No.120 厚東川ダム
このダムは昭和十五年、内務省の指導により山口県の事業として工事が始まった。しかし、翌年に日米開戦となり、戦時中の資材不足と労働力不足のため、八割ぐらい出来たところで中止せねばならなかった。戦後の昭和二十三年に工事が再開され、二年後の二十五年、やっと完成した。
このダムを造るに当たって湖底に沈んだのは学校、役場、寺院をはじめ民家が
百六十九戸、田がおよそ百ヘクタール、畑が十三ヘクタール、 土地全体では二百三十ヘクタールもあった。
日照りが続くと、雨ごいの行事が行われていた。昭和に入ってから常盤池も何度か干上がった状態になっている。昭和十五年、工事計画が急ピッチで進められたのは 前年の西日本における大干ばつが大きな背景になっている.この時は宇部・小野田の水源は枯れてしまい工場も水がないため、機械が止まってしまった。
厚東川ダムは県営ダムであるが、工業用水の占める割合も大きく、 宇部興産と山陽化学(現在の協和発酵)、宇部市、小野田市がおよそ三分の二の工事費を負担した。ダムの西側下には宇部興産の水力発電所がある。
ダムは工業用水、宇部・小野田の上水道、農業の灌漑用水、それに洪水防止、発電と多目的な役割を果たしている、常盤池にも水が流されている。
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