は、大自然の運行のはてしない広さにつづいています。
人はこの詩をよんで、のびのびとした解放感と、作者の善意とにふれることができます。詩の見どころは、そんなところにあることを念頭から失わないようにしたいものです。
もうひとつ千家元麿の「雁」という詩をあげておきましょう。この詩は、すこしのけれんもない、質朴な表現で、正面から取りくんで書かれたものです。
うちに作者の善意と、正義感と無垢な精神をとおして、ひとつの世界のひろがりを感得することのできるよい例です。
暖かい静かな夕方の空を
百羽ばかりの雁が
一列になって飛んでゆく
天も地も、動かない静かな景色の中を
不思議に黙って
同じように一つ一つセッセと羽を動かして
黒い列をつくって
静かに音もたてず横切ってゆく
側へ行ったら翅の音が騒がしいのだろう。
息切れがして疲れて居るのもあるだろう。
だが地上にはそれは聞こえない。
彼らは皆んなが黙って、心でいたわり合い助け合って飛んでゆく
前のものが後になり、後ろのものが前になり
心が心を助けて、セッセ、セッセと
勇ましく飛んでゆく。
その中には親子もあらう。兄弟姉妹も友人もあるにちがいない
この空気もやわらいで静かな風のない夕方の空を選んで
一団となって飛んでゆく
暖かい一団の心よ。
天も地も動かない静かさの中を汝ばかりが動いてゆく
黙ってすてきな早さで
見て居る内に通り過ぎてしまふ。
千家元麿は白樺派の詩人で、この詩はすっきりしたものであり、成功作ということができましょう。字づらばかりでなく、その底によこたわる、宇宙的なひろがりを、じゅうぶん感じることができます。 |
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